ミルク

15.スラッシュとカシス


ガラガラガラ…車輪の回る音は耳に心地よく、のどかですらある…しかし、一緒に歩いているマリブ達にはそんな事を考える余裕はない。
ピンと張り詰めた空気が肌を刺す。 とうとう我慢できなくなり、ボブが口を開く。
「しっかしさすが隊長ですよね。魔人相手に交渉なんて」ザインが受ける「おうよ、頼りになるだろうが」
アマレットが馬鹿にしたように「何言ってるんだよ。あんたが考えたわけじゃないだろう」
アマレットの口ぶりにザインがむっとする。
「ふん、俺だって同じことを考えてたさ」「よく言うよ」「なにぃ。このアマァ」「あんだよ!」
言い合いがつかみ合いになり掛けて、あわててマリブが止めに入る。
フゥ…とぼとぼとついてきていたルウがそっとため息をついた。

…一方、馬車から数百歩の距離を置き、スラッシュとカシスが馬車の後をつけるように歩いている。
二人とも傭兵としては古株で、今はスラッシュが副隊長格だ。
もっともカシスは、女傭兵の中では最年長だが経験はスラッシュどころか消えたカイゼルにも及ばない。
(カルーア副隊長がいればね…スラッシュも悪い男じゃないけど…男だから、女への気配りがちょっと…)
スラッシュを横目で見ながらカシスはなんとなくそういうことを考えていた。

スラッシュが、何だと言う目つきでカシスを見た。 カイスはちょっと慌てて、思いついたことを口にした。 奇しくもそれは、ボブがザインら言ったのと同じ事だった。 だが、スラッシュの返事はザインのそれとは違っていた…
「じゃあマリブの推測はあまり当てにはならない…あんたはそう言うのかい?」歩きながらカシスが言う。
「ああ…隊長だってそう考えているはずだ」
「へー、隊長の考えが判るんだ…たいしたもんだねぇ」カシスが馬鹿にしたように言う。
「隊長は慎重だ…あの程度の証拠で軽々しく断は下さない」そういってスラッシュがカシスをねめつける。「マリブに分析させて言わせる事に意味があったんだよ」
カシスが首を傾げ、スラッシュはため息をついた。
「いいか、馬車に戻った時マリブもボブもブルっていたろうが」「ああそれが?」
スラッシュの顔に苛立たしげな表情が浮かぶ。
「あのまま『相手の正体が判らないが捜索を続ける』と言ってみろよ。すぐに村の奴が『帰る』って言い出して、マリブが真っ先に賛成したに決まってる。そうしたら、ボブやアマレットも逃げ出したろうよ」
「そりゃ…そうだろうけど」「だからマリブに言わせた…と言うより考えさせたのさ。あいつは王都の学院にいた事がある。だからあいつの真価は頭を使う事だ。誰だって自分の得意な仕事をした直後は自身に溢れてるもんだからな」
カシスが頷く。 「そうか…」「覚えとけ、隊長の役割は決断を下すだけじゃねぇ…っと」
ピー…ピー…前の方から鳥笛の音が響いてきた。
「馬車も異常なしか…」呟いてから、スラッシュが鳥笛を口にした。
ピー…ピー…合図を返す。
「少し間が開いたな。詰めるぞ」そうカシスに声を掛けた、その直後。 ピー…別の鳥笛の音が響いてきた…背後から。
「!?」「後ろから?」二人が驚いて背後を振り返る。 道が森を貫き、先は緑の闇に消えている。
「スラッシュ!?」「間違いなく俺達が殿だ…とすると…」「ココモだ!カイゼルかも!?」
スラッシュはカシスの言葉に首を横に振る。 「今頃になって笛を使うか?きっと『白い女』が鳥笛を持っていてでたらめに吹いてるんだ」。
ピー…スラッシュの言葉が終わると同時に再び増えの音が響いてきた。 先程より少し弱い。
「息遣い二つ分の一回だけ…『来援請う』よ!でたらめじゃない!」カシスがスラッシュに詰め寄る。
「む…」スラッシュはすばやく頭を巡らす。「よし」
ピー…スラッシュも同じ様に鳥笛を鳴らした。「これで皆駆けつけて来る。それまで待つんだ」そうカシスに告げた。しかし…
ピー…後方からまた鳥笛の響き…やっと聞こえるかどうかだ。 カシスにはそれがココモの悲鳴のように聞こえた。 カシスは我慢できなくなって駆け出した。「スラッシュ後から来て!」
「馬鹿野郎!…くそ…」スラッシュは毒づいてから、足元の石を拾ってサインを作る…石を二つ重ね、向かう方向に別一つ置いた。 『こちらに向かう』だ。 そして、もう一度だけ鳥笛を鳴らすと、カシスを追って走り出した。

走るカシスにスラッシュはすぐ追いついた。
「カシス…はぁ…待ちやがれ…ぜぃ…」「スラッシュ!何で来たの!」「お前が言うな!」
タッタッタッ…並んで走る二人。
走るうちに左手の森が切れ、湖の辺を回る道に出ていた。
「はぁ…はぁ…変だぞ…誰もいない…」「お…追われているのかも…」
二人が歩を緩め道に沿って進む…と、二人の前方に木立の影からいきなり人影が現れた。
「ココモ?…違う!」「ちっ!」
その人影は森の中でもはっきり判るほどに白かった。 
「クスクスクス…オ疲レ様」『白い女』に見えるそれは含み笑いを漏らす。
二人は剣を抜いて構えた。 すると女も剣を構える。 スラッシュは女が抜き身の剣をぶら下げていた事に気がついた。
「剣も使えるのか…だがこっちは二人だ…」スラッシュがそこまで言った時、左手の湖に異変が生じた。
ゴホゴホゴボ…水面が激しく泡立ち、水が泥の色に染まる。
「むっ!?」スラッシュが異変に気づいた。
ザバッ…泡立つ泥水をかき分けて、巨大な白い泡が浮いてきた
「スラッシュ、出たっ!」カシスが叫ぶ。 そして二人は気づいた。 巨大な泡と見えたものが実は魔物だったのだ。
「こ、こいつが」「坊やの言っていた奴…」二人が唖然としているうちに、それは滑るように近づいてきた。
「で、でかい」スラッシュが息を呑む。 それは屋根つきの馬車をまるごと包み込める程の大きさがあった。 そして岸辺に近づくと、『それ』の周りが水が激しく沸き立つように揺れ動く。
バチャバチャ…ズリュズリュ…激しく水をかき回しながら、『それ』は這うようにして岸辺に上がって来た。
「こいつは…何だ?」スラッシュはそれの正体を見極めようと詳しく観察する。。
『それ』はルウの言ったとおり白い『おっぱい』の様な塊…但し、そう見えるのは上の方だけだ。 白く丸い頭とも胴体ともつかぬ物の下のでは太いムチともツタともつかない物が幾本もうねっている。
その、奇怪な魔物は、岸辺で一度止まると『ムチ』を激しくうねらせてスラッシュ達に迫って来た。 見かけからは想像できない速さで。

「ちっ!カシス、引くぞ。戻って合流…あっ!」スラッシュは来た道を戻りかけて足を止めた。 こちらにも『白い女』が…彼女も剣を持っている。
「ウフ…逃ガサナイ」そう言って剣を構えた…なぜかその姿にスラッシュは見覚えがあるような気がした。 しかしのんびり考えている暇はない、『おっぱい』が迫ってくる。
カシスとスラッシュはすばやく辺りを見回す。 正面からは『おっばい』、右に最初の『白い女』、左手にもう一人、そして背後は森…
スラッシュは頭の中で状況を分析する。
(背後に…いや、下生えに足を取られて『おっぱい』に追いつかれる。 左か右…だめだ剣を持っている。争っているうちにもう一人と『おっぱい』が来る。)
「スラッシュ!背後に小道が!」カシスが叫ぶ。
「よし、そっちに逃げるぞ!」言ってカシスを押し、自分も後から続く。

人一人がやっとの小道が木立の間を縫うように続いている。そこを二人は駆け抜ける。
「スラッシュ!『おっぱい』は?」「この狭さじゃついてこれまい…い!?」カシスに応えつつ背後を振り返ったスラッシュは絶句した。
ニュルム…ニュルム…速度を落としつつも『おっぱい』が木の間をすり抜けてくる。 どうやら、丸い胴体は相当な柔軟性があるようだ。 そして、その上に『白い女』達が乗っかっている。
「やばい!」今度こそ後も見ずに二人は走る…走る…そして、森の中の小さな広場に飛び出した。
「スラッシュ!小屋よ!」「逃げ込め!」
がっしりした作りの丸木小屋、その扉に体当たりをかまして二人は中へ転がり込んだ。 起き上がって、急いで扉を閉め閂をかける。 窓が閉ざされているので、小屋の中は夜のように真っ暗になった。
ズズーン!…鈍い音がして小屋が揺れた。 『おっぱい』が体当たりをかけたらしい。 
ズズーン!…ズズーン!…二度三度体当たりが続く。 しかし、小屋も扉もびくともしない。 思いのほか頑丈な小屋のようだ。

小屋が3回揺れた後静かになった。 とりあえず体当たりはやめたようだが、二人は扉を押さえ続けた。 耳を澄ますとジュルジュルと濡れた音がしている。 まだ待ち構えているようだ。
「随分と頑丈な小屋だね」「ああ、大型の肉食獣を警戒して建てたのかな」応えてスラッシュは扉を離れる。
「スラッシュ?」「この様子なら大丈夫だろう。奥にもう一部屋あるようだ。そっちを見てくる」
そう言って、スラッシュは手探りで間仕切り伝いに歩き、奥の部屋に入った。 こちらも同じように暗い。
壁を探って、窓にも閂が挿してあるのを確認すると、今度は明かりを捜す。
壁に棚があり、底に木の皿が置いてある。 さわるとこげた後がある。 さらに探るとヌルリとした感触の壷と麻らしい太い紐の束がある。
「油と灯心だな…この皿が灯明か…カシス!奴はどうだ?」スラッシュはカシスに声をかけた。
「…何か音はしているけど…きやっ?…」ビチャッと音がして、カシスが妙な悲鳴をあげた。
「どうした!?」「やん…ん…あん…ん…何でも…大丈夫…」最後は妙に艶っぽい声でカシスが無事を告げた。
「驚かすな!」ブツブツ言って、スラッシュは油を皿に注ぎ灯心を挿す。 そして自分の道具入れから火打石と火口を取り出した。
カチカチッ…二度ほど火打石を切ると火口に火が付いた。 チリチリと赤い種火を灯心にあてて軽く吹く。 油を吸った灯心にポッと火が点りユラユラ揺れる光が辺りを照らす。
フウッ…「カシスか?」スラッシュは首筋に人の息を感じて振り向いた…頼りない灯明の明かりが瞳のない白い目に映る…
「!?どこから…」
スラッシュが剣を抜く前に、『白い女』がスラッシュに抱きついてきた。 首に腕を絡めスラッシュに顔を寄せる。
「ネェ…アタシト…シヨウ…」甘い息を吐きかけながら、彼女はスラッシュに口付けて来た。
気の遠くなりそうな程甘い息がスラッシュに吹き込まれる…

【<<】【>>】


【ミルク:目次】

【小説の部屋:トップ】