紫陽花

28.梅雨明け


(…あ…)
ユウジは、少女達の背後にもう一つの影を見つけた。

「あなた達」落ち着いた女の声がした。
ビクッ。
少女達が身を震わせた…同時にその目の輝きも薄れる。
恐る恐るという感じで背後を振り返る少女達。
それに合わせたように、人の形の影に色が付く。
四角い闇を背負った女が、感情の読めない不思議な表情で佇んでいた。
「マリア姉様…」「マリア…」
ドクッドクッドクッ…
心臓の鼓動が耳の中で反響する。

マリアは、ついと左手を差出して床を指差す。
そこには、差し込んだ月明かりが窓の格子の縞模様を映し出していた。
(?…)
ユウジにはその意味がわからなかった。
少女達も面食らっている…と、真美が声を上げた。
「月…」
ザワッ…少女達がざわめいた。

「明けたわ…梅雨が。 さぁ、お帰りなさい」
マリアの声が響いた。

少女達は顔を見合わせ、ノロノロと立ち上がる。
ヌ…ト…ト…ペタッ…ペタッ…
気味の悪い濡れた足音を立てて、一人…また一人と少女達がマリアの背後に消えて行く。 そして…
「フミュゥゥ…アフゥ…」
真紀も立ち上がろうとし…手を突いたまま体を震わせ、何かを堪えているような仕草をする。
マリアは真紀に手を差し伸べた。
その手にすがり付くようにして、ようやく真紀が立ち上がった。
ペトッ…トトト…ペトッ…
頼りない足取りで、彼女も真美達を追った。

フゥー……
再び風が舞い、マリアの香りをユウジに届ける。
ユウジは、マリアを見据えた。
光っている…マリアの両目に、淡く青い輝きが見える。

ト…ト…
軽い足音を立て、マリアが歩み寄ってくる。
少女達の流した愛液で濡れているはずの床なのに、足音は軽く乾いている。
ユウジは、つい目を落としてマリアの足を見た。
白いソックスが交互に動き…近づいて来る。
(…これで…終わりか…)
『覚悟』…というより『諦め』…ユウジは目を閉じた…

ト…
直ぐ近くで足音がして、止まった。
フワリ…近くで空気が動いた。 身を硬くするユウジ。
…………
(?)
何も起こる気配がない。 目をそっと開ける。
目に飛び込んできたのはきちんと畳まれ、重ねられた芥子色のTシャツ、Gパン…そしてハンカチ…その向こうに佇むソックスをはいた女の足。
数日前に…『紫陽花』に置いてきてしまった自分の衣服だった。

顔を上げるユウジ…マリアの悲しそうな顔が目にはいる。
「マリア…さん?…」
「さよなら」
そういうと、マリアは踵を返し歩み去って行く。
思わぬ言葉に、呆然と見送るユウジ。
そして、彼女は少女達同様に闇に消えた。

…そんな…どうして?…
自分の心の中でそんな声がした…そして愕然とする。
…期待していた!?…
力いっぱい首を振るユウジ…狂ったように首を振り続ける。
ポトッ…ポトッ…本堂の床に雫が飛び散る…
泣きながらユウジは首を振り続けた。
そのうち目が回ったのか、床に突っ伏してしまう。
今度はそのまま、床を叩き続ける。
「助かったんだ!…助かったんだよ!…畜生!」
いつまでも…彼は床を叩き続けていた…

……………………………
ユウジが目を覚ましたのは、昼近くなってからであった。
ぼーっとした目で辺りを見回す…白い塊が目に入りはっとなる。
それは、乱暴に脱ぎ捨てられた岩鉄の衣服だった。
急に目が覚め、明るくなった本堂を隅々まで見渡した。
「!」
芥子色の…マリアが持ってきた物だ。
「じゃあ!…夢じゃない…」
しかし、床は乾ききり…少女達と岩鉄の…あの痕跡は残っていない。
結局、昨夜ここで起こったことを証明するような物は見つからなかった。

体がだるい。
手を突いて起き上がり、本堂の入り口から外を見る。
梅雨明けの空は青く澄み渡っている。
「終わったんだよ…な…」
が、それは別な意味での始まりだった。

……………………………
ヨシミツ、ヒロシ、三島そして岩鉄…は別として、3人もの人間が行方知れずになったのだ。
当然騒ぎになった。
しかも、失踪直前にユウジと三島が同じホテルに止まっていて、チェックアウトの記録が残っていない。
ユウジは警察の事情聴取を受ける事となった。
だが、本当の事を話せるはずもない…そもそも、本当にあった事だったのだろうか、あれは?…

結局、警察の追及にユウジは三島に話したのと同じ事を話してしまう。
違ったのはその結果だ。
血液検査、ポリグラフ…そして精神分析…疑われたのユウジの正気だった。
一方で、ユウジの話に基づいて、一通りの捜査も行われたが…こちらもユウジの話を裏付けるものは何もでなかった…
警察は「事件性の疑いがあるもの証拠不十分」とし、「また、精神的に不安定な面が見受けられる」としてお咎めなし。
次に行方不明の二人の少年の家族から民事訴訟…されかけたものの何が起こったのかわからないのでは訴えようもなし。

本来なら、これで責任追及は終わるはずだった。
だが三島とホテルに泊まった事を、三流週刊誌が「有名大学付属高校、体育会系 先輩と後輩の乱れた関係!!」などとデッチあげた。
その結果、無責任な誹謗中傷にさらされ…挙句、素行不良という理由で退学処分…

だが…ユウジにとってそんな事は瑣末なことだった。
「よかったんだ…これでよかったんだ…」
ヒロシや三島を巻き込んでしまった事…ユウジはそれに罪悪感を覚えていた。
だから、その後の出来事は、全て自分への罰なのだと思い込もうとした。
そしてマリアからから逃げ出した事は…
「人なんだから…人間なんだから…彼女達に惑わされちゃいけない…だから…これで良かったんだ…」
そう言い続けた…心の中で。
それは、ユウジがマリアを忘れられないという事でもあったのだが…

……………………………
一年もたつと、当事者達以外には噂をする者もいなくなった。

やがて、またあの季節…梅雨がやってきた…
しかし、もう『紫陽花』の女達がユウジの周りに現れることもなく季節は去っていった…
(本当に…さよなら…だったんですよ…ね…さん…)
一年後の梅雨明けの時、ユウジはそう心の中で呟いた。

やがてユウジは、別の高校に入り直し、大学を出て就職、社会人となった。
順調とはいえないが、人並みの人生を取り戻したように見えた…他の人からは…

そして、時は過ぎていった…


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