ワックス・フィギュア
15.拉致
−−− 『妖品店ミレーヌ』 −−−
『ワックス・フィギュア』を会議室に隠してから数時間後、エミ、スーチャン、麻美の姿が『妖品店ミレーヌ』にあった。 『ワックス・フィギュア』の姿はない。
「……どういうことですか……」
抑揚に乏しいミレーヌの声に、押し殺した怒りが感じとれる。
「すみません……」
エミが小さな声で謝った。
数時間前、エミとスーチャンに、麻美が加わり会議室に戻ってみると『ワックス・フィギュア』がいなくなっていた。 蒼くなったエミは、会議室の中の
どこかに『ワックス・フィギュア』が隠れていないか、何かに擬態してはいないかと探し回った。 1時間ほどして、スーチャンが『甕』も無くなっていることに、
ようやく気がついた。 『甕』が無いからには、『ワックス・フィギュア』はここにはいない事は確実だった。 慌てたエミが、大河内女史に会議室の監視カメラ
画像を確認してもらうことを思いついたのは、さらに2時間が経過してからだった。
「……それで……『ワックス・フィギュア』が連れ出されたと?……」
「ええ」
監視カメラに映っていたのは、某国大使館の職員だった。 ランデルハウス教授の発表会の為、大学を訪れていたらしい。 大学構内の別のカメラ画像
から、彼が『ワックス・フィギュア』を伴って大学から出て行ったことが確認されていた。
「……エミさんともあろう方が……」
「おとなしくしていたので……いえ、言い訳ですね、これは」
大きなため息が漏れた。
「……それで……『ワックス・フィギュア』は……今どこに?……」
「おそらく、いえ間違いなく某国大使館でしょうね」
「どうかな〜♪」
椅子に座って、足をブラブラさせていたミスティが口をはさんだ。
「というと?」
エミの質問にミスティは応えず、右手を斜め上に挙げた。 すると、ミスティの右後ろに白い人影が現れた。
「ブロンディ……だけ?」
麻美が首をかしげる。 ミスティの仲間、白人のブロンディと黒人のボンバーは揃って姿を見せる。 ブロンディ一人だけ現れたのは例がない、少なくとも
麻美はみた事がなかった。 ブロンディは左手を上げ、ミスティの右手に手を重ねる。
「?……!?」
ブロンディの姿が消えた。 消失したのではなく、体が靄のようにぼやけ、その靄がミスティの右手を伝い、ミスティの体を包み込む。 そして靄が
ピンク色の体に吸い込まれ、消える。 靄が消えた後には、ミスティでも、ブロンディでもない女が、ミスティそっくりの姿勢で椅子に座っていた。
「だれなの、貴女」
顔はミスティそっくりだった。 しかし、まとっている雰囲気がまるで違う。 お気楽さは微塵も感じられず、氷のような冷たさと、刃物のような鋭さが
合わさった微笑を浮かべている。
「……久しぶりですね……」
「スマート・ミスティ……」
椅子に座った彼女がエミの方をちらりと見た。 その視線に、エミが体を震わせた。
「エミさん? 彼女は……」
「麻美。 他人の事情に深入りするなら、それなりの覚悟が必要よ。 覚悟はあるの?」
麻美は口を閉じた。
スマート・ミスティと呼ばれた彼女は、エミを見て口を開いた。
「エミ、手抜かりな上に、認識が甘いわ」
「……」
「彼らは『宇宙人』かその『眷属』を捕獲した、と思っている。 喉から手が出るほど欲していた、貴重な生体サンプル。 すぐに自国に移送するでしょうよ」
「それは考えたわ。 でも移送すると言っても簡単じゃないわ。 正規の手続きで出国させる事はまず無理。 空路、海路何れにしても手配や準備が
必要。 1週間はかかると思う」
スマート・ミスティが肩をすくめる。
「偶然だと思うっているの?」
「え?」
虚を突かれ、間の抜けた表情になるエミ。
「偶然でしょう。 麻美さんが『ワックス・フィギュア』を売ってしまうこと、私が会議室に『ワックス・フィギュア』を匿う事、事前にわかるわけない……でしょう?」
「拉致したのが『ワックス・フィギュア』だったことは偶然でしょう。 でもは拉致そのものは、以前から計画していたとしたら?」
「え……ええ?」
「某国は、『宇宙人』、いえ『拉致された自国民』の返還を要求していたのでしょう? でも、本当の目的は『宇宙人』の情報よね」
「それは……」
「でも、大学が応じる気配はない。 ならば、実力行使、宇宙人の拉致を計画しても不思議ではないでしょう?」
「……」
「教授の発表会はチャンスだと考えたんじゃないの。 当日は、他の国の記者、研究者も大勢来るから、外部の人間が構内に居ても警戒されない。
発表の為に、『宇宙人』も来ているかもしれない」
「『ドローン』達がターゲットだったと!?」
「『ワックス・フィギュア』と『ドローン』は似ても似つかないじゃないの!?」
「『ワックス・フィギュア』は人には見えないでしょう? 声をかければ、ちゃんと返事をするし、機械にも見えない。 新手の『宇宙人』に見えたかもね」
「根拠はあるの?」 エミが尋ねた。
「大使館員の行動から推測しただけよ。 彼は会議室の鍵を解錠し、中にいた『宇宙人』を外に連れ出した。 計画な拉致でなければ、他にどんなことが
考えられる?」
「なるほど……拉致を計画、手ごろな対象を物色していて、たまたま『ワックス・フィギュア』を見かけて拉致した……とすれば」
「彼女はもうこの国にはいないかも。 かの国なら潜水艦を持っているでしょう?」
スマート・ミスティの言葉に、麻美が青くなった。
「警察に連絡して大使館を、いや海岸に!」
「遅いわ、麻美。 計画的なら、とっくに……」
「で、でも……」
エミは黙りこみ、腕組みして唸る。
「『ワックス・フィギュア』は、手の届かないところに持ち去られてしまった……ということね」
「そう、良かったわね♪」
「はぁ!?」「ええっ!?」「……」
皆がスマート・ミスティに注目した。
「皮肉のつもり?」
「いいえ、ほんとうに良かったじゃないの」
「どうして!? 拉致された『ワックス・フィギュア』は……」
「ただのアイテムよ。 『人』じゃない」
「すでに人ひとり、この世から消している、危険なアイテムよ? それがよその国に持っていかれて……」
「そう、『よその国』。 つまりご近所じゃない。 後はどれだけ犠牲者が出ようと、どんな被害が出ようと、ここに類が及ぶことはなくなった、という事よ」
「「「あ」」」
「ということで、回収の必要はなくなったわ。 今日はご苦労様でした」
スマート・ミスティの姿がぼやけ、ミスティとブロンディに分離した。 ブロンディはすぐに姿を消す。
「じゃぁ……エミちゃんにはお詫びとしてケーキとアイスを買ってきてもらいましょう」
「あ、じゃあ私も」
「……私にも……」
「スーチャンも」
やれやれとエミは肩をすくめ、ハンドバッグを取って表に出る。
(本当に国外に連れ出されたのか、その確認だけはしないとね)
歩きながらスマホを取り出し、心当たりに連絡を取る。
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