ともしび

3.くすぶり


「…」敬は椅子に背中を預けて伸びをした。 古いエアコンからの冷気が顔に当たり眉をしかめる。

反動をつけて体を起こし、パソコンに向かってブログの更新を再開する…が、数文字打って手が止まる。

「蛍…」 思い出すのはあの風変わりでHな女の子… 帰ってから気が付いた。 彼女の携帯の番号を聞いていなか

った。

迫られて焦っていたとはいえ…あんな機会は一生で二度とないだろう。 彼は今、『後悔先に立たず』という諺を重く

受け止めていた。


ベッドの上で携帯が鳴り出した。 コール3回目で番号を確認…知らない番号。

(…) 胡散臭そうな表情で番号を確認し、パソコンから番号を検索してみる。

(出た…あれ? 駅前のタバコ屋?) 首を捻る敬。 携帯はしつこく鳴り続けている。

やれやれと携帯に出る。「誰?」

「ボク…」

「誰だって?」

「ボク…ほたる…」

「ほたる…蛍!?」 敬の声がオクターブ跳ね上がった。

「うん…今、駅前…会いたい…君に…」

「いく!すぐ行く!待ってて!」 電話に答えながら大急ぎで着替える敬。

着替えの新記録を更新し、携帯と財布を持つと音を立てて階段を駆け下り、玄関から飛び出していった。

静まり返った部屋に、主の居なくなった部屋を律儀に冷やし続けるクーラーとパソコンのファンの音だけが残る。


(ほたる…どこだ…いたっ!!)

今時珍しい古風な作りのタバコ屋。 その軒の下にあの白いセーラー服の少女が佇んでいた。

息を弾ませて駆け寄る敬。「お待たせ!!」

「うん…」こくんと頷く蛍。

(あれ?)違和感を感じる敬。 洞窟であった時に比べると別人のように元気が無い。

「具合でも悪いの?元気が無いよ」と心配そうに聞く。

「うん…お日様は苦手なんだ…」とちょっと辛そうな蛍。 これをほっておくようでは男ではない。

「どこかで休む?」気遣う敬「喫茶店で冷たいものでも…」

蛍はうつむいたまま敬の袖を掴んだ。 敬が蛍を見ると頭である方向を示す…『HOTEL』

顔を赤くして無意味にあたふたする敬。 辺りの人が皆白い目で自分達を見ている気がする。

結局、近くの洋品店で大きなつばの赤い帽子を買ってあげることにした。

「ありがとう」 ちょっと不満げではあるが、蛍は嬉しそうに笑う。

敬も笑顔を返した。 (今日は…いい日だ)


「うわ…2時間待ち」看板に示された待ち時間を見てげんなりする敬。

歓声がうずまく遊園地。 二人はそこに来ていた。

地面には太陽がくっきりとした影を作っている。 そこで最初はプールを考えたが、蛍は直射日光に当りたくなさそうな

のでパス。

ならばと映画館に入ったが…今度は暗くなった途端、蛍が耳元で熱く囁き…ズボンに手を伸ばしてきた。

満席の映画館でこれはたまらない。 敬は蛍の手を引いて表に飛び出した。

すねる蛍をなだめ、今度は遊園地に誘ったのだ。 ここなら木陰もあるし、日の当らないアトラクションもある。

暗闇を走り抜けるトロッコ状のコースターの乗り場に来たのだが…長い行列で先が見えない。

しかたなく、人の少なそうなところを捜してとぼとぼと歩く二人。

「敬。あれはなに?」

敬は蛍の指差した方向を見た。「あれは…ああ、お化け屋敷だ」

定番の幽霊の絵が書かれた夏季限定の催しだが、前はがらんとしている。

「あれにしようよ」ぐいぐいと敬を引っ張る蛍。

「…」敬はちょっと迷う。 人がいないという事はあまり面白くないという事だろう。 それに敬は肝っ玉には自信が無い

作り物とわかっていてもみっともない所を見せてしまうだろう。

「ボクは…敬と一緒ならどこでも…」蛍そう言って袖をつかみ、少し下を向く。

敬はたちまちのぼせ上がる。 ここまで言われたら後には引けない。

二人は場違いな桃色のオーラを放ちながら『お化け屋敷』に突入した。


うらめしや… きゃぁー♪

ガターン!! うわぁ!

あちらこちらで悲鳴や驚きの声が上がる。 そして『お化け』達の囁き声が…

「へっへっへっ」

「うわぁ!不気味な声で笑うな」

「わりぃ。見ろよあのカップル」

「…けっガキの癖に女連れ…か…可愛い…ちくしょぅ」

「恥かかせてやろうぜ」


「敬…離しちゃやだよ」そう言いながら敬の手をしっかり握って離さない蛍。

敬のほうはにやけるのを堪えるのに必死だ。

そこに定番のコンニャクすっーと寄ってきて敬の顔にペタリ。

「きゃぁ♪怖い♪」声を上げたのは蛍の方だ。 思いっきり敬に抱きついて押し倒し、ズボンに手を…

「ちょ…ちょっと!」慌てて蛍を引き剥がす敬。

ぷぅっと膨れる蛍。


「…なんだぁ。あいつら…」と黒子姿の『お化け』が言った。

「ちっ…いちゃつく為にここに来たのかよ」

「俺達だって彼女がいれば…くそっ」

嫉妬の炎を燃やした『お化け』達は、敬と蛍の後を追い、執拗に脅かす。


「きゃぁ♪」

「わっ胸が!」


「でたっ♪」

「く…唇が!」


「あん♪」

「や…柔らかい…って何も出てないだろう!」

「うん…いけず…」


「…あ…あいつら…」

「ゆ…許せネェ…」

見せつけられた『お化け』達はぎりぎりと歯軋りをして、憎悪の視線で二人を睨みつける。

ふと蛍が背後を見た。

「…蛍?」

「ん?…いや、なんでもないよ」

散々じゃれあった二人はようやく出口にたどり着いた。

「やれやれ…やっと出た」ほっとする敬。

「敬…ボクが嫌いなんだ」ぽつりと言う蛍に敬がぎょっとして振り向く。

「ち…違うよ…その…いや」うまく言葉に出来ない敬。 蛍に何とか説明しようとする。

「ん…ならどうして応えてくれないの」潤んだ目で見上げる蛍にあたふたする敬。 蛍をなだめながら次のアトラクショ

ンへと歩いていく…


そして夕暮れ時…

二人は駅前に戻ってきていた。

「敬…うふ…夜はこれからだよ…」ゾクリとするような流し目をくれる蛍。

敬は背筋と股間に冷たいものを感じる。 不快な感じではない。 しかし、敬は言った。

「蛍…今日は楽しかった。また会いたい。もっと思い出を作りたい。だから今日は…このまま」

蛍の目に一瞬怒りの炎が見えた。 しかし…

「敬…敬はボクを大事に思ってくれている。だから待つよ。もう少しだけ…」そう言った。


敬は蛍を軽く抱き締めると、名残惜しそうに別れた。

帰り道で今日の事を考える。 (映画館…お化け屋敷…あ、洞窟もか。なにか、暗い所に行くと積極的になるみたい

だな…)

首を振ってその考えを追い出し。 彼は沈みかけた夕日に向かって歩いていった。


「ふぅ」 ビルの谷間に日が沈んだ。 辺りが闇に包まれていく。

蛍はなお敬の去った方向を眺めていたが、肩をすくめると踵を返して駅前通を歩いていく。

そして人通りの少ない所まで来ると、狭い路地に入っていった。

暗い路地を白い少女が幽鬼の様に歩いていく。


その肩を誰かが背後から掴み、手で口を塞いだ。

「しゃべるとぶっ殺すぞ!」陳腐な脅し声と共に、蛍はビルの壁にに押し付けられる。

「見せ付けやがって!このアマが…へっ…ネンネの彼氏に振られて体が疼いていないかい。 おれが代わりをしてや

るぜ!」

そう言って蛍にこちらを向かせた。

「!?」 笑っている…蛍が笑っている。 訳も無くかっとする男。 手を振り上げる。

蛍は男の顔に指を突きつけた。 男の視線が蛍の白い指先に集まる。

ポッ… 蛍の指先が光った。 白く…淡く…そして緩やかに明滅する。


「!?」驚く男。 視線が外せない。

「ふ…ボクを傷つけたいの? 違うでしょう…ボクが欲しいんでしょう…」蛍の声が男の耳に吸い込まれていく。「欲望

のままに…でも慌てないで…その方が素敵だよ」

蛍を捕らえていた男の手から力が抜けていく。

蛍は白い手で男の顔を撫でた。 しっとりと、そしてひやりとした手が頬を撫でる。

「キミは昼間ボク達を見ていた人だね…望みどおり、敬の代わりをしてもらうよ」

くっくっくっ… 蛍が喉を震わせて笑う。


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