ミルク

19.タコ


ルウは荷馬車の柄を握り締める。 足が震えて立っていられない。
(この人たちの知り合い?…魔人なのに?…どういうことなの?…)
ルウにわかる訳が無かった。 周りの誰も事態が理解できていないのだから。

はぁ…どこからか喘ぐような声が聞こえ、オルバンたちを現実に引き戻す。
「カルーア…」搾り出す様にオルバンが声を出す。 下げていた剣の切っ先がかっての仲間の形をしたそれに向けられていく…ゆっくりと。
「おるばん。 シバラク」カルーアのまるで道端で偶然会ったかのように声をかける。
鋭い視線がカルーアを見て、その背後を見る。 白い大ダコは足をうねらせ巻き込むようにしている。 ユーモラスだが、馬車ほどもあるタコがやるとかなりの迫力だ。
「そいつか?…その化け物がお前を…いや、お前は本当にカルーアなのか?…」 オルバンの問い掛けは、カルーアに対してと言うより自分自身に投げ掛けられているようだ。
カルーアは黙りこくったまま、瞳の無い目をニ三度瞬きした。
他の傭兵達も中腰で武器を構える。 マリブは松明をかざし、ドグが一歩後ずさる。 カルーアとオルバンの間を中心にして、空気が張り詰めていく。

僅かな間を置いてカルーアが口を開く。
「…おるばん…アンタハ、コノ辺リノ生マレダッタハズネ」
「ああ…だから?…」(俺の事を覚えていると言いたいのか?)
「ナラ、聞イタ事がアル?『白イ女神』ノ昔話ヲ…」
「女神…ああ、あの話ですか」マリブが呟くように言った。 ドグも「ああ、あれか」と頷く。
「ガキの頃聞かされた寝物語だ。 マリブさんよ、よく知っていたな」
「ええ、伝承の研究中に…と、副隊長」とマリブはカルーアを昔の役目で呼ぶ。「その話が何か?」
「アタシハ『女神』ヲ捜シタノ。 コノ胸ヲ」カルーアは胸に手をやり、話を続ける。「癒シテモラウ為ニ… 女神ノ洞窟ハアッタケレド、女神ハイナカッタ。 デモ、代ワリニ『みるく』ガアッタノ。 ソレヲ飲ンダラ…」そして、見事な胸を見せ付けた。

マリブ、ボブ、ドグが目をぱちくりさせた。
「胸が治ったけど色が抜けた!?…」呆れた様にマリブが後を受ける。
「エエ…ソレト目ノ見エナイ娘達ニモアゲタ。 彼女達モ目ハ直ッタケドヤッパリ色ガ…クッ…クククク…」 
「じゃ…じゃあ、僕らを追いかけた来たのは…人だったんですか!?」とルウ。 心なしかほっとした様子だ。

だが、他の傭兵は警戒を解かない。 それどころかいっそう険しい表情になる。
「ほう、それは良かったな」とオルバン。 「ところで、宿屋のにいた他の泊り客や親父はどうした。 樵や貴族のお嬢さんが行方不明になっているんだが、知らないか。 お前らに襲われてカイゼルやココモがはぐれちまったし…ああ、その趣味の悪いタコはお前さんのペットか?」
詰問口調でオルバンが言う。
「貴族ノオ嬢サイ?…アア、てぃふぃん」
カルーアが呼ぶと、木の上から人影が飛び降りてきて、タコの頭に降り立ち、にいっと笑う。
ルウが目を見開く。「お…お嬢様…」
タコのの上に立った裸の白い少女…それがティフィンだった。
硬直するルウを、ティフィンはじっと見つめる。

な…ドグとマリブが声を上げる。 ザインとアマレット、オルバン…そしてもう一人の傭兵ガフが殺気立つ。
「カルーア…貴様…」「あんた…」
傭兵達が声を出すのと同時に、タコがズルリと右に動いた。 今までタコの陰になっていた小屋が視界に入り、戸口から中が見えるようになった。
「?…あ!隊長!」アマレットが小屋の中を指差す。
薄暗い小屋の中で、白い女が何やら妖しい動きをしている。 何かを抱胸に抱えて。
アマレットは女の顔を見定め悲鳴のような声をを上げる。
「カ…カシス!」
その声にカシスが顔を上げた。 同時にカシスの抱いていた、布の様な物がだらりと垂れ下がった。
今度はマリブがそれをまじまじと見つめる。 その正体が判かり、マリブは松明を取り落とした。
「ス…スラッシュ…」「スラッシュ!?どこだ!」
マリブが震える指でカシスを指差す。「あれ…カシスが抱いてる…あれ…」
ようやく全員が悟った。 カシスが抱いていたのは中身を吸い出されたスラッシュの抜け殻…それも骨と皮だけどころか、中身の無い皮袋か一枚の布みたいになり、カシスの動きに合わせて揺れている。

「カシス…スラッシュを…」オルバンが怒りの声を上げる。 と、
隊長…いい気分ですよ…へへ…へへへ…皮だけになったスラッシュが…愉悦の声を上げた。
「あれで…生きてるなんて」マリブが慄く。
皆がその光景に慄然とし行動を起せないでいると、カシスは悠然とスラッシュとの行為を再開する。
ああ…ああ…カシスはいとおしげにスラッシュにほお擦りする…と、ズルズルと濡れたような音が響き始めた。
スラッシュの皮が少しずつ小さくなって…いや、カシスの腕の中からずり落ちるように滑り落ちて…スラッシュの体がカシスの組んだ足の間に消えていく。 それは、スラッシュの皮がカシスの女性自身に引きずり込まれていく音だった。
ズルリ…ズルリ…ひひ…ああ・・・耳を塞ぎたくなるような…しかし聞き間違えようのない喜びの声を上げ、スラッシュは全てカシスの中に消えた。

「く、喰われた…た…助けてくれぇ!…」ドグが逃げ出した。
「ひ…ひぃ!」 オルバンが止める間もなくマリブがそれに続く。
「馬鹿逃げるな!…ちっ、カルーゥア!!」オルバンが吼えた。ザインとオルバンが並んでカルーアに切りかかる。
カルーアは後ろにに飛びのき、代わりにタコが前に出る。
「隊長!…確かタコってのは足に切り株みたいなのがついてて獲物を吸い付けるそうですよぉ!」二人の背後からアマレットが声をかけた。
「おう、ザイン出すぎるな!」「へっ、化け物に成り下がったアマなんぞ!」
ザインはタコに切りかかり、タコは足を持ち上げてそれを防ぐ。

ブルルルン… 「え?」「なんだぁ?」「切り株?というより…」
タコの足の裏、本来無数の吸盤が並んでいるべきところに…丸いものが並んでいる。 それは、大小無数の乳房だった…
「あの…抉れ胸の婆あっ! こんな妙な化け物どっから連れて来た!」ザインが呆れながら悪態をつく。 そこに油断が生まれる。
プシャー…無数の乳首から一斉に『ミルク』が迸り、ザインとオルバンに降り注ぐ。
オルバンは間一髪で飛び下がったが、ザインは頭から浴びてしまう。
「どわわっ!…乳くせぇ!…こいつ…う?…か、体が…」
ザインがよろよろとよろけ、剣を取り落とした。 タコの足がするすると伸びてきてザインを絡め取る。
「ひゃ!…気持ち悪い!…やめれ!」叫ぶザインをタコは足で巻き取ってしまった。
カルーアとカシス、さらに小屋の奥からもう一人が出てきてタコの頭に飛び上がる。 タコはザインを巻き取ったまま左手の森に滑るように逃げ出した。
ズザザザ…見かけによらぬすばやさで森の奥に白い塊が逃げて行った。

「ザイン!」「しまった、ガフ一緒に来い!アマレット、ボブはルウ君を村へ…ルウ?…ルウ!」
オルバンの言葉で皆ようやく気がついた、ティフィンとルウがいない。
「く…やられた!」オルバンは地面に拳を叩きつける。
ティフィン嬢は化け物と化し、ザイン、ルウが奪われ、マリブとドグは逃げ出した。 残っているのはオルバン、アマレット、ガフ、ボブの4人…
彼らの仕事は失敗した。

【<<】【>>】


【ミルク:目次】

【小説の部屋:トップ】