ともしび

30.火元


ふむ… エミは空を見上げ、首と肩を鳴らし、大きく伸びをする。

滝の音が背中に涼しいが、心は鉛のように重い。

「取り合えずここには何もなし…まぁ期待していたわけじゃないんだけれど」 と自分を慰める 

「後は図書館、この辺りの言い伝え…」指を折って数えだし、小首を傾げ「…後は代々続いていて土蔵があるような旧家

とかお寺さんか…よし」

一つ深呼吸し、軽やかな身のこなしで滝から続く道を小走りに下っていく。


『市町村合併に伴い「樅の木村」文庫は町立図書館に統合されました。長い間…』

エミは二階建ての小さな建物の張り紙を声を出して読み上げ、それから罪のない扉に八つ当たりの一蹴りを加えた。

驚いてこちらを見た麦藁帽子の初老の男性に、エミは鋭い一瞥を投げかけて向こうを向かせると、緩やかな下り坂を

肩を怒らせて歩き出す。

村を貫く県道に突き当たると、左右に視線を投げかける。

目に付いたのは、コンビニ、無人高利貸し機「貸すときゃニコニコ君」、そして赤電話の置いてあるお婆さんが店番をし

ているタバコ屋さん。

「よし…」 エミはタバコ屋に歩いていき、店番をしていたお婆さんに声を掛けた。

「すみませーん…えーと、おばちゃん」

「あー?」店番のお婆さんが手を耳に当てて聞き返す仕草をする。

それからしばらく、二人の女の間で年齢に対する評価のやり取りがあった。


「それで?この辺りには幽霊話とか怪談とか伝わっていませんか?」

「なーんも、ありゃせんがね」きっぱりと言うお…タバコ屋の女性(これなら間違いではない)

エミは少し考え、質問の仕方を変える

「じゃあ…物の怪絡みで…艶話なら?色ボケの男が化かされたとか」

「おお、それなら」背後から声を掛けられエミは飛び上がっり、後ろを振り向く。 いつの間にやら、さっきの麦藁帽子を

含め数人の老人が集まってきていた。

「狐火に引かれて助平な男が金隠し…じゃねぇ神隠しにあったとか」と麦藁帽子。

「んにゃ、狸が寺の本堂で尼さんに化けてたってのが」

「おらの聞いたのは河童がアソコの玉さぁ抜いてったと」

てんでに勝手なことを言い始めた。

「お前ら、ええ加減なこと吹くでねぇだ」仲間はずれにされて、タバコ屋の女性が気分を害したようだ「おらさ聞いた事

もねぇべ」

「そりゃおめぇ、こりゃ男衆の内緒話で…ありゃしまった」と麦藁帽子。


エミはしばらく村の衆の昔語りに付き合い、頭の中で共通している部分をまとめてみた

「要するに…男の間にだけ伝わっている話では、昔この辺りに娘の妖しがいて、男に悪さを仕掛けていたと?」 

エミの物言いに、一同が顔を見合わせ、そしてエミを見て頷く。

「まぁ、そう言うことになるかいのう」と麦藁帽子が締めくくった。

エミは手を口元にあて考え込む。

(蛍…あの子が昔この辺でしたことが伝わっている? でもこれじゃあ…)

口伝のみで書き物が残っていなければ、記憶に残りやすい部分だけが残り、後は適当に改変されたり付け加えられ

たりする。 まして、男女の秘め事である。

(これは駄目か…と…待って)

エミは人差し指を頭にあてた考える。

(昔の事が言い伝えられているならば…当時はもっと騒ぎに…誰かが書き残している可能性は高くなったかしら?)

エミは顔を上げ、村の衆に尋ねた。

「あの、この辺りで代々続いている大きな家…そう庄屋さんとかありませんか? それとも、古くから続いているお寺さ
んとか?」

「庄屋…は戦争の前に絶えただ。 お寺さんは…確かあっちの山の上にあっただが…」と麦藁帽子が村を囲む山の

一つを指した「そっちも10年前に住職がなくなって、廃寺になっだよ」

エミはがっかりしながら麦藁帽子の指差す方を見た。

(ん?) エミは眉を寄せた。(この感じは…?)

エミは手を頭にやった。 形容しがたいかすかな「何か」をそこに感じた。

「どうしなさった?」麦藁帽子が不審げにエミに話しかけた。

「あ、いえ」エミは何でもない様子を取り繕う「それでは建物も残っていないの?」

「んー…仏様はどっかに引き取られて行っただし、墓ぁふもとに移したども…」麦藁帽子が考え込んだ「わがんね。

誰も行かなくなってだいぶたつでよ」

「そうなの…」エミは適当に相槌を打った「ありがとう」

エミは村の衆に別れを告げ、県道から畦道に折れていき、そのエミの背中を、村の衆はがもの珍しげに見送った。


しぃしぃしい… 蝉時雨を帽子のつばで払いのけつつ、エミはきつめの山道を登って行く。

「スニーカーに履き替えてきたのは正解だったけど…」立ち止まって道を確かめながら呟く「ちょつとした登山よね…お?」

左手に苔むした石段らしきものを見つけ、エミは立ち止まった。 

苔に覆われた石段は、この数年足跡を刻む者がいなかった事を示している。

(やっぱり無駄足かな…)失望を顔に貼り付け、エミは石段に足をかける。

(1…2…3…) なんとなく、石段の数を数えながら昇っていくエミ。

200ほど数えた所で終わりが見えた。

荒い息に、器用にため息を交ぜると一気に最後の数段を上がりきる。

しい… 蝉の声が途絶えた。


「え…?」エミは目をしばだたせた。

「どうされました?」目の前に座っている住職が落ち着いた声を出す。

エミは辺りを見回す。

彼女は寺の本堂らしき板張りの床にきちんと正座し、同じように正座している初老の住職と向かい合っていた。

「いえ…」

「して、何を聞かれたいのかな?」

「…」エミは一瞬迷い、そして目の前の住職には全てありのままに話し、聞くべきと感じた。

「ご住持」一度言葉を切る「蛍…そういう名の娘の妖し、それについて何かご存知でしょうか」

住職は目を閉じてエミの言葉を聴いていた。 

エミが言葉を切ると、すっと目を開ける。 

どこにあったのか、硯箱の様な漆塗りの箱をエミの前に置き、蓋を開けた。

「…」 エミは黙って住職のする事を見ている。

住職は箱の中身…三束の紙らしきものを取り出し、エミの前に並べた。

エミは紙に手を振れず、身を乗り出すようにしてそれを検める。

一束目の紙には見た事のない文字とも記号とも付かない物が踊っている。 

黒地に白抜きの文字である所から、石版か何かに彫られていたものを拓本の要領で写し取ったものらしかった。

その隣の束の紙には墨でかかれたらしい漢字がびっしりと並んでいる。

最後の紙が日本の古文書の様であった。 しかし草書で掛かれた古い文体の文字で、読めないと言う点では他の

2つと大差ない。

「ご住持。すみませんが私には読めそうもありません」気取っても仕方が無い。 エミは正直に言った。

住職は静かに頷いた。

「これは」そう言って古文書を示す「貴方の言った蛍という娘、その父親が書いたものです」

エミは顔を上げ、住職の目を見た。

「彼が犯した過ちについて…」

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