ともしび

32.暖灯と町の灯


少年は、まどろむ様に夢とも現実ともつかぬ心地よい温もりの中を漂っていた。

両頬に少し冷やりとした手が添えられる。

そっと目を開ける…目の前に憂いを帯びた少女の顔…

「蛍…」彼女の名前を呟き、少女の手に自分の手を重ねる。

「敬…」少女の発した言葉が自分の名前だという事を思い出すのに、少し暇が掛かかり、そして忘れる。

ここには二人しか居ない、名前は不要なのだから


ほんのりと桜色した唇が彼に触れる。

彼はかすかに唇を動かし、少女の唇の感触を楽しむ。

二つの唇は、互いを愛しむ様に、そっと、そっと…動き続ける。

濡れた百合の花びらのような可憐な舌が、少年の唇をなぞった。

少年の舌が彼女の呼びかけに応え、互いの舌の先が触れ合った。

神聖な儀式を行っているかのように、ゆっくりとした動きで互いを確かめる。


互いの腕が背中に回され、ふたりの体を密着させた。

控えめな膨らみが、肋骨のかすかな凹凸を滑り、少年の胸に尖った乳首が柔らかく食い込む。

小さく上下するそれが、甘く幸せな軌跡を少年の胸に刻み込み、胸の奥を震わせる。


きめ細かな少女の腹部が、少しだけ男を感じさせる腹筋に寄り添った。

少年を受け止める雌型を取ろうかと言うように、やさしく吸い付き互いの温もりを感じあう。


白い脹脛、張りのある太ももが少年の足に絡みつく。

下から上に少年の足を手繰り寄せつ、互いの熱い望みを近づける。

少年と少女は互いの目を見つめ、心を通わせた。

何の悔いもない…とはいかない。

少年は少女の、少女は少年の望みを叶えられなかった事を知っている。

しかし、今は…それは忘れよう…さもなければもっと悔いが残るから。


少年が少女に触れ、少女は身じろぐ。

少年が微かに前後し、少女の意思を確かめると、熱い蜜が少年を包み込んだ。

切なげな表情になる二人。

そした互いの体が、お互いの意思に支配される。

少年自身が、少女の望むままに少女の中に導かれていく。

少女自身は、少年の最も感じる部分を巧みに操り、少年を深い夢幻の境地に誘う。

一歩進み…躊躇いがちに半歩引き、そしてまた一歩前に進む。

互いを確かめ合う動きが、深く…深く二人を結び付けていく。


あふれる蜜が少年の魂の座を濡らす頃、二人の魂のともしびは、一つの炎となって燃え上がる。

自分を認識できなくなる程の愉悦に漂い、求めるものを全て手に入れたかのような絶頂に酔いしれる。


長く、そして短い夢が覚めていくにつれ、少年は奪われ、少女は奪っていることを自覚する。深い悦びと共に。

少女は罪を自覚し、眼差しで少年に許しを請い、少年は少女を許し再び口付ける。

少女はそれに甘え、二人は再び幸せな時に戻っていく。


「ああ…」「ひぃ…」

うす暗い浴場の中、やせ衰えた男達に『薫』や『委員長』が体を重ね淫靡なうめき声を上げさせている。

その傍らに佇む白い人影…それは敬。

人間ロウソクと化した敬に『蛍』の炎が寄り添っている。

僅かずつ、しかし確実に敬の体はやせ衰えていく。

「敬…ごめん…敬…ごめん…」『蛍』は許しを請いながらも敬から離れようとはしなかった。


「長い一日だった…」

エミは列車の4人掛けの席に深々と腰掛けた。

列車が走り出すと同時に携帯が振動し、エミは発信者を確かめて電話に出る。

”やっほーミスティだよー” 明るい声が疲れた頭に痛い。

「早かったわね。それで何か判った?」

”んーとね、知り合いのミレーヌちゃんって魔女に聞いてみたら…”

ミスティの言によれば、『灯心』に関して蛍の父親の調べた内容がほぼ正しいと言うことだった。ただ一つだけ違って

いた事がある。

「中東?中国じゃなくて?」

”うん、起源はそこだって。但し、人づてだし確証は無いらしいけど”

「そう…」エミは言葉を切った「まあいいわ。それより私の質問の答えは?」

”ん…『魂のともしび』になってしまった者がどうなるか…えーと”パラパラとメモか何かをめくる音がする。”『魂のともしび』が

一人だけならば問題ないが…複数の『魂のともしび』一箇所に集まると狂い始める…”

”『魂のともしび』の輝きには人の心を狂わせ、欲望を剥き出しにする力がある…で『魂のともしび』自身が元は人間の

魂な訳だから…複数の『魂のともしび』が一箇所に集まっていると互いを照らしあって連鎖反応し…最後は一つに固

まって人の心を持たない『肉欲の炎』になると思う…だって”

「『蛍』の言ったとおりか…」ポツリと呟くエミ。「それで次…『魂のともしび』が人に戻る事は可能?」

”体があれば…『魂のともしび』を咥えさせて、『灯芯』を引き抜くか、切断すればいいって”

「…そんな乱暴な。本当に大丈夫なの?」不安そうに聞くエミ。

”絶対確実とは言えないけど…だって”

エミは額を抑え、次にはっとして聞く。「体があれば?じゃあ『蛍』ちゃんは」

ミスティからの答えが遅れた。”…死んだ人間は生き返らない…そう言ってた”

携帯電話を持つ手に力が入り、罪の無い電話は抗議の悲鳴を上げる。

「最後に…『魂のともしび』を滅ぼす方法は?」

”『灯芯』を真ん中から切ればいいって…それで『灯芯』は『魂』を保持する力を失うはずだって…”

「そう…」

”それとね、炎が大きくなるほど、より大量の精気が必要になるって”

「え…そうか、そうよね」

”普通のロウソクの炎ぐらいだと、ロウソク一本分の精気で4、50年は持つ。でも、人型のロウソクになって動き回る

には、絶えず精気の補給が必要…かがり火みたいな炎を出すには、一日に男ニ三人を吸い尽くすぐらいの精気が

必要だろうって”

「そうなの…判った。有難う」エミは電話を切った。


(人でなくなったとしても『蛍』…あの子は生きている…生きようとしている)

エミの横顔を沈みかけた夕日が照らす。

(でも…あの子が『人』として生きるには問題が多い、助けたとしてもまた同じ事になる可能性だってある…)

列車がトンネルに入り、一瞬辺りが闇と化す。

(それでも助けるの…エミ? そこまでしなければならない理由は?)

鉄の車輪が立てる轟音が激しく耳を打ち、それが唐突に終わった。

顔を上げると、日が沈んで町の明かりが見え始めていた。 間もなく駅に着く。

エミは無数の町の灯を見ながら思う。

(あの子は…あの子達はあの煌きの一つ)一つ瞬きをする(そして私も)

エミは窓ガラスに映った自分が笑っているのに気が付いた。

「お人よし」


駅に止まった列車から降りながらエミは呟いた。

「乗りかかった…いえ漕ぎ始めた舟、どこかに付くまでは漕ぎ続けるのが船頭の責任よね…」そしてちょっと首を捻る

「願わくば、座礁して沈没したりしませんように…」

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