ともしび

33.消火作戦−エミ:風の舞


駅からマジステール大学キャンパスまで歩いて20分。 丁度その中間に『水神町警察署』が立っている。

エミはキャンパスに向かって歩きながら、左手の車道越しに警察を伺う。

日は落ちているが警官が途切れなく出入りし、尋常でない雰囲気が漂っている。

エミは平静を装いつつ考えた(まさか『蛍』達が?)

「おい」聞き覚えのある声がして、背後から誰かがエミ肩をつかんだ。

エミはギクリとして立ち止まり、無理に笑顔を作って振り返る。 そこには険しい顔の若い男が立っていた。

「あら、刑事さん。私今日は営業していないんですけど…あら?顔色がよくありませんわね」

「誰のせいだ」怒りを押し殺した声で刑事…川上礼二が言った。「君が毒入りのペットボトルをコンビニにばら撒いて

くれたおかげだろうが」


一月ほど前のことだ。 この若い刑事は、一夜にして人間がミイラとなって変死するという不思議な事件の捜査中に

エミと知り合った。

その事件は、市販のミネラルウォーターに『水魔』と呼ばれる魔物が混入していた為に発生したのだった。

ミネラルウォーターを回収させる為にエミが取った手段…それが毒入りミネラルウォーターを置いて回るというとんでも

ない方法だったのだ。


「おかげでうちの署員の殆どは『毒入りミネラルウォーター事件』の捜査にかかりきりなんだぞ」

「あら、ごめんなさい…じゃあ私をここで捕まえます?」意地悪く言うエミ。

「…そうはいくか」忌々しげな言う川上刑事。

ミネラルウォーターに魔物が混入している…それを信じるものは皆無であったし、証明するにしても相当に時間が掛かる

ことは間違いなく、その間に被害が拡大するのは避けられなかった。

エミが起こした騒ぎおかげでミイラ事件の方は数人の死者を出しただけで終息したのだ。

「そうか…そっちで騒いでいたのね」

「そっち?」エミの言葉に礼二がぎくりとする「まさか、また何か…」

「いいえ」エミはきっぱりと言った「警察の方を煩わせるようなことは何もしていないわ」

川上刑事は(信用していいんだろうな)といった顔つきでエミを見ていたが、やがて踵を返してどこかに歩いていった。

その背に向けてそっと呟く「これからするかも知れないけど…」


エミはマジステール大学の校門の近くまでやって来た。

「?」校門の辺りを行ったりきたりする若い男がいる。 その男が低い垣根ごしに視線を注いでいるのは…体育館。

(まさか…)エミはその男に近づき、声をかけた。「もしもし」

「どわわわっ!!」 男は文字通り飛び上がり、振り返った。 それは油山だった。

エミが男の反応に驚いて声をかけあぐねていると、油山の方から声を掛けてきた。

「ひょっとして…警察の方ですか!?」期待を込めた声。

エミはすばやく頭を働かせた。

「こほん、私は水神町警察署の方から来た者です」(うん、嘘ではないと)

消火器の訪問販売詐欺のような事を言うエミ。

「やっぱり!よかった今忙しいからとか、人手が無いとか言って、誰も来てくれなくて…」

「あーすみません」エミは油山を静止した。「お話を確認したいので、お手数ですがもう一度私に話していただけますか」

油山は興奮気味に昨夜起こった事件をエミに語りだした。


(事態が悪化している…やれやれ)エミは心の中でため息をついた。

「風のおかげで僕は助かりましたが、僕と入れ替わりになった少年がどうなったかは判りません」

(風ね…)エミは心の中にその情報を刻み付けた。

「判りました。 後は私の方で調べてみますのて、今日の所は帰宅されてください」

「調べるって…貴方一人で!?」驚く油山。

「あ…いえ、とりあえず様子を見てこようと思って」取り繕うエミ。

「やっぱり信じないんですか!?」気色ばむ油山「まだ化け物がいたらどうするんですか!?」

「え、ああ…まあそうですけど」

しばらく押し問答を繰り返し、二人で体育館に行くことになってしまった。

(まずった…)内心焦るエミだった。


人気の無い体育館、その裏口に回る二人。

「お風呂がついてるなんて…贅沢ですね」裏口脇のガスボンベを横目でチラリと見ながら油山。

「そうね」エミは適当に返し、ドアを開けて中に入る。

「今日は使用されなかったようで…あれ?」と油山。「そう言えば学校に断らなくて…」

あぁぁぁぁ… 奥から聞こえてきた呻き声に二人の会話が途切れる。

(この感じ…強くなっている?)エミは耳の上辺りに、チリチリするよう感覚を覚えた。

「あわわ、やっぱりまだいる…」油山の声が震える「応援を呼んでくだ…あの?」

エミは油山を手で制した。「あの声の様子じゃ…そんな暇はないわ!」

駆け出したエミの左手に下げた物体がカチャカチャと金属音を立て、油山がそれに続く。


勢い良く浴場の扉を開けた二人の目に、かがり火と見まごうばかりの三つの炎が映った。

”誰…?”『蛍』の形の炎がのろのろと二人を見た。”おねえさん…何処かで会った様な?”

「蛍…もうやめなさい」エミは蛍の目を真っ直ぐに見た「敬君が…彼を殺す気なの」

『蛍』は自分が抱き占めている敬を…人の形のロウソクを見て、悲しげに首を振る。

”もう一人はいや…敬が欲しいの…”

エミは唇をかみ、左手に下げていた物を…薄汚れたカンテラを高く掲げた。

カンテラから炎が吹き出し…人の顔が其処に浮かび。地の底から響くような声が其処からもれた。”蛍…蛍…”

『蛍』の目が大きく見開かれた。

”とと様?…”

”蛍…もうおやめ…蛍…仏様の罰が当ってしまう…命を奪ってはいけない…ととが悪かった…お前の業はととが背負う…

蛍や…だから…もうやめておくれ…”

一気に燃え上がった炎はたちまちのうちに小さくなり、そしてすうっと消える…娘を妖しに変えてしまった男の魂、その

炎が今燃え尽きたのだった。

”とと様ぁ!?”『蛍』は叫んだ”…ひどい…どうして…どうしてぇ…”

「ひどい?」エミは『蛍』を見た。「そうかも知れないわね。では、とと様の死に目に会えないほうが良かったかしら」

”…”

「貴方のとと様は貴方の事を心配して、今の今まで生き続けていた…あんな姿になってまで」エミは敬に眼を移す「敬君は

貴方を助けに来てそんなになった」

”…”

「蛍、貴方は自分の願いだけかなえばそれでいいの?」

”おねえさん…ボクは…どうすればいいの?”『蛍』が泣きそうな顔になる。

「敬君を…命を掛けて助けに来てくれた彼に応える方法はただ一つでしょう」

『蛍』がエミを見て大きく頷く。

敬を包み込んでいたロウが急に溶けて流れ落ち、同時に『蛍』の炎が小さくなり、下から『ロウ』が競りあがって『蛍』の

体を作り出そうとする。

「油山君」エミが呆然と事態を見ていた若者に声をかけた。

「え?あ、はいっ?」事態が飲み込めていない油山が慌てて返事をする。

「二人に手を貸してやって」カンテラを捧げていた手を下ろしながら、有無を言わせない口調で命じる。

あたふたと浴場に近づく油山。 しかし

”いまさら…” ”貴方達も混じりましょうよ…”

『蛍』の背後、『薫』と『委員長』が妖しく輝きだした。

「うわわっ!」油山が凍りついたように動きを止める。

”ううっ…”『蛍』も苦しげな声を出した。

ロウで作る体が固まりきらず、半分溶けたようになっている。

と、エミの背後から突風が巻き起こり、『薫』と『委員長』の炎が大きく揺れる。

「おおっ!体が動く!」油山が歓声をあげた(でも、この風はどこから?)

「こっちを見るな!」振り向こうとする油山にエミの叱責が飛ぶ「見ると不幸になるわよ!」

「ううっ…蛍?」「敬、ごめん」

よろよろと互いを支えながら、敬と蛍が浴槽から脱出した。

油山が二人に手と肩を貸す。

「そのまま二人をここから逃がして!」エミの指示に従い逃げ出す三人。

”ううっ…” ”体が重い?…”

今度は『薫』と『委員長』の炎が小さくなる。

「もう遊びの時間は終わりよ…貴方達もお家に、自分の体に戻りなさい」そう言ったエミの背中に二枚の翼が…コウモリの

ような羽が生え、それが激しい風を巻き起こしていた。

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