紫陽花

14.紫陽花?


翌日…いや、その日の昼頃になってようやく三島と連絡がついた。

深刻な問題がと言っただけで、二つ返事で相談にのってくれると言う。

とりあえず安堵するユウジ。 だが、大変なのはこれからだ。


授業を早引けさせてもらい、午後二時頃に学校を出て、小雨の中警察に向かう。

15分ほどで警察署に到着し、中に入ろうと傘を畳む。

その時、丁度三島が中から出てきた。

声を掛けようとして、先輩の隣の人物に気がついた。


(あれ山伏みたいな?…げっ…)

よりにもよって、岩鉄…先輩だ。

三島は、岩鉄にきつい口調で何か言っている。


「岩鉄。 少しは自重したらどうだ」

「ふん、医者が頼りにならなかったから祈祷を頼みにはきたんだろうが。 祈祷だって必ず効くとは限らんと前もって言

ってあったぞ!」

「しかし、祈祷の最中に急死したんだろう。 遺族の心情的を少しは考えて…」

「こっちも商売だ! 祈祷代を請求するのは当然! 払わん向こうこそ責められるべきだろうが!」

三島は、大声でわめき散らす岩鉄に閉口している。


ユウジは、警察の正面玄関で二人を待ち受ける格好になった。

所在なさげに佇むユウジに、岩鉄が気がつく。

「ん?…お主どこかであったような…おお、後輩の…剣崎ではないか」

名前を言い当てられてはしらばっくれ様が無い、仕方なく挨拶する。

「どうも、ご無沙汰しています。 先輩…自分の事をよく覚えていましたね、一度顔を合わせただけなのに」

「後輩の顔は忘れない事にしている。 いつ世話になるかわからんからな。 わっはっはっ」

自分では豪快に笑っているつもりだろうが、ただの馬鹿笑いにしか見えない。

第一、これでは後輩に『タカリに行くぞ』と宣言しているようなものだ。 本来、世話をするのは先輩の方だろうに。

「おう、顔色が良くないぞ。 悪い女に引っかかったか、物の怪にでも取り付かれたか?」

「ぶっ!」(大当たり…両方とも)

「岩鉄。 彼は俺に相談があってきたんだ。 それに高校生にたかるな! みっともない」見かねた三島が割って入っ

てくれる。

「ふん。 おい、困った事があればわしに相談せい。 後輩のよしみで安くしてやるぞ」

そう言い捨てて、岩鉄は雨の中を傘もささずに去っていった。


あっけに取られて見送っていたユウジに、三島が声を掛けた。

「よう、久しぶり。 ちょっと間が悪かったな」

「あ、いえ。 すみませんどうも…」

「うん、それで相談というのは何だ…と、立ち話じゃまずいな、喫茶店にでも行くか?」

「えと…いえ、どこか他の人いない所で…」


数分後、ユウジは署内の相談室で、三島にこれまでの事を話し始めた。

30分ほどして、ユウジは話を終えた。

三島は眉を寄せて考え込んでいる。

「…信じられないとは思うんですが…先輩?…」

三島はユウジを手で制すると、部屋の隅の電話機を取り上げる。

番号案内に何か尋ねたあと、どこかにプッシュする。

「もしもし、マジステール大付属高校の杜若寮でしょうか? 私は時雨署の三島巡査と申します」

思わず立ち上がるユウジを、三島が目で制する。 (大丈夫、まかしておけ)目がそう言っている。

「ああ、岸田さん。 そうです、昔お世話になっていた三島です。 はい、はい…いえ、実は駅前の交番に落し物の届

出がありまして…はい、担当が警邏にでていまして交番が留守で…」

(?…そうか、前田とヒデヨシがいるか確認しているのか…)

「はい…前田ヒロシ君と武田ヨシミツ君…いない?…無断外泊…はい、見かけたら説教してやります…はい、どうも失

礼しました」

ガチャ、三島は受話器を置き、そのままの姿勢で何か考え込んでいる。


カチカチカチ…壁の時計が時を刻む音だけが響く。

ユウジは我慢できなくなり三島に声を掛けた。

「先輩?…」

「あ?…うん…剣崎、その『紫陽花』に案内してくれるか?」

ユウジが驚く。

「先輩!?」思わず立ち上がる。

三島は、ユウジを身振りで制する。

「落ちつけ。 お前を信用していない訳じゃ…いや、正直に言って信じられる話じゃない。 わかるな?」

言われてユウジは落胆する。 

(確かにそうだよ。 でも…いや、だからこそ相談をしにきたのに…)


そんなユウジを説得するように三島が続ける。

「まあ聞け、逆の立場ならどうだ? お前は無条件に信じられると思うか?」

「…いえ…」ムスッとして答えるユウジ。

「むくれるな。 仮に、お前の体験が事実だとしてもだ、その『紫陽花』の女性達の正体がわからない…違うか?」

「…」

「あの岩鉄あたりなら、『任せておけ』とか言って金を取って祈祷を始めるところだろうがな…俺も無責任な事は言え

ん」

 ユウジは答えない…答えが出せるなら相談には来ない…そう思っていた。 しかし…

「そう…ですよね。 でも…」言いよどむユウジに、三島が頷く。

「わかっている。 近くまで案内してくれればいい。 様子を伺うだけだ」

三島の言う事は間違っていないとユウジは思う。 問題は…

(もし…マリアと会ったら…)

そう考えるただけで、心が騒ぐ。 心の中に相反する願望が同時に起こる。

…逃げ出したい…二度と会いたくない…

…捕まってしまいたい…そして、そのまま…

(くそっ…このまま逃げたら…気が狂いそうだ…)

混乱する感情を無理ねじ伏せ、ユウジは三島を『紫陽花』に案内する事にする。


−−30分後−−

「…」

「ここか?」三島が聞く。

パラパラパラパラ…やや降りが強くなった雨が、こうもり傘を叩いてリズミカルに音を立てているが、茫然としているユ

ウジには聞こえていない。

ビルの隙間、迷路のような道…2回も往復した一本道、間違うはずは無い。

だがそこには何も無かった。

正確には、ポッカリとビルの間に出来た空間に、雑草の茂る草むらがあるだけだった。


唖然として立ち尽くすユウジ。

三島は、ユウジの様子を少し伺った後、草むらに踏み込む。

丈の長い草が紺のズボンを湿らせる。

土が軟らかい。 最近建物が建っていた様子は無い。

周りは全てビル…ただ、どうしたわけか、この野原に向いた側に窓が一つも無い。

コンクリートの四角い井戸の底にいるような錯覚に陥る。

三島は、ビルの壁に触ってみる。 当たり前だが、壁の感触は本物だ。


(うーん…ん?…)

三島は、野原の真ん中に、丈の低い木があるのに気づいた。

(紫陽花…)

草を踏み分けて近づく。

色の変わりかけた花が、かすかな香りを漂わせている。

三島は空いている手で、下から葉を持ち上げてみる…ザワザワザワ…茂った葉が手を濡らす。

ヌル…「お?…おや君たちの家か…」三島が苦笑した。

葉の裏に大きなナメクジが雨宿りしていた。

軽く撫でる…ピク…ナメクジが震えた…ような気がした。


ユウジが微かに震える。 身をかがめている三島の背中が”本当にここなんだろうな”そう言っているような気がする。

「…ここに…ここにあったんです!…」

耐え切れなくなったユウジが声を上げた。

三島はユウジを振り返った。

「場所は間違いないか? 草の丈から考えると、少なくともこの半年前からこの状態のようだが」非難している口調で

はない。 淡々と事実を確認するような口ぶりだ。

「間違いありません!…間違い…ないんだ…くっ…くそっ…」ユウジは悲しくなってきた…全てが自分を裏切っていく

…視界がぼやけ、嗚咽が漏れそうになるのを堪える。


三島は辺りを見回す。 辺りは急速に暗くなりつつあり、詳しい調査はもう出来そうもない。

「仕方ない、引き上げよう」

「うっ…」肩を落とすユウジ。

(これで…もう…)

目の前が暗くなっていく。


「次の時は、ここまでの道と…辺りのビルだな。 そこらをもう少し詳しく調べてみないとな」

「え?」

「まだ、調べていないところがある。 結論が出せる状態ではないだろう」

「先輩…」ユウジの顔が明るくなる。

「なんだ、見捨てられたと思ったのか? そんなに簡単に結論はだせんよ。 さて帰るか」

三島の言葉に、ユウジの顔が曇る。 昨夜の事を思い出したのだ。


三島はユウジの様子に気がつき、苦笑する。

(やれやれ…まだ子供だな…寝場所を変えるぐらいの知恵がでないか…)

「おい、持ち合わせはあるか?」

「へ?」思わぬ言葉に、きょとんとするユウジ。

「近くのビジネスホテルに泊まろう。 そこなら襲われる事もないだろう」

「あ、なるほど…」安堵するユウジ。 実は一人になる事も怖かったらしい。


暗くなり始めたビルの谷間を二人は帰っていった。

もし、彼らがもう少しここに留まっていれば、別の運命が待っていたかも知れない。

辺りがさらに暗くなり人の顔が見分けられないほどになった時、野原が揺らめいた。

紫陽花の木を中心にして、陽炎が立ち上るように辺りの景色が歪んでいく。

そして…ソープランド『紫陽花』が営業を始める。


【<<】【>>】


【紫陽花:目次】

【小説の部屋:トップ】