ミルク

14.策略


ザクッ…皮靴が湿った砂にくっきりとした跡を残す。
オルバンは険しい目で泉の辺に転がる『其れ』を睨みつけた。
「カイゼル…」呻く様に呟くと、砂に転がる皮胴衣に歩みよろうとした。 
しかし、足を踏み出しかけた姿勢で動きを止め、慎重に辺りを見回す。
足元に転がっていた石を一つ拾い上げ、泉に向かって放り投げる。
ボチャン… 
予想通りの音がした。 水面に波紋が広がるが、それ以上何かが起こる気配はない。 オルバンは辺りを警戒しながら皮胴衣に近づいた。

オルバンがいる泉の近く倒木の脇では、スラッシュと女傭兵がココモの脱いだ皮胴衣を調べていた。
「カシス。 こいつはココモの胴衣と下穿きだな」とスラッシュが、やや年のいった女傭兵に確認する。
「ああ、間違いないよ」そう言って女傭兵は皮胴衣に手を伸ばす。
「よせ」スラッシュがカシスの手を掴んだ。 カシスは『なぜだい?』という表情でスラッシュを見る。
「濡れてる。 毒かもしれん。 マリブに調べさせよう」
そう言って、スラッシュは、皮紐を取り出し、胴衣やその他に触れないようにしながら一まとめにくくる。
そうしていると、茂みの向こうからオルバンが同じようなものを引きずってきた。
「スラッシュ、カシス」二人を呼ぶ。
「隊長。それは?」スラッシュがオルバンに聞く。
「カイゼルの胴衣だ…それはココモのか…」オルバンは尋ねるというよりは事実を確認するように言った。
スラッシュとカシスが黙って頷く。
「…ちっ。 スラッシュ、後ろから持て。 カシス上と後ろを警戒しろ」
オルバンは、ココモとカイゼルの胴衣に辺りの枝をさして肩に担いだ。 枝の後ろからスラッシュが担ぎ、その後をカシスが警戒しながらついて行く。

3人は直ぐに街道に出た。 そこには、残りの者達が馬車を中心に集まっていた。 みな疲れた様子だ。
「よう、隊長さん」ドグが地面に座り込み、首だけ回して声を掛ける。「いたか?」
オルバンは黙って荷を地面に降ろし、それを示す。
「…」ドグは首を横に振った。

「た、隊長…」マリブが声を振るわせてオルバンに話しかける。「あ、相手は想像していたより手強いようです…紹介所に繋ぎをとって、お、応援を…」声ばかりか手も震えている。
「いや、そいつは出来ん」オルバンがマリブの提案を却下する。
「何故です!」マリブの声は悲鳴に近い。
「阿呆」そう言ったのはスラッシュだった。「俺達が何をした?貴族のお姫様は見つけたか?得体の知れない化け物と戦ったか?」
「…し、しかし…」
「マリブ、スラッシュの言うとおりだ」オルバンは一度言葉を切り、ため息を漏らす。「これだけ人数がいて、子供みたいな連中に引っ掻き回されて仲間が二人やられただと…お前ならどうだ、そんな間抜けな連中に手を貸しに来るか?」
「…」マリブは黙る。
「自分達で成果を挙げるか、せめて連中の一人なりを捕らえるんだ。 さもないと…二度と仕事は来ないぞ」オルバンが続けた。
マリブ以外の傭兵にも動揺が走る。 仕事が来ないということは、明日から路頭に迷うと言うことだ。 他の仕事があるくらいなら危険な傭兵の仕事などやっていないのだから。

「やれやれ、大変だな…さて」ドグはそう言って立ち上がる「悪いが先に帰らせてもらうぜ。 俺は傭兵じゃないからな…」
「悪いがそれは駄目だ」オルバンが静かに言う。
「なにぃ!」ドグがいきり立ち、オルバンに詰め寄る。「俺は村長の言いつけで来てるんだ。手前の指図は受けねぇ!」
「まぁ待て」オルバン手を上げてドグを制止する「おいマリブ」
「へ?」急に話を振られて、マリブが面食らう。「な、なんです。隊長」
「この状況で、一人か二人を分けて行動する…どう思う?」
マリブは手を口に当て考え出す。 手の震えが徐々に収まっていく。
「…危険ですね」そう言った時には声の震えも収まっていた。
「な、どうしてだ!」ドグが怒りの声を上げる。
マリブがドグの顔を見る。 先程までに比べて随分落ち着いているようだ。
「奴らは囮まで使って僕達を分断してから、人数の少ないほうを襲いました」スラッシュ達がマリブの背後でうんうんと頷く。
「となれば、残った全員は固まって行動すべきです。 もし、貴方だけ…いや、ルウ君も一緒に村に帰ろうとすれば…奴らに襲われれる可能性が高いと思います」
ドグは言葉に詰まった。
「俺も同意見だ」とオルバン。「奴らには俺達全員を一度に相手にする力はないんだろう…まあそうしょげるな。日暮れ前には一度村に引き上げる。 明日まで付き合えとは言わんから今日いっぱいは我慢してくれ」
そう言うと、オルバンは身をかがめ、カシスの腰の辺りにしがみ付いているルウと目線を合わせる。
「すまんなルウ。見通しが甘かった。君も今日だけは頼む」そう言って軽く頭を下げた。
ルウは、目を潤ませてしゃくり上げていたが、そう言われては頷くしかなかった。

このまま捜索を続ける事について、全員の同意を(一部しぶしぶながら)取り付けると、オルバンはまずカイゼル達の残した物をマリブに調べさせた。
しかし、武器がなくなっている以外にはたいしたことは分からない。
マリブは胴衣を濡らしている『ミルク』が、毒や酸のような危険な物ではなさそうだとだけ告げた。
結局、カイゼル達がどうなったのか分からずじまいであった。

「さて」オルバンは改めて一同を見回した。「マリブ、もう一度考えてくれるか。奴らの襲撃に対処しつつ、ティフィン嬢を捜す方法をだ」
オルバンに言われ、マリブは腕を組んで額に指を当てて考え始めた。
「そうですね…さっき隊長の言ったとおり、我々全員を一度に襲うだけの力はないと思います」と述べるマリブ。
「ちょっと待てよ。宿屋には10人近い人間がいたのに襲われたぞ!」ドグが言うと「宿屋の人達は寝ていました」とマリブは答えた。
「し、しかし…そうだ!ぼうずの言っていた『おっぱい』の化け物の事があるだろう。あれが出てきたらどうするんだ」食い下がるドグ。
「推測ですが」断ってからマリブは続ける「仮に『おっぱい』で僕らに対抗できるなら、最初から使うでしょう。 出してこないという事は、戦力的にこちらの方が勝っているのでは…」
「おい、いくらなんでも楽観的過ぎるぞ!」怒鳴るドグ。
「それがどうしました」澄まして応えるマリブ「どう考えたって出てくる時は出てきます。魔物の都合まで判りませんよ。外れたらそれまでです」
あんぐり口をあけるドグ。
「…つまり『おっぱい』は不確定要素という訳だな」オルバンが確認するように言うと、マリブは悔しげな表情をする。
「すみません、向こうの都合で出せないのか。それとも切り札として隠しているのか…」
「いや、取り合えず『おっぱい』は勘定に入れなくていい」オルバンが言う。
マリブは頷いて続ける。
「ですからこのまま全員揃って行動し、警戒しつつ捜すのが安全ではないかと」
マリブの答えにオルパンは考え込む。
「確かに捜索を続ける場合、行動する上ではそれが最も安全だろう…しかし」言葉を切るオルバン。「捜索に掛かる時間が増える…すると…あまりうまい策ではないな」
言われてマリブが肩をおとす。「そうですね…」

他の傭兵達も必死で考えている。 と、オルバンが何か思いついたようだ。
「まてよ…連中は人間の言葉がわかる程度までは利口だ…それならば交渉の余地があるかも知れん」
オルバンの言葉に全員が驚く。
「交渉?」
「そうだ、連中の一人を捕まえ人質にする。そして、そいつをティフィン嬢と交換する」
『交換!!』何人かが頓狂な声を上げた。
「うむ、もしティフィン嬢を捕まえていれば交換する。知らないならまだ逃げている訳だから、捜索の妨害をさせない事を交換条件にする。そしてもし、ティフィン嬢に危害を加えていれば…」言葉を切るオルバン。「…人質もろとも…それで片が付く」
「なるほど」スラッシュが感心する。
マリブも考え込む。 
(言葉を話せるし、囮を使える…それを逆手に取るか…)

他の傭兵も少し考えて、オルバンの策に賛同する。
「それで、具体的にはどうやって捕まえるんだ?」とスラッシュ。
「少人数に分かれ、馬車を中心にして等距離だけ離れる」
「そんな事をしたら襲われます!」とマリブ。
「襲わせるんだ」とオルバン。「リスクは承知している。いいか、襲われた奴は鳥笛で『敵襲』を知らせ、後は全力で時間稼ぎをする。他の者はそこに集まり奴らを…」
「捕まえるですね!」ボブが上ずった声で言う。
「うむ、手に負えなければ殺してもかまわん。だが出来れば一匹捕まえろ」
オルバンの言葉に全員力強く頷く。 もっともそれは、見えない相手に対する恐怖心の裏返しでもあったが。

簡単な打ち合わせを済ませ、オルバン、スラッシュはそれれぞれ他の傭兵と2人一組となって森の中に分け入った。
馬車の周りに残るのは、マリブ、ボブ、ドグ、ルウそして傭兵のザインと女傭兵のアマレット。 経験が浅いか、戦えない者を馬車に集め、ザインとアマレットがサポートする陣立てだ。
そして馬車の動きに合わせ、森の中に散ったオルバン達が一定の距離を置いてついて行く。
ガラガラガラ…人数を減らした馬車の一行は緊張した様子で進んでいく。
やがて、鳥笛の音が響いてくる。 一つ…二つ…背後から、そして斜め前。
「みんな無事ですね」とマリブ。
「当たり前だ」とザインが不機嫌そうに応じる。

「フム…ナルホド…」茂みの中からカルーアが一行の動きを監視していた。
体に泥を塗って、目立たなくしている。
「姐様、罠ヨ」彼女の横に、同じように泥を塗ったココモがいる。
「ワカッテイル…誰カヲ襲ワセテ、其処ニ全員ガ集マルツモリネ」カルーアは黙り何かを考えている。
サクサクサク…足音が聞こえてきた。二人は身を硬くして、気配を殺す。
二人のそばを、スラッシュとカシスが通り過ぎていった。 カルーア達には気がつかなかった。
サクサク…足音が通り過ぎていくとカルーアは身を起こす。
「ここも」「ハイ、姐様」
カルーアはココモに耳打ちする。
ココモは頷き、にぃっと笑って足音も立てずにカシス達の後を追う。
そしてカルーアは口を窄め、音の無い口笛を吹く。
程なく、森の奥から何かの気配が現れた。
ザワザワザワ…茂みがざわめく。
「キタカ…今度ハオ前ニ働イテモラウ…フフ…」
そして、カルーアと『何か』はココモの後を追った。

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