ともしび

5.妖炎


ほと…ほと… 敬の足音が響くほど静まり返った部屋。

誘蛾灯に誘われる虫のように、蛍に魅せられ歩み寄っていく敬。

敬… 来て… 蛍の声なき声が敬の背中を押す。

(蛍…蛍…) 敬の心には何も無い。 蛍への想い以外…


「敬…」 蛍は両手を広げて敬を誘う。 彼女の心も敬で満たされていた。 敬が欲しい…その心のままに彼女の全身が

淡い光を放つ。 

蛍の放つ光は、敬の瞳を通して彼の心に蛍の思いを届ける。 彼に拒む理由は無かった。

敬は着衣のまま蛍に覆いかぶさり、少女の顔をそっと、壊れもののように手ではさんだ。 そのまま顔を寄せて蛍の唇に

自分の唇を重ねる。

触れたか触れないか判らないぐらいの軽い口付け。 そして敬は蛍を見つめ…そのまま動かない。


…ブーン… 焦れたかのようにパソコンのファンが回るが。 敬は熱いまなざしで蛍を見つめたまま動こうとしない。

「…えーと…敬?」蛍が困惑した様な声を上げる。

「蛍…綺麗だ…好きだよ…」敬はどこか上の空で答える。

「あの…好きならもっと…」蛍は困惑半分、期待半分で言う。

「好きだ…だから大事にしたい…」敬の言葉は蛍への答えと言うより、自分に言い聞かせているようだ「蛍…」

(どうして?…) 蛍は当惑していた。 敬は彼女の誘惑に逆らっている訳ではない。 なのに自分を求めてこない。 

こんな事態は経験したことがなかった。


(敬…貴方の心を見せて…) 蛍は敬の目を覗き込む。 敬の奥底にある感情を感じ取ろとする。

(え…) 蛍は驚愕した。  敬の言葉に嘘は無い。 彼の心は蛍の事で占められていた…ところが、その想いが蛍に

対しての敬の欲望を押しとどめている。

「そんな…こんなのって…」 蛍は混乱した。 敬のこの態度を喜ぶ自分がいる。 敬が自分を求めてくれないのが腹

立たしくもある。 どちらも本当なのだ。

蛍の心の揺れを表しているのか、彼女の光が薄れていく…


「…蛍?」 敬のが戸惑ったような声を出した。 そして裸の蛍に驚く「…わっ! ご、ごめん!」弾かれたように蛍から

離れる。

「敬…」 蛍は困ったような顔をしていた。

「ごめん!」敬はひたすら謝る「責任は取るから…じゃない。 あ、いや、責任取らないという意味じゃなくて…えと君が

光ってから何をして…あれ?」

敬も混乱していた。 自分が何をしていたのか判らない。 しどろもどろで意味不明の言い訳を繰り返す。


くっ…あははは… 突然蛍が笑い出した。 

あははははは…  何がおかしいのか、お腹を押さえてベッドの上で笑い続ける。

「え…」 キョトンとする敬。 やがて…

ん… ふふ… うふふふふふ… こちらも笑いだす。 

二人はしばらく笑い続けた。 部屋の空気が、二人の笑い声で和んで行く。


あはは… やがて、蛍が笑いを納めた。 腕を交差させながら体を一撫でするとセーラー服姿に変わる。

「!…凄い…」 敬が目を丸くする「…それは…いったい?」

「それだけ?…」蛍はくすりと笑った「じゃあこれは?」そう言うと蛍の胸元が淡く光る。

「体が光る…」唖然とする敬「君は…いったい誰なの?」


蛍は笑みを消した。 天井を向くと胸元に手を充てて上に滑らせた。 すると手の動きに合わせ、光が喉をせり上がっ

て行くではないか。

「…」敬は息を呑んで蛍を見つめる。

やがて、薄桃色の唇の間から炎が競りあがってきた。 彼女の指が炎の下を掴み、口から引っ張り出す。

そして蛍は敬に視線を戻すと、手に持った炎をずいと突き出した。「これがボク」

「え?」敬は蛍の顔と、蛍が手に持ったモノを交互に見やる。 蛍が手にしているモノ…それは敬が洞窟で火をつけた

ロウソクだった。


「…」敬は困惑した「何を言っているの?…」そう言って炎に顔を近づける。

ユラリ… 風も無いのに炎が揺れた。 そして炎の形が変わる。

「!」驚く敬の目の前で、炎が小さな女の子の形になった。 小さくて顔が判別できないが、蛍をそのまま小さくしたよ

うな形だ。

「…これは…手品かい…」汗を垂らしながら恐る恐る蛍を見る敬。

『違うよ…』 炎が声を発した。 驚いて炎を見る敬。 『ボクが蛍…蛍の魂』

カクンと敬の顎が落ちた。 間抜けな顔で驚く敬にかまわず『蛍』が続ける。

『ボクの魂は炎。体は…』そう言うと蛍…体の方…が手を伸ばして敬にかざす。 その手から微かにロウソクのにおい

がした。『…そのロウソクと同じなんだ』

絶句する敬に蛍は寂しげな笑顔を見せた。


「ずっと昔だけどね。化け物って退治されそうになって体の大部分を切り離して、やられたふりをして滝壺に落としたん

だ」

「じゃあ、あのロウソクは」

「魂の苗床。『炎』が十分小さければあんなロウソクでも十分なんだよ。もっとも小さくしすぎてしまって…敬が火を付け

てくれてなければずっと意識が戻ら無かったかもしれない」

「すると、洞窟で話してくれた『怪談』は…」

「一部脚色したけど、概ね事実だよ」

「じゃあ」僅かに怯える敬「君は…人を…」

首を縦に振る蛍「ボクの炎は人を魅了する、そして欲望をむき出しにする…そして…」 蛍は自分の下半身に目をやっ

た。「ボクと交わりたくなるんだ」

「…」敬が険しい表情になった。 どす黒い感情が巻き起こる。 『嫉妬』である。

蛍は続けた「ボクと交わると、あの『怪談』通りのことが起こるんだ。 とてもいい気持ちになって、とろとろに蕩けていく

の。 そして溶けたモノは…僕の体の一部になるんだ」

敬は自分が蛍を恐れていない事に困惑する。 彼女は恐ろしい事を口にしているはずなのに…

「そうやって…君は人を…食べてしまうのかい」搾り出すように言う。

「全部じゃないよ」慌てて言う蛍。 敬の中で自分に対しての嫌悪が育っているのに気がついたのだ「命まで取らなく

ても、少しだけ溶けてもらって…後は夢だと思ってもらうとかできるから」

「そう…なんだ」 幾分ほっとする敬。 それぐらいなら許せるかなと思った。 

(まぁ勢いあまって全部溶けちゃった人も結構居たけど)蛍は心の中だけで続けた。


「正直…残念だ。蛍が人でないのは」そう言った敬の胸に鋭い痛みが走る。 彼は失恋したのだ。

「そうなの…ごめん」蛍が謝る。

「いや、蛍のせいじゃないよね… それで僕に迫ったのは…やっぱり…?」 敬が顔を赤らめる。 ついでに鼻の下が

少し伸びる。

敬の心の奥底と矛盾するようだが、蛍に欲情していない訳ではない。 蛍が望んでいて後腐れも無いとなれば敬とて

男。 男の身勝手が顔を出す。

しかし、蛍がとんでもない事を言い出した「うん…でも敬は全部欲しい」

「いっ!?」

「敬の体だけじゃない…敬の魂が欲しい…欲しくてたまらない」そう言って敬を熱っぽく見つめる蛍。

「た、魂!! ちょっ…どうして!?」敬の声は悲鳴に近い。

「理由なんかない…大丈夫、君の魂は大事にするから…一緒になろう」再び裸になる蛍。

「ま…待って」押しとどめようとする敬の手が蛍の胸に触れる。

ピタリ… 手がつつましい膨らみに吸い付いた。 そして離れない。

「なっ!?」

「ふふ…敬だって心の奥底で望んでいるんだよ…」そう言って胸に張り付いた敬の手を上からそっと撫でる。

敬の手に甘酸っぱい疼きが走り、手が蛍の胸にじわじわと沈んでいく。 敬がどんなにもがいても、手が離れない。

「ああ…敬を感じる」蛍が呟きを漏らす。「大丈夫…敬。 すぐだよ…すぐ…」


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