ミルク

25.逃走


「可哀想…ニ思エナイノヨネコノ男…」「アタシモ…」
元シスターにこうまで言われるドグは、よほど嫌われていたらしい。
二人のシスターはドグをそのままにして、髪を覆うフードを取り払った。 白い髪が顕わになり、シスターの黒い服とコントラストをなす。
シスター達は躊躇う様子も無く服を脱ぎ落とした。 
体の線を隠していた黒く服が二人の体の上を流れ落ち、白い裸身と豊かな胸を持つ女体が教会の中で光を放つ。
それは、蝶が羽化し、美しい羽を広げる様を思わせた。
一糸纏わぬ姿で彼女達は教会から出た。 
昇りかけの月が青白い光で新たな『女神の娘』達の誕生を祝福する。
フル…月の光に応えるように2組の乳が重々しく揺れた。
「りず…」「じぇら。呼ンデル…」
そして、二人は導かれるように森に向って歩いていった。

彼女達が森に消えてからしばらくして、教会の入り口から黒い影が這いずるように出てきた…ドグだ。
さっきの二人が蝶ならば、こちらは冬眠から目覚めたばかりの蛙の様だ。
ドグは、教会の扉につかまり、ようようのことで立ち上がる。 目は血走り、落ち着き無く辺りを見回す。
(に、逃げなきゃ…森は…駄目だ。 村の反対側に出るしかねぇ…)
ドグはきょろきょろと辺りを伺いながら、二人のシスターと反対の方にに向って小走りに逃げ出した。

月の高さからすると、日が落ちてまだそれ程の時は経っていない。 しかし、明かりを灯している家が見当たらない。
明かりは貴重品だし農村の夜は早い。 しかしまだ宵の口、明かりを灯している家が一、ニ軒ぐらいあっても良いはずだ。
「…」 ゴクリ…思わず唾を飲み込む。 
(…く…考えるな…考えるんじゃない…)
何が起こったのか考えるまでも無い。 そして…想像すれば足が動かなくなるだろう…恐怖で。
ドグは足を無理やりに動かして、出来の悪い操り人形のようにギクシャクと歩いて行く。

ザッ…ザッ…タン…不意に足音が変わり、ドグは足を踏み出した姿勢で立ち止まった。
目の玉が飛び出しそうな顔をしている。 よほど驚いたらしい。
「!…ふぅ…橋か…」歩く…というより足を動かす事にだけ集中していた為、橋まで来たのに気づいていなかったようだ。
肌寒いくらいなのに、全身汗びっしょりだ。
大きく深呼吸して、落ち着こうとする…しかし。
フワ…「!」
何度もかいだあの甘い香りが鼻腔を擽った。
ドク…ドクドクドクドク…心臓が早鐘のように鳴り響く。
ドグの目だけがジリジリと向きを変え、ゆっくりと視線を…小川の方へ…
「…はぅぅぅぅ…」
幸い今は誰も居なかった。 月に照らされた川は銀色に美しく輝いている。
「川が…」思わず呟くドグ。 川が白い…あの女たちの目の様に、白く濁りきっている。

ドグは『ミルク』の香りを振り払うように頭を振り、再び歩き始めた。
すぐに村長の家の前まで来て、そこを通り過ぎようとする。
ガサリ…「ひっ!」…ドグは何かを踏みつけ、飛び上がった。 もともと臆病な男だが、この状況では誰でもこうなるかも知れない。
ドグは慌ててその場にしゃがみ込んでだ。 そのままじっとして耳を澄ます。 幸い、誰かの気配も物音もしない。
一つ息を吐いてからつま先で足元を探る。
「なんだ?…こりゃ…」ヒラヒラしたものが落ちていた。 ドグはよく知らなかったが、それは紙…羊皮紙と呼ばれる物だった。
「…確か村長が書き物に使っていたな…そうだ、税の取立ての時に…ちっ、ろくでもねぇ…」
ドグは『紙』を捨てようとした。 しかし何が書いてあるのか気になって、それを懐にしまった。
「誰か字の読める奴に読んで貰うか」

ドグはさらに村の中を歩きつづけた。 そして、あちこちでぐっしょり濡れた服を見つける…
中身の無いそれを濡らしていたのは『ミルク』…
トス…トス…トッ…トッ…タッ…タッ…タッタッタッタッ…
ドグの足取りは段々早くなっていき、最後には全力で駆け出していた。
狭い村だ、たいした時間も掛からずにドグは村の出口にたどり着いた。 思わず安堵の笑みを漏らす。
「…やった…やったぞ! 俺は運がいい…生き残った…へ…ヘヘヘヘヘ…」
ドグはそのまま小走りに走っていく。 このままいけば、朝には盆地を取り巻くナイン・テール山の東側の山の麓に、そして山越えの道に出るはずだ。
そしてドグは村でただ一人の生き残りとなった。
だが、彼は本当に幸運だったのか…その答えが出るのはもう少し先になる。

さて、時間は多少戻る…ドグとマリブが村についたのと同じ頃、ガフ、アマレット、ボブの3人は森の反対側へ逃げ出そうとしていた。
彼らの足取りは重い。 だが急がねばならない。
日は傾き、木々の間から見える空の色は青から濃紺に染まりつつある。 森はやがて闇の帳に閉ざされる。
月は出るだろうが、間違っても夜の森で獣や魔獣に出くわしたくは無い…特に彼女達には。

「…なあ…」最後尾のボブが前を行く二人に声を掛けた。
「どうした」ガフは歩みを止めずに背中で応えた。
「これでいいのかょ」ボブの声は半泣きになっている。
「…」ガフは応えない。
ボブは傭兵になって始めての仕事だ。 仲間の大半を失って逃げ出すなど我慢できないのだろう。
「…なあ…」「やめな、坊や」さらに言い募ろうとするボブをアマレットが遮る。
「女に何がわかるょ!!」かっとしてボブが叫ぶ。
「黙りなってんだ!!…何?」言い返すアマレットをガフが手で制した。
足を止めて、今まで歩いてきた方を厳しい顔で見つめる。
「見つかったか…」「え!」
ザッ…ザッ…ザッ…木が揺れる音が遠くから断続的に聞こえてきた。

「走れ!」
ガフが号令をかけた。 途端に3人は堰を切ったように走り出した。
3人分の靴音に重なるように、木を揺らす音が近づいてくる。
「ガフッ!どっち」「ちっ!」
分かれ道にぶつかり、躊躇する3人。 その真中に白い影が2つ飛び降りてきた。
「キャハハハハハハ!」「ヤッホー!」
とっさに3人はバラバラに逃げ出した。 意識しての行動ではなかったが『白い娘』達は誰を追うか迷った。
その隙に、3人はそれぞれかなり距離を稼いだ。
二人の『白い娘』は相談すると、二手に分かれ森から抜ける道を行ったガフとアマレットを追った。

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