ハニー・ビー
1-02 ワスプ
「シスター・ソフィア。 我々の目的は、ワスプ……いや『ワスプの蜜』です」
騎士隊長のゴルは、やや態度を改めて切りだした。
「ゴル騎士隊長。 森にワスプが封じられたのは五十周季も前です。 ワスプは既に滅んでいるかもしれません」
「行かねば判らんでしょう。 滅んでいればむしろ好都合。 『蜜』を取るのに何の障害もないわけですから」
「……」
五十周季前のことだった、蜂猟師たちが現在『封じられた森』と呼ばれている森の奥に分け入ったのは。
そこで彼らは『ワスプ』を見つけたらしい。
”らしい”と言うのは、『ワスプ』に出会った蜂猟師たちが帰ってこなかったからだ、一人の蜂猟師の女を除いて。
傷だらけになった女は、皮袋に詰まった濃厚な蜂蜜を持って帰り、他の仲間は皆、『蜂女』にやられたと告げた。
それまでかの地に、『蜂女』なる魔物が出たことはなかったが、念のため二代前のクレイン伯は騎士団を派遣した。
そして彼らは『蜂女』……後に『ワスプ』と名づけられる魔物達と遭遇した。
『ワスプ』は、人間とほぼ同じ大きさで、全員が女性……いや女の体型だった。
皮膚の大半は、光沢のある黄金色の表皮で覆われ、関節、顔、胸から下腹部にかけては人間の皮膚と同じ色合いをしていた。
服は着ていなかったが、深いフード付のマントのようなものをはおっており、遠めにはマントをはおった女の騎士に見えた。
『ワスプ』達はヨロイバチを操り、森に入ろうとした騎士団を攻撃した。
蜂が相手では勝手が違い、騎士団は苦戦を強いられた。
最終的に、『ワスプ』もヨロイバチも黄色スミレ草の香りを苦手とする事がわかり、『封じられた森』の周りに黄色スミレ草を植える事で
『ワスプ』を森に閉じ込める事に成功したのだった。
「当時の騎士や村人達が、黄色スミレ草と同じ薬効の草を探し、森の周りで『ワスプ』封じの花が咲き続けるようにするのにどれだけ
苦労したか、知らないとは言わせません」
断固とした口調で、シスター・ソフィアが言う。
「もちろん知っていますとも」 ゴル騎士隊長は言葉を切った「『森』の封印も、そして『ワスプの蜜』の事も」
「……」 シスター・ソフィアは唇をきつくかみ締めた。
『ワスプ』達を森に閉じ込めてからしばらくして、数人の蜂猟師達が一人の美しい女を伴ってクレイン伯のもとにやって来た。
その女こそ、『ワスプ』に襲われ、『蜜』を持ち帰ったあの女だったのだ。
皆が驚愕した。 かの女は、体こそ健康そうに日焼けした逞しい体つきだったが、容姿は十人並みだった。
それが僅かの間に、たおやかで、神秘的な瞳の美女に生まれ変わっていたのだから。
蜂猟師達は、女が持ち帰った蜜の効能だと主張し、森に入って『蜜』を採取する許可を求めた。
クレイン伯は迷ったが、結局に森に入る許可を与えなかった。
あきらめの悪い蜂猟師達は、女を伴って森に入り、予想通り帰ってこなかった。
彼らの身を案じて森の近くに行った村人は、森の中から、楽しそうな子供の笑い声を聞いたと言う。
森は『封じられた森』となり、何人たりとも入ることを禁じられる。
そして『蜂女』達は、いつしか邪妖精『ワスプ』と呼ばれるようになった。
それが、五十周季前のことだった。
「クレイン伯はどういうおつもりなのですか」 厳しい口調でシスター・ソフィアが詰問する。
「どうもこうもありません。 最近蜜の収量が減ってきています。 おかげで、伯爵家の台所事情はかなり苦しくなってきました」
「……それで『ワスプの蜜』を?」
「そうです。 都では貴族の婦女子の間で、美容術や美顔薬がたいそうな人気だそうです。 幸い『ワスプの蜜』の事は、上流階級の
間では伝説となっています。 これを利用しない手はありません」
「……」
「『ワスプ』は魔物かも知れんが、五十周季もの間、森に閉じ込めらていたのです。 貴女の言うように滅んでいる可能性が高い。
仮に『ワスプ』が生きていたとしても、手下のヨロイバチはさすがに死に絶えているでしょう」
シスター・ソフィアは、深呼吸して無理に気持ちを落ち着かせる。
「では、『蜜』もないらないかも知れませんね?」
が、ゴル騎士隊長は平然としている。
「『蜜』がなくともかまいません。 要は『封じられた森』が開かれたと言う事実です。 そうなれば、『ワスプの蜜』が取れるようになったと
言いつのる事ができます」
「なんと言うことを……それでは人をだますことに……」
「奇麗事ばかりでは、やっていけないでしょう。 蜜の収益が減れば、教会や孤児院の運営もままなりません。 違いますか?」
「御領主の発案ではないでしょう」 レダ院長が口を挟んだ 「どなたです、そのような恥知らずな提案をなさったのは」
ゴル騎士隊長が表情を消した。
「貴女方の上司、セント・ル・トール卿です」
それを聞いて、レダ院長とシスター・ソフィアは深々とため息をついた。
「ご納得いただけましたか? シスター・ソフィア、貴女は蜂の専門家だ。 ご同道願えますな」
シスター・ソフィアは、悲しげに頷くことしかできなかった。
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