ハニー・ビー

2-01 帰還


 ゴル騎士隊長達が、シスター・ソフィアと共に『封じられた森』に入って4日が過ぎた。

 シスター・ソフィアの身を案じたレダ院長は、『森』の入り口の教会付近に、交代でシスター達を出向かせた。

 その一方でクレイン伯に使いを出し、捜索隊の派遣を依頼していた。

 そして4日目の夕刻、レダ院長が、院長室でサレナ副院長と話をしていたところに、教会に行っていたシスター・テレジアが

息せき切って飛び込んできた。

 「院長様!シスターが!シスター・ソフィアが……」

 「テレジア!? どうしました、何がありました」

 「シスター・ソフィアが帰ってきました! ああ、ミトラの神のご加護に感謝を!」

 院長と副院長は驚愕し、椅子を蹴倒さんばかりの勢いで飛び出した。


 「シスター・ソフィア! まあ、良く無事で!」

 シスター・ソフィアは、今にも倒れそうな様子で、二人のシスターに肩を支えられていた。

 シスター・ソフィアは院長を見て、弱々しく微笑むと、がっくりと首を垂れて気を失った。

 そのはずみで、彼女が肩にかけていた皮製の水筒が、たぷんと音を立てる。

 レダ院長は、シスターを院内に運ばせると、サレナ副院長に彼女の手当てを命じる。

 「サレナ。 容態は?」

 「ひどく疲れているようですが、怪我はしていません。 それに栄養状態も悪くありません」

 「……良かった」

 レダ院長は、手を組んで神に感謝の祈りを捧げ、部屋の入り口に集まってきたシスター達に、てきぱきと指示を飛ばした。


 修道院のシスター達が総出で湯を沸かしたり、薬湯を作ったりと忙しく働いていると、修道院の門の辺りが騒がしくなった。 誰か

来たようだ。

 年若いシスターが応対に出て、すぐにうかない顔で戻ってきた。

 「レダ院長様……ナウロ騎士隊長様と、書庫付きのサブル師様、それに……」

 彼女が皆まで言わないうちに、下品な声が響いてきた。

 「レダ院長、セント・ル・トール教務卿だ! はいるぞ」

 入り口のシスター達を押しのけるようにして、黒い神父服を窮屈そうに着込んだ小太りの禿げた神父が、ずかずかと入り込んできた。

 「聞いたぞ。 『森』からシスター・ソフィアが奇跡の生還を果たしたとか。 いや目出度い、目出度い、がっはっはっ」

 「教務卿様、病人が寝ています。 お静かに」

 レダ院長はぴしゃりと言い、教務卿を外に追い出すと、こちらは外で待っていたナウロ騎士隊長、サブル師に挨拶し、食堂に案内した。


 「院長、それで『ワスプの蜜』は」

 「教務卿殿」 初老のナウロ騎士隊長が、ル・トール教務卿を制した。 「控えなされ。 院長、此度は無理なお願いをして、まことに申し

訳ないことをした」

 白髪の騎士隊長が深々と頭を下げる。

 レダ院長も、騎士隊長にむかって頭を下げる。

 「帰ってきたのはソフィアのみです。 他の方たちの安否が気になりますが、彼女はまだ話の出来る状態ではありません。 明日になれば

話もできるかと」

 「明日だと! そんな悠長な!」

 喚くル・トール教務卿を、年若いサブル師がなだめながら食堂から連れ出した。


 「……申し訳ありません」

 静かになった食堂で、レダ院長がナウロ騎士隊長にむかって再び頭を下げた。 彼は彼女の上司であり、今回の事は彼が言い出したと聞い

ていたからだ。

 「貴女のせいではありません」 白髪の騎士隊長は、片手でレダ院長を制しながら言った。

 「ただ、教務卿の言い分にも一理あるのです。 ここ数年、作物の出来が悪く、蜂蜜の収量も例年以下。 実は領主様の倉の中も……」

 レダ院長の表情がみるみる険しくなっていく。

 「領主様がこのような企てを認めるのからには、よほどきびしいと感じていましたが、そこまで……」

 食堂の中に重い沈黙が降り、その晩はそこまでと言うことになった。


 翌朝、シスター・ソフィアは話ができる状態にので回復しており、さっそく彼女から『封印の森』の報告を聞くことになった。

 食堂に、教務卿、騎士隊長、サブル師、院長、副院長が集まり、シスター・ソフィアが呼ばれた。

 「……するとビルナとディスタは『ワスプ』の餌食になったと」

 「はい」 シスター・ソフィアは、手を組んで二人に祈りを捧げる。

 「『ワスピー』達は、わたしも『ワスプ』にすると宣言しました」

 「なんと恐ろしい魔物でしょう……」 サレナ副院長が身を震わせる。

 「はい、それを聞いたゴル騎士隊長は私を逃がそうと、『ワスピー』達に切りかかったのですが……そこに『ワスプ』が現れて、彼も……」

 シスター・ソフィアが顔を伏せる。

 「……」 あまりのことに、一同は声も出せない……いや、ル・トール教務卿だけは、鼻毛を引き抜いて「プッ」と吹き飛ばしていた。

 「『ワスピー』達が近寄ってきた時、私は神の御許に参る覚悟を決めました。 その時、『ワスピー』達を止める声がしたのです」

 レダ院長が小首をかしげ、ナウロ騎士隊長が微かに目を開く。

 「声の主は『ワスピー』の女王と名乗りました」

 「女王?」

 「はい、女王はこう言いました。 『蜜泥棒を許すつもりはないが、お前が帰らねば、人間がまた来るかも知れない。 お前は帰してやるから、

人間どもに、ここに近づくなと伝えよ』」

 「『蜜泥棒』ですか……」 サレナ副院長は不快げに眉を寄せた。

 「魔物の言い分だが、一応、理は向こうにある。 しかし、犠牲者が出ている。 このまま済ますわけには……」

 「待て」 ドスの聞いた声でル・トール教務卿が言い、シスター・ソフィアをねめつける。 「シスター・ソフィア、今の話そのまま信じることはできん。

お前さん、まさか『ワスプ』になっているんじゃないか?」

 あまりに情け容赦のない言葉に、レダ院長が怒りの声をあげかけた。 しかし、シスター・ソフィアが静かにそれを制する。

 「お忘れですか。 『ワスプ』は、『黄色スミレ草』の花畑を越えられないのですよ」

 「ふん、そうだったな」 ふんぞり返り、反省の様子を見せないル・トール教務卿に、一同は非難の眼差しを浴びせた。


 それから、ナウロ騎士隊長らはシスター・ソフィアから話を聞き、最後にねぎらいの言葉を(ル・トール教務卿以外は)かけて、修道院を後にした。

 帰り路で、サブル師が控えめな口調で、ル・トール教務卿に『ワスプの蜜』採取の中止を進言した。 すると、意外な答えが返ってきた。

 「お前さんは冬に飢えた事があるのか?」

 「え……いえ」

 「今年の冬は、まだ何とか乗り切れるかもしれん。 しかし、今年みたいな不作が来年も続けば、間違いなくかなりの餓死者が出るぞ」

 毛虫の様な眉の間に、深いしわが出来た。

 「最初にくたばるのは爺や婆、そして餓鬼どもよ。 それを見たくなけりゃ、犠牲が出ようが、魔物が相手だろうが引くわけにゃいかねぇんだよ」

 サブル師はちらりと、隣のナウロ騎士隊長を見る。 白髪の騎士隊長は黙って頷いた。

 「ゴルも、シスター・ソフィアもその辺は気がついていたはずだ。 だから危険な仕事と判っていても、引き受けたんだろうがよ」

 「……」

 あっけにとられ、思わずババの足を止めたサブル師。 その彼を追い抜きながら、ナウロ騎士隊長が呟くように言った。

 「ただの下品な親父に、教務卿は務まらんという事さ」

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