紫陽花

21.禁忌


……

…暗い…

…ネットリとした闇…

…体が自由にならない…

…闇の向こうから声がする…

「いいかげんに起きんか!!」

「うわぁ!?」

ユウジは跳ね起きた。

男の…それも耳障りな声で叩き起こされ、心臓がドキドキいっている。

ブルッ、一つ身震いする…肌寒い…体がじっとりと湿っている…


「ふん、いい気なもんじゃのう」

再び声がした。

尖った口調には、嘲りを含んでいるようだ。

ユウジはノロノロと頭を動かし声の主を探す。


すぐに、左手の人影…にしては大きい…に気がつく。

(…なんだ…また巨人かな…)

それが、見知った人物である事を認識するまでたっぷり20秒はかかった。

「…岩鉄…先輩?…」

岩鉄は、険しい顔でユウジを睨みつけている

「どうして?…ここは?」

「寺じゃ。 『浅学寺』という」

「お寺ですか…」

言われて、天井が高いのに気がついた。

右手の方をみると仏像もある。

どうやら、本堂の床に寝かされていたようだ。

気を失った人を、板の間に直に、それも濡れたまま寝かせていたのは、いかにも岩鉄らしいが。


ロウソクの炎に照らされた岩鉄が口を開く。

「ここの住職はわしの親戚じゃったが…失踪してのう。 それ以来わしがねぐらにしておる…それで、あの女はなんじ

ゃ?…」

「…女…」

(女…女…女…)

ユウジの頭の中で、岩鉄の言葉が繰り返され…前に進まない。

起きているのに…夢の中にいるようだ…

岩鉄は、ユウジが寝ぼけていると思ったのか、苛立った声を上げる。

「ぼけとるのか! お前を連れて歩いていた女じゃ!」

ユウジが首を傾げた。

「貴様!馬鹿にしとるのか!!」

岩鉄が、ユウジの胸倉を掴んで張り飛ばした。

ドスッ。

はずみで、ユウジの体が板の間に叩きつけられた。


……

…暗い…

…ネットリとした闇…

…体が痛い…自由にならない…

…闇の向こうから誰何の声がする…

「誰?」

ヒュゥ…細く息を吸う音…搾り出すような声…

「…静…」


そこは『紫陽花』の奥の一室。

数人の『女』達が何かを話していた。

唐突に扉が開いたが、誰も入ってくる様子がない…それで一人が声をかけたのだった。


静は短く答えた後は黙り込み、部屋に入って来る様子がない。

「静姉様…どうかしたの?…」

「…不覚をとりました…塩を…」

そして苦しげな呻き声…

ザワリ…

女達が動揺する。 はっきりと、怯えを見せる者もいる。

最初に声をかけた女…「オルガ」と呼ばれていた…が続ける。

「…静姉様、大丈夫ですか?…」 

静は、闇に姿を溶かしたまま答える。

「…しばらくは…姿を戻せません…」

部屋の中に沈黙が落ちた…


僅かな間をおいて、オルガが疑問を口にする。

「まさか…ユウジ様に?…」

「いえ…下品な…『熊男』が…」

「『熊男』?」

意味不明の単語に、皆が怪訝な顔をする。


オルガはその先を聞くことはできなかった。

静が強い調子で言う。

「真紀を呼びなさい」

「真紀を?…どうし…」

「早く!」

有無を言わさぬ口調に、オルガが黙り、他の娘が真紀を呼びに行く。


−−「浅学寺」−−


「…そして、三島先輩も…」頬を赤く腫らしたユウジが、これまでのことを説明し終えた。

岩鉄に殴られた痛みで、話が出来る程度には目が覚めた。

しかし、徹夜の上に静の妖しい技をかけられ、体は砂を詰められたかのようにズシリと重い。

話終えてしまうと、また眠気が襲ってくる。


岩鉄はユウジの様子に気がつかず、酒を飲んでいた茶碗を床に置いた。

もともと、後輩の相談に乗るつもりなど無く、ユウジから金をせびれないかと考えて話をさせたのだった。

(こいつ…気は確かか?…いかれとるな…じゃがあの女、消えてしもうたが…)

「拝み屋」もどきをしていても、岩鉄は幽霊など信じてはいない。

(まう、暗かったし…走って逃げたんじゃろう…ふむ…)

勝手に結論をだして納得する。 

が、岩鉄にしても見過ごせない事もある。

(…じゃが、三島に何かあったとすれば…警察沙汰になるかもしれん。 それはまずい…係わり合いになるのはやめ

るか…)

ユウジを見限る事にするが…懐具合がさみしい。

(うーむ、昨日の仕事はオジャンじゃったな…助けてやったんじゃから、助け賃を貰って…それで帳尻を合わすか…)

と、むしのいいことを考える。


岩鉄は、何くわぬ顔でユウジに話しかける。

「ふむふむ、物の怪の女に取り付かれたとな? 安心せい、わしが守ってやる。 格安でな」

「…えっ…はあ」舟を漕いでいたユウジは、岩鉄の声で目をさまし、慌てて返事をする。

その態度に、岩鉄がむっとする。

「貴様…わしの話を聞いておらんかったな!」

「すみません…疲れて…」

「呑気な奴じゃ… まあ、わしがおる限り、何の心配もないがの」

「そうですか…ところで…僕がどうしてここにいるのか。まだ聞いてませんが…」

うっと、言葉に詰まる岩鉄。

ユウジにしゃべらせてばかりで、自分は何も説明していなかった事に気がつく。

「まあ…なんだ…ここで行を積んでいたら変な「気」を感じての。 探っておったらお前が女に連れられていく所だった

と」

適当な事を言う岩鉄。

「はぁ…でも、あの人…静さんはどうしました?…」

「あの白い着物の女か? わしの清めの『塩』で逃げ出しおった。 ははっ」


ユウジは、はっとした。

「『塩』…そうか…」(やはり蛞蝓…)

岩鉄はなおもぶつぶつと「一晩5万…」とか何か言っているが、ユウジは聞いていない。

(『紫陽花』は…あの紫陽花の木…静さん達はあの木に巣くっていたアレだったのかもな…)

普通ならばそんな事はあり得ないとして片付けてしまうだろう。

しかし、疲労の極みにあるユウジには、それが一番納得できる考えだった。


「…おい聞いとるのか!」

またユウジが自分の話を聞いていないのに気が付き、岩鉄が声を荒げた。

ユウジは身を竦ませ、上目遣いに岩鉄を見る。

「すみません…」

「少しは自覚せい!狙われとるのはおんしじゃろうが!」

(狙われてる…そうだ…どうして?…)

ユウジは疑問を覚えた。

口封じならば、静はあの場で自分を…三島のようにできたはずでは?…

(どうして?……)

が、思考が進まない。

あふ…大あくびをするユウジ。

「ちっ、緊張感に欠ける奴じゃ…まあいい、さっさと寝てしまえ。 わしが番をしていてやる」

岩鉄に言われるまま、ゴロリとユウジは板の間に横になり…すぐに寝息を立て始める。

「おい、その前に金を…くそっ、寝てしもうた…」

揺り起こそうかと思ったが、すうすう寝息を立てているユウジに気をそがれてしまう。

「仕方ない、朝まで待つか…」

忌々しげに呟き、茶碗に酒を注ぐ…


−−「紫陽花」−−


「…と言う次第なの…わかりましたね…」静が、これまでのことを、真紀達に語り終えた。

「…あのー…静姉ちゃん…」

「姉様」

「…静姉様…それでぇ…」

真紀が恐る恐る聞く。

「『外出』を許します。 『熊男』はこの先に…多分ユウジ様も一緒です」

白い手が差し伸べられる…そこにはキラリと光る糸のようなものが…

「『熊男』は好きになさい。 そしてユウジ様を連れて来るの…いいですねて」


えっ…他の『女』達が、驚きの声を上げた。

オルガが代表で反対する。

「姉様、それは…マリア姉様の承諾も…」

が、途中で言葉を切る。

四角く切り取られた闇…そこに灯る二つの青い炎に…静の瞳が文字通り怒りに燃えている事に気がついたのだ。

「…私に…『塩』をかける…よくも…ふ…ふふ…」

静の冷たい笑い声が響いてくる…


「えーと…でも塩は…」

今度は真紀。

外出はしたいが、塩が怖いらしい。

すると、闇の中から静の白い手が伸びて、手招きをした。

真紀は、招かれるまま闇に近づき、片方の耳を差し出す。

何かを囁かれ、頷いている。

やがて、こくんと頷き、背後を振り返る。

「みんな、行こ」と背後に声を掛ける

うん…微かに応じる声が聞こえた。


真紀は、闇の中に姿を消す。

ペタペタペタ…小さな足音が幾つも響き、真紀に続いて扉の向こうの闇に消えていった…

ズルリ…ズルズル…

重いものを引きずるような音がして、静の気配は店の奥に消える。


ふぅ…

残った女達は、息を吐く。

「あの子達にまかせて大丈夫かしら?…て悪くするとユウジ様ごと…」

「マリア姉様が怒るかも…まだ泣いていらっしゃるの?…」

「いいえ。 さっき、出かけたわ」

「出かけた? まさか…」

「いえ、コイン・ランドリーに…」

「は?」


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