ハニー・ビー
4-06 人間達の都合
クレスト伯の館の一室で、都に行ったサブル師から届いた『鳥書』を前にし、ル・トール教務卿とナウロ騎士隊長が
難しい顔をしていた。
「教会の意向は、『森に近寄るな』ですか……」
ナウロ騎士隊長は、薄紙をル・トール教務卿に返す。
「この書では細かいところは判らんが、都の教会は、ワスプに対して、何かはばかることがあるかもしれませんな」
ル・トール教務卿は、太い眉を寄せて浮かない顔のナウロ騎士隊長を見返す。
クレスト伯領の財務を担っているのは領主付きの書記官である。 それなのに、この件は畑違いのゴル騎士隊長に
一任された、なぜか。
(『封印の森』に入る許可など出るはずもない。 だから『封印の森』の魔物は死に絶えていたという既成事実を作って、
強引に押し通す。 まずいことになれば、騎士隊長の責任にする そのつもりだったんだろうが……)
ル・トール教務卿は腕組みをして唸る。 魔物が生きていたからには、都の教会の指示が優先され、領主のクレスト伯と
いえどもそれを無視することはできない。
「都の教会から審問官が派遣され、『封印の森』の封印の確認と、シスター・ソフィアの聴取が行われます。 それまで、
何もするなと強く言われております」
ナウロ騎士隊長は、うかない顔で頷く。
「やむを得ませんが……このままでは、ゴルは無駄死にですぞ」
「何もしなければ、ゴル達だけでは済まんでしょうな」 ル・トール教務卿は、眉根を寄せて考えこんでいる。 「今の蜜の
収量と、蜜の引き取り価格では領民が冬をこせないのでしょうが」
「む……」
禿頭のル・トール教務卿と白髪のナウロ騎士隊長は、やがて直面する問題について、深刻だが実りのない相談を始めた。
彼らの知らないところで、ワスプの侵略が静かに進んでいるとも知らずに。
クレスト伯領はオーサ山の中腹から麓にかけてなだらかに広がっている。
オーサ山から流れだしているレニ川に沿って、いくつもの集落が点在し、畑や果樹園が民の暮らしを支えいていた。
集落の一つ、コウゾノ村でちょっとした騒ぎが起こっていた。
「何だって、子供が流れてきた!?」 村長のザグレーブの所に、村の子供が飛び込んできて、そう告げたのだ。
「うん、金髪の男の子だ」
「息はあるのか」
「息はしてっども、熱がひどくて意識が……」
「マリア、湯を沸かせ! 誰か、戸板ぁはずして子供乗せてこぉ! ベル、教会さぁ行って手当てできるシスターを連れて来い!」
村長の指図に従い、村の者達があちこちに駆け出していく。 ほどなくして、意識のない少年が村長の家に運ばれてきた。
その少年はルウだった。
「川上の村の子か?」
「さぁ、見たことねぇが」
「誰か、ひとっ走りして聞きに行ってこぉ」
わいわい騒いでいるうちに、中年のシスターがやってきて、村長の家で寝ている子供の手当てをした。
「ひどく衰弱しています。 暖かくして、意識が戻ったら重湯を飲ませて上げてください」
シスターは、村長にルウの世話を依頼し、彼の身元を尋ねた。 しかし、この村に彼を知っている人は誰もいなかった。
こうして身元不明のルウは、意識を失ったまま村長の家で看護されることになった。
一方、都に行ったサブル師は、審問官を任じられたレイナ女師と旅支度を整えていた。
「審問とはどういうことですか」
最初、サブル師は気色ばんで神官長に詰め寄った。
「慎みたまえ、サブル。 『封印の森』は教会が定めた魔物の封印だ。 君達は、クレイン伯にそれを守らせる立場に
あったはずだ」
「……それは、説明したとおりです。 魔物が出没しているとの噂があり、封印が維持さされている事を確かめる為に
ゴル騎士隊長が派遣されることに……」
サブル師は、あらかじめナウロ騎士隊長と決めておいた言い訳を口にする。
「魔物の出没の報告は受けていない。 それも怠っていたのかね?」
「あやふやな噂だったのです。 クレイン伯領で確認されていた魔物は、ワスプだけでした。 ですから、まず『封印の
森』を……」
サブル師の説明を、神官長はさえぎった。
「決まり事は守る為にあるのだ。 皆が自分勝手に決まりごとを破れば、国も教会も立ち行かなくなる。 違うかね?」
「それは……」
「審問は、魔物の封印が維持されていること、それが人の手で破られる事がないこと、この2つを確認する為に行われる」
神官長は、不満そうなサブル師の表情を見て、続けた。
「サブル、民を魔物から守るには、教会の指示が守られなければならない。 審問は、そのために必要なのだ」
サブル師は口をかみ、次の言葉を飲み込んだ。
(本当に守りたいのは、教会そのものでしょうに)
全てが終わった後で、誰かが言った。
「ワスプは恐ろしい魔物だが、ワスピーが人間に取り付きワスプに変わるのには時間がかかる。 皆が過ちを認めていれば
事態を収拾し、ワスプを封じ込めることはできたはずだった……。 だが、誰も過ちを認めなかった。 それが、ワスプに時間を
与えることになってしまった」
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