ハニー・ビー

6-09 別離


 動く、動く、動いている。

 お腹の中で命が動いている、『次』の命が。

 見ている、見ている、周りで見ている。 彼女が、女王が守るべき命が。

 (……?)

 『ルウ』が困惑する。 女王のお腹の中にいるのは自分のはず。 しかし、自分のお腹の中に『ルウ』を感じる。

 (……繋がってるから……)

 触手を通じて、女王と『ルウ』が直に繋がっていた。 垣根が無くなれば、自分が『ルウ』なのか女王なのか判らない。

 (……みんな……いる……)

 周りにワスプ、ワスピー達を感じる。 意識を向ければ、今度は『ルウ』がワスピーになる。 あるいはその逆か。 

 (……一つ……)

 女王を中心として、ワスプ、ワスピーの意識は一つに繋がっていた。 その繋がりを通して、女王の『温もり』がワスピー、

ワスプ達に降り注ぐ。

 (……)

 『繋がり』が増えるは事は何よりも喜ばしく、『繋がり』が失われることは耐えがたい苦痛だった。 だからワスピー、ワスプは

仲間を増やし、仲間を守る。

 (……守る……)

 『繋がり』を守る。 それが女王の努め。 そして『ルウ』の。

 (……守る……)

 ルウは考えていた、どうすれば人間からワスピー、ワスプ達を守れるか。


 「卿」

 騎士見習いが囁き、ル・トール教務卿が無言で頷く。 彼らは森の中から、ワスピーの女王とその一族を伺っていた。

 「まるで儀式だな」

 彼らが集合し、ここを見つけ出すまで一匹のワスピーも見なかった。 それもそのはず、森にいた全てのワスピーとワスプが

ここに集まっていた。

 「……あれは少年の衣服では?」

 女王のそばに、ルウの散らばっている。 それを見たル・トール教務卿が眉を寄せた。

 「のようだ……」
 騎士見習い達は、憐憫ではなく失望のため息を漏らした。 彼らにとって守るべきは主人であり、高位の身分の人だ。 

平民の少年はその範疇に含まれない。 しかし、ル・トール教務卿にとっては違った。

 「……教務卿!?」

 ル・トール教務卿はその場に立ち上がると、棍棒代わりの太い枝を構え、断固とした足取りで歩き出す、女王目指して。


 ピッ?

 ピー!

 ニンゲン!?

 ニンゲン!!

 ル・トール教務卿に気がついた、ワスピー達がざわめいた。 宙を舞って、彼に群がる。

 ブンッ!! 凄まじい勢いで、棍棒が振られワスピー達を寄せ付けない。

 ピッ……ピーッ!!

 鬼気迫る教務卿の気迫に……いや、教務卿の憤怒の形相に恐れをなし、ワスピー達が逃げ出した。 代わってワスプ達が、

教務卿の行く手を遮ろうとする。

 ブン! ブンッ!!

 棍棒の二振りでワスプ二人が跳ね飛ばされ、道が開いた。 小太りの教務卿は猛然と突進し、一気に女王に飛び掛ると、

女王の芋虫のような胴体に跨って、人型の上半身を後ろから抱え込む。

 ピーッ!!

 ワスピー、ワスプ達が動きを止める。 教務卿が右手に持った枝の尖った先が、女王の乳房の下に浅く食い込んでいる。 

彼が力を込めれば、枝の先が女王を貫くだろう。 教務卿はそうしようとした。

 「少年はお前の下に、私の中にいる」

 女王が平然と言い、教務卿は眉を微かに動かし、言った。

 「出せ」

 教務卿は、女王が肩をすくめたように感じた。 彼の下で巨大な芋虫が蠕動し、広場に濡れた塊を吐き出した。

 教務卿が悲痛な呻きを漏らす。 芋虫状の胴体に女性の上半身がついたそれは、人間は見えなかった。

 「坊主……」
 それは手を突いて体を起こし、教務卿を見る。 その顔には、確かにルウの面影が残っている。 『ルウ』が小首を傾げると、

濡れた顔に張り付いていた触角が剥がれて額に立ち上がる。

 教務卿の口元で、歯が軋む音がした。 彼の右手に力がこもった。 ワスピー達がざわめく。


 「やめて」 ルウが教務卿に懇願する。 「女王様を殺さないで」

 「心までそっち側に行っちまったか……坊主、お前さんたちとわしらは一つところには住めねぇ」 教務卿は苦いものを吐き

出すように言った。

 「お前さん達はただの魔物じゃねぇ。 人を魔物に変えちまう恐ろしい魔物だ。 お前さんの仲間が増えれば、わしらが減る。 

そういう理屈だ。 だから……」

 枝の先が女王の肌に食い込み、体液が僅かに流れだす。

 「ここで根絶やしにする…… それが神の御心に沿っているかは判らねぇがな」

 「一つところには住めないなら、互いの縄張りを決めて、そこから出なければいい」

 「お前さんとわしが、ここで何を決めても無駄だ。 教会や都の連中は魔物と約束などせん、しても守らん」

 「約束じゃないよ」 そしてルウは、何かを話し始めた。


 「教務卿様ぁ!」

 騎士見習い達がワスピーやヨロイバチの群れを突破してようやく広場にたどり着いたとき、ル・トール教務卿は凄まじい嫌悪の

表情でルウを見ていた。

 「……どうやら、心の底まで魔物になっちまったようだな」

 「違う。 今の答えは、ボクの人の部分が出した」

 ル・トール教務卿は目を見開き、次に沈痛な面持ちになった。

 「確かに、そんな事は思いつくのは人だけかもしれんな……」

 「それも直ぐに消える。 もうじきボクは人でなくなる」

 ルウは教務卿と、騎士見習いを交互に見た。

 「行って、ボクが皆を抑えているうちに。 そして伝えて、ワスピーはオーサ山の涼しい空気の中で無いと長く生きられないの。 

だからオーサ山の麓から先にはいけない、ワスプもそう」

 「ああ、伝えるよ」

 教務卿は、女王から飛び降り、騎士見習い達と合流する。

 「教務卿様!? なぜ魔物の女王を逃がすのです!」

 「奴を殺せば、怒り狂ったワスピー達が襲い掛かってくるぞ。 それに坊主が魔物の王女にされちまった。 もう女王を殺しても

無駄だ」

 「ですが!?」

 「坊主が最後の力でワスピーの弱みを教えてくれた。 わしらはそれを都に伝えればいい。 後は都の軍勢がけりをつける」

 ル・トール教務卿は騎士見習い達を促してその場から逃げ出す。 そして心の中で呟いた。

 (あばよ坊主、もう会うことはあるめぇ)

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