ハニー・ビー

6-01 対策会議


 世界が黒い。

 ねっとりとした黒い蜜の中でもがく。 もがく。

 なぜ抗うの? なぜ……

 ぞろり。 闇がうねり彼にまとわりつく。

 あ……

 闇が彼を誘う、生暖かい優しさで。 声が彼を呼ぶ、抗いがたい響きで。

 『!』

 ひかり。 ヒカリ。 光。

 混沌の闇を光が裂く、容赦のない苛烈さで。 声がかき消される、荘厳な音で。

 う……

 うめき声を上げ、少年は重いまぶたを開く。

 「……坊や?」 

 ぼんやりした人影が呼びかけている。 声の響きから、年のいった女性だろうかと考えた。

 「気がついた? 名前は言える?」

 「……ルウ」 

 オーサ山麓の村々が、ワスプの襲撃を受けてから、二日が過ぎていた。


 クレイン伯の館の論議場の円卓を、家宰、ナウロ騎士隊長、ル・トール教務卿、そして騎士隊長や

騎士副隊長が集まっていた。

 伯自身は、縁戚関係のあるギサ子爵の元に向かっていた。 増援を求める為だ。

 「クレイン伯に仕えている騎士41名、騎士見習い116名は館に集合した。 後は、魔物を追い散ら

すだけ。 戦評定など必要あるまいが!」

 最も若い騎士副隊長がほえた。

 「事態が大きくなりすぎた。 これほどの規模で騎士を動かすには、王の裁可が必要だ。 『鳥書』で

許可を求めている、少し待て」

 最年長のナウロ騎士隊長が、騎士副隊長を静止する。

 「それに相手は魔物だけではない、ヨロイバチの群れが厄介だ」

 「ハチごときに何を恐れる。 煙で燻せば追い散らせるだろう」

 中年の騎士隊長が発言し、ナウロ騎士隊長がこたえる。

 「ワスプがハチを操っているのだ。 ただのヨロイバチの群れと違って、統制が取れている。 村の救援に

向かった騎士の報告では、ヨロイバチは常に風上から襲ってきたそうだ」

 それを聞いた他の者達がざわめき、ル・トール教務卿に視線を集める。

 「教務卿殿、教会は以前ワスプを封じたと聞いている。 その方法を教えてほしい」

 ル・トール教務卿は、太い眉を跳ね上げ、発言者を見た。

 「ワスプを封じるには、黄色スミレ草が必要だ」

 「それは知っている。 我々が知りたいのは、黄色スミレ草をどう使えばワスプを撃退し、封じ込められるか、

その方法だ。 黄色スミレ草を集め、煙で燻すのか?」

 「燃やしてはいかん。 効力があるのは、その香りだ。 かって戦ったときは、黄色スミレ草を刈り集めて荷車に

載せ、ワスプ達を包囲して追い込んだそうだ」

 騎士副隊長の一人が得心し頷いた。

 「なるほど、ではその準備を……」

 「だが、その手は使えん」 ル・トール教務卿が唸るように続ける。

 「黄色スミレ草は、『封印の森』以外では、オーサ山にしか生えん。 黄色スミレ草が生えている場所に行く途中には、

ワスプが襲った村がある」

 ル・トール教務卿の言葉に、ナウロ騎士隊長以外は絶句した。

 「……他の手はないのですか。 魔物について最もよく知っているのは教会で、それを我々に教える義務がある

はずだ」

 中年の騎士団長が発言した。 彼の言うとおり、魔物の知識を集め、必要に応じて提供するのは教会の重要な役目の

一つだった。

 「その通りだが……中央から派遣された審問官と、当地の担当であったサブル師が行方不明だ」

 「行方不明?」

 「修道院に向かったのだが……その修道院が、今やワスプの巣窟になっている」

 「それでは二人は……」

 「それだけではない、孤児院もワスプの巣になっていた。 そしてヨロイバチを飼っていた村が、全て襲われ、村民の

安否が判らん。 この意味がわかるか」 

 円卓の周りで、騎士隊長達が顔を見合わせ、ナウロ騎士隊長が重々しい口調で応えた。

 「今現在、このクレイン伯にはワスプどころか、ヨロイバチを扱えるものすらいないと言う事だ」

 経験豊富な騎士隊長は眉間に皺をよせて難しい顔になったが、若手の騎士副隊長はそれがどうしたと言わんばかりの

顔つきだった。

 「ならばかえって話が早い。 騎士団全員でワスプに決戦を挑むだけの事でしょうに」

 (馬鹿者が。 力押しで解決できるなら、封印なんてまだるっこしい事をするものか)

 ナウロ騎士隊長は、若手の思慮の浅さを嘆いた。

 「全軍を出す以上、確実に勝たねばならん。 その為には敵を知ることが必要だ。 それに、ワスプ退治で命を落とすの

ならともかく、ハチに刺されて死んだとあっては騎士の名折れだ」

 「それは……そうですが。 ではどうします? 都からワスプとヨロイバチの専門家を呼ぶのですか? それなりに時間が

かかると思いますが」

 事態は深刻だったが、有効な打開策が無く、状況を判断するにも情報が乏しく、会議はただ時間を浪費するだけだった。


 「教務卿様」 論議場に中年の尼僧が入って来て、ル・トール教務卿に耳打ちした。 ル・トール教務卿は頷くと、後を

ナウロ騎士隊長に任せて席を立った。


 「坊主、名をなんと言う」

 「ルウです。 孤児院にいました」

 ル・トール教務卿は、ルウが寝かされていた部屋にやってきていた。

 本来、ルウのような子供と教務卿の位にあるものが、直に会話することなど無い。 しかし、今は緊急時だと判断し、

ル・トール教務卿はルウから直に話を聞くことにした。

 ルウは、意外なくらいに落ち着いて、これまでの事をル・トール教務卿に話した。

 「シスター・ソフィアがワスプ、いやワスピーを……」

 ル・トール教務卿の表情は暗い。 『封印の森』にシスター・ソフィアを派遣したのは彼の責任においての事だ。 しかも、

彼は帰ってきたシスター・ソフィアと直に会っていながら、彼女がおかしくなっていた事に気がつかなかったのだ。

 「あの、教務卿様……ロンは……」 ルウは一緒に逃げた少年の安否を尋ねた。

 「坊主はルウと言ったな。 いまから、おっさんはつらい事を言わなきゃならん。 腹に力を入れて聞いてくれ」

 教務卿の、あまりにぞんざいな言葉使いに、そばにいた尼僧が咳払いをしたが、教務卿は気にした様子は無い。

 「わしゃ、今でこそ『卿』なんて呼ばれてるが、下働きから成り上がった人間なんでな。 気取った言葉だとうまく話せん

のだ」

 そう言いさして、ル・トール教務卿は淡々と孤児院がどうなったかを伝える。

 話が終わる頃、ルウの手に一滴の涙が落ちた。

 「みんな……魔物に……」
 「全員が魔物に変わってしまったのか、正直判らん。 変な希望を持たせるつもりは無いが、まだ助かる子供もいるかも

しれん。 そこでお前さんに頼みがある」

 「頼み? 僕に何かできるんでしょうか」

 「ああ。 お前さんは今現在、この辺りでもっともヨロイバチに詳しい人間だ。 そして、ワスプを間近で見ている」

 ル・トール教務卿は、ルウをまっすぐに見た。

 「考えてくれ、どうすればワスプを撃退できるかを」

 「!?」

 ルウの目がまん丸になった。

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