ともしび

35.蛍のともしび


「よいしょっと」 敬と川上刑事は薫を体育館裏口を入ってすぐの所に運び込んだ。

川上刑事が彼女に上着をかけている間に、敬は外に出て蛍に駆け寄ろうとする。

シュー… 微かな音と匂いに川上刑事が顔を上げた。「ガス!?いかん、さっきボンベが倒れた…」

ズーン!! 倒れたボンベの辺りで小さな爆発が起き、ボンベのレギュレータを覆う金具が飛び散った。


不思議な感覚だった…蛍には金属の破片が、ひどくゆっくりとこちらに飛んでくるのが見えた。

そしてそれが、自分の胸に食い込むことが、体の中の『灯芯』を両断し、自分がここで終わる事が…判ってしまった。

(ああ…ボクはいっぱい悪い事をしたから、仏様の罰が当るんだ) 他人事のように思った。

(敬に会えたから…最後に敬といい事できたから…もういいかな) そっと目を閉じる。

(敬…泣くかな…泣かれるのは…嫌だな…)


それは奇跡だったのだろう。 

ボンベが背後で爆発した時、敬は蛍から10歩ほどの所に居た。

蛍の目を見た瞬間、彼女めがけて破片が飛んできているのが判った。

迷わず駆け出す敬。 両足が在り得ない速度で地を駆ける。

間に合わないはずの瞬間に、敬は間に合い…多分、運命を変えた。


力強く抱き締められ、蛍は目を開けた。

敬が目の前で微笑んでいる。 倒れている蛍に敬が覆いかぶさっていた。

「敬…」 蛍は敬を見つめる。「ボクを…助けてくれたの…」

敬が頷いた「間に合った…よ」

「敬…」蛍が泣きそうな顔になる「あ…有難う…う…」

敬が蛍の涙をそっと拭った「笑って」

蛍は無理して笑顔を作り、泣き笑いの顔で敬を見つめる。

「それでいいよ…蛍」敬はそう言って、静かに目を閉じた。

「敬…?」訝しげな声をだす蛍。 そして気がついた。 

敬の胸が濡れていくのを…

彼の鼓動が止まったのを…

破片が敬の心臓を貫いていたのを…

蛍の笑顔が凍りついた。


「あら…ここで何をしてたの。刑事さん」

「エミ!やっぱりお前か!騒ぎの元は!」

爆発の衝撃で床に倒れた川上刑事は、奥からやってきたエミに助け起こされた。

「失礼ね。騒ぎを収めていたところよ」エミはやや口を尖らせながら応えた。「それより今のは何?」

「おっといかん」川上刑事はエミをそのままにして表に出て、倒れている二人に駆け寄った。

「君たち大丈夫…」二人に話しかけて、絶句する川上刑事。

「こんなの間違ってるよ…ねぇそうでしょう」蛍が泣きながら笑っている。 凍りついた笑顔のまま涙を流している。

「悪いのはボクなんだよ。敬が…けいの命の火が消えるなんて間違ってるよ」蛍は敬を揺する。

「ねえ起きて。やりなおそうよ。こんなの間違っているよ…ねぇ敬」

川上刑事の後ろに来たエミが足を止めた。

二人が見つめる中、温もりの残る敬の体を蛍は揺すぶり続けていた。


………………ん。

ズキン……痛い……痛いんだ……

ボク……だれ……いつ…

乱れる思考が纏まる前に手が動く。

冷たい何かを叩き、丸いものが手に収まり、握り締める。

その動作が意識を浮上させ、最後に目が開いた。

白い天井…パタパタと足音が右手から聞こえる。

首をそちらに向けると白い服の女、ベージュの服の懐かしい女性、灰色の背広の…

思い出す前に皆が上から覗き込む。

「母さん…」 呟いた敬を母親が抱き締め、敬は胸の痛みに顔をしかめた。


一週間後、敬は退院した。

『破片は君の背中から入って肋骨を抉って左胸から外に抜けた。にもかかわらず肺と心臓、大動脈は無事…君は

運がいい。奇跡的だよ』医者がそう言っていた。

そして翌日、敬は警察に呼ばれた。

立会いの初老の弁護士と挨拶を交わした後、神妙な顔で座っていた敬の前に座ったのは…あの刑事だった。

「名乗るのは初めてだね。川上礼二だ」若い刑事は自己紹介をすると、調書らしきものを広げ、ペンを片手に話し始めた。

「先日マジステール大学の体育館でガス爆発があり、君がそこで負傷した」川上刑事は姿勢を正して敬を見る。

「はい…」敬は頷いた。

「僕もその場にいたのだが…正直な所何が起こったのか今ひとつはっきりしない」考え込むような仕草をする「君が

知っている事を話して欲しい」

敬は黙って川上刑事を見返す。 弁護士が口を開きかけたが、川上刑事がそれを制した。

「あの場にいた他の人達からは、もう話を聞かせたもらった」川上刑事は言葉を切った「二人を除いて」

敬ははっとして顔を上げる。

「蛍と言う名の少女…彼女は行方不明だ。それと君を助けに来たらしい女性、こちらも見つかっていない」

敬は口を開きかけ、閉じる。

「それ以外の関係者の話は聞いたんだが…なんというか…」困ったような顔をする。「そういう訳なんだ。頼む、正直に

話して欲しい」

敬はしばし迷い、そして話した。 全てを正直に…


話が終わった後、川上刑事はしばらく机をペンで叩いていた。 

弁護士が表情の読めない顔で、敬が退院したばかりであることを指摘し取調べは終わった。

退室する敬に川上刑事は言った。「心配しなくていい。罪に問われるようなことは無いはずだ…君達が」

敬は会釈しながら、彼の言葉に奇妙な引っかかりを覚えた。


数日後警察発表があった。

それによると、今回の騒動は一ヶ月前に発生した毒入りミネラルウォーター事件、それが再び発生したと言うことに

なっていた。

事件の折にばら撒かれた正体不明の幻覚剤入りミネラルウォーター、それが再びばらまかれ、それを飲んだものが

今回の事件を引き起こしたと言うのだ。

敬はパソコンで記事を読みながら考えた。

(ジョーカーさんだ…あの刑事さんもひょっとして)あの場に居た川上刑事が知らないはずは無い、そして…

「蛍は…?」 ズキン…胸が痛んだ。

(退院してから一度も蛍には会っていない。 ひょっとして山に…あの滝壺に帰ったのだろうか…)

考え事をしているうちに、無意識にWebの履歴を辿っていたらしい。 怪しげな画像やら動画がパソコンの画面で

踊っている。

「ありゃ…」苦笑して画像を止める。 

そろそろ寝ようかと椅子を引いた時、膝が当って引き出しが開き中のものが目に留まった。 一本のロウソクが…

「!」 

それをつかみ出し、しげしげと眺める敬。

(忘れていた…これを使えば?)

火をつけようとしてマッチを持った手が止まる。

(…返事が無かったら…)

顔を上げて窓の外を見る、無数の灯り…あの一つが蛍かもしれない。 もう蛍は自由なはずだ。 その気があるならば、

とっくに会いに来てるのではないのか。

(蛍は…僕に会いたくないのかも知れない) 蛍に連絡をつけるのが怖くなり、敬はロウソクをしまった。


パジャマに着替えて電気を消す、ベッドに潜り込もうとして部屋の向こうにかすかな灯りを見つけた。

(蛍!)

跳ね起きて電気をつける…鏡に自分が映っているだけだ。

「何だ…」がっかりしてベッドに座る「…あれ?何が光ったんだろう」

自分の体のあちこちを確認し、パジャマを脱ぐ。 胸に巻かれた包帯が痛々しい。

「まさか…」 震える手で再び電気を消す。 

「…」包帯の下が淡く光っている。

そっと包帯を外していく。 赤い傷跡が露になり、その傷口が淡いピンク色に光っている。

「蛍…ここにいたの」

”やっと気がついた…”体の中から声がした、蛍の声が ”鈍いよ…敬”

「蛍…」 敬の両目から涙が零れ落ちる。

”ごめん敬…” 蛍の声が沈む ”ボクのせいで君の心臓が駄目になっちゃった…だからボクが代わりになったんだ…”

「そんな事ない。蛍のせいじゃない」敬は首を横に振る、何度も何度も。

”あのお姉さんが考えてくれたんだ。 心臓は血を流す為のふいごみたいなもの。 ボクが代わりを務めることが出来

るかも知れないって”

「蛍…いいのかい…君はそれで…」今度は敬の声が少し暗くなる。

”敬、ボクは嬉しいんだよ。 これでボクは敬の役に立てる。ずっと敬のそばに居られる。もう一人になることは無いん

だよね…”

敬はそっと自分の胸を抱いた。 蛍のともしびが手に暖かい。

”敬、もう離れない。ボクはずっとここに居る…”

<ともしび 終>

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