ハニー・ビー
3-01 暗転
上る朝日がオーサ山の稜線を影絵に変える頃、クレイン伯の館から旅支度を整えたサブル師が出立しようとしていた。
「ではナウロ殿、従士とババをお借りします」
「うむ、サブル殿。 気をつけていかれよ」
ナウロ騎士隊長は、ババに乗ったサブル師が朝もやの中に消えていくのを見送りつつ、昨夜の話を思い返していた。
”なに? ワスプの事が書かれた書物が、都の禁書庫にあるだと?”
”は。 本日到着した使者がその様に”
”そうか……それでどのような事が書かれていたのだ”
”それが、教会の導師以上の者にしか明かせぬので、サブル師を遣わして欲しいと”
”なに!?”
顔色を変え立ち上がるクレイン伯。
”何を馬鹿な! 使者に内容を教えるなり、写しを持たせるなりすればよかろうが!”
”恐れながら、禁書庫の書物は持ち出しはおろか、資格のないものには閲覧すら許されませぬ”
”く……”
クレイン伯は憤懣やるかたない様子であったが、そういうことであれば是非もない。 直ちにサブル師が都に使わされることになったのだ。
「禁書庫に収めねばならぬほど、ワスプには恐ろしい秘密があるのか? しかし奴らは『封印の森』から出られぬ。 慌てる必要はあるまい」
一人納得し、ナウロ騎士隊長は館に戻った。
同じ日の深夜、子供たちが寝静まった孤児院の食堂にシスター・ソフィアの姿があった。 窓から差し込む青白い光に照らされたシスターは、
まるで人形の様に生気が感じられない。
と、食堂の扉が微かに軋み、辺りをはばかるようにゆっくりと開く。
シスターは目だけを動かして、そちらを見た。
白い夜着を着た女の子が、ペタペタと足音を忍ばせつつ入ってきた。
「アン……」
シスターが口の中で女の子の名を呟く。 続いて男の子、そして女の子が食堂に入ってくる。
「アレス、ベティ、クララ、ティム、ベンジー……」
部屋の中に、ワスピーの世話を任された6人の子供たちが揃った。
「揃った……」
誰かの呟きが聞こえ、部屋の中に影が舞い、テーブルの上に舞い降りる。
「……」
ワスピーだ。 6人のワスピーが机の上に立っている。 彼女たちは首を巡らして、子供たちとシスターを見上げた。
彼らは微笑を顔に浮かべ、じっと立っていた。 何かを待っているかのように。
「そっチは、うまくイった?」
「ええ、うまくイった。 女の子たチは、ジゅんビ、できてイる」
「男の子もとリこニ、なってイる。 あとは……」
クスクスクスクス…… ワスピー達が含み笑いをした。
「男の子たチは、ジかんがかかる」
「まずはこの女の子たチから」
3人のワスピーが、アンたちを振り仰ぐ。
彼女たちに見つめられ、アン達の笑顔に赤みがさし、目が潤む。
「よてイどおリニ……」
「よてイどおリニ……」
クスクスクスクス……
翌朝、朝食に集まった子供たちは、年長の女の子3人がいないのに気がついた。
「シスター? アン姉様たちがいません?」
「心配いりませんよ、皆さん。 アン達はもう大人になる頃なので、しばらくお部屋を別にしているだけです」
「ふーん、そうなんですか……」
大人になるのに、どうして部屋を別にするのかと思った子もいたが、シスターの言うことなので、誰も詮索しなかった。
そしていつもの忙しい一日が始まり、一日が終わる頃には、誰もアン達の事を気にしなくなっていた。
そうやって三日が過ぎた。
トゥ……ドゥ!……
「わっ!……」
突然の物音に、ルウはベッドから跳ね起き、辺りを見回す。
すぅ……すぅ……
バタバタバタバタ……
寝息に混じって、表で騒々しい羽音がした。 どうやら高原夜鳥が、すぐそこで何かを狩ったらしい。
「なんだ」
ルウは薄い毛布に包まろうとして、ベッドの一つが空になっているのに気がついた。
「アレス……手水場かな」
闇に目を凝らすと、さらに幾つかのベッドに人影がない。
「連れ立って行ったのかな?……そうだ、ぼくも」
ルウはベッドから這い出すし、手水場に向かった。
「誰もいないや……」
ルウは用を足しつつ首を捻った。
チ……
「ん?」
チ……パリ……
ルウは耳を澄ました。 妙な音がする。
パリ……パリ……
ルウはしばし考え、それから足音を忍ばせて音のしてくる方へ向かう。
しばらく廊下を行ったりきたりしてから、食料庫のある地下室にたどり着いた。
「ロン?ジャッキーも……」
ベッドにいなかった子のうち、二人が地下室の扉の前に居て、中の様子を伺っている。
しー
ロンが口に指を当て、静かにしろと合図する。
ルウはうなづいて、そーっと二人に近づいた。
「中で変な音がするんだ……」 ロンが囁いた。
ジャッキーとロンは、扉の隙間から中をのぞこうとしている。
ルウも扉の隙間に目を近づけ、中を覗きんだ。
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