ハニー・ビー

1-01孤児院


 ここではない、しかし『人間』が暮らしている場所がありました。

 人々は世界に光が溢れることを『朝』と、闇に閉ざされることを『夜』と呼び、つましく暮らしていました。

 でも、皆が少しずつ贅沢を望んだ時……世界はゆっくりと壊れ始めたのでした……


 「シスター・ソフィア、そのお話は聞いたことがあります」

 粗末な布団の寝台に寝ていた金髪の少年が、月明かりで本を読んでいた若い尼僧の話をさえぎる。

 「あら、そうだったかしらルウ」

 「確かお医者さんのマドゥーラと天駆ける船が……」

 「ルウ」隣に寝ていた少女が、ルウと呼ばれた少年を睨みつける「黙りなさいよ」

 「……」

 ルウは黙ったが、不満そうにほっぺを膨らませた。 そんな、二人のやり取りを他のベッドに寝ている少年、少女達が面白そうに

眺めていた。

 「二人とも、喧嘩はいけませんよ」

 若い尼僧、シスター・ソフィアが微笑みながら二人をたしなめた。

 「明日、下の本院に呼ばれていますから、新しいお話を借りてきましょう。 代わりに今日はカードの遊び方を教えてあげましょう」

 わっと子供達の歓声が上がった。


 トラス王国クレイン伯領。 家畜や水車が主な動力源の世界にあって、この土地の主な産業は多分にもれず農業であった。

 独立峰オーサ山から流れ出すいく筋もの河川が、その麓の田園地帯を支えていた。 

 そしてこの地方には、『オーサの黄金』と呼ばれる特産品があった。

 蜂蜜である。

 オーサ山の南斜面は傾斜が緩やかで、作物を作るには適さない高地にもかなりの面積の高原があり、冷涼な気候のもとで花を咲か

せる植物の群落と、針葉樹の林が点在していた。

 そこに古来より、蜜を主食とする蜂が住み着いていた。

 蜂蜜は長寿の妙薬として高値で取引されており、品質の良い蜜を求めて、蜂専門の猟師や養蜂農家がオーサ山にやって来た。 しかし、

彼らの思惑どおりにはいかなかった。

 セグロオオヨロイバチと呼ばれるオーサ山の蜂は、冷涼な気候に耐える為の大きな体と、生存競争に勝ち残るための強い毒を持っていた

のだ。

 養蜂農家のつれて来た平地の蜂たちは、高原の冷たい空気とセグロオオヨロイバチの前に瞬く間に全滅した。

 そして、そのセグロオオヨロイバチの溜め込んだ蜜を狙って、蜂猟師達が森に入った時に次の悲劇が起きた……


 「シスター。いってらっしゃい!」

 「蜂の世話は任せてください」

 子供達の元気な声に見送られ、シスター・ソフィアはオーサ山修道院付属の孤児院を後にした。

 辺りには、ブンブンと羽音を立ててセグロオオヨロイバチが飛び回っているが、シスター・ソフィアに近づく蜂はいない。

 シスターは、灰色の尼僧服の袖口を顔に近づけ、確かめるように匂いをかいだ。 そして、一つうなづいて緩やかな下り坂を降りていく 

 彼女や子供達の服には、近くで取れる黄色スミレ草の汁が染み込ませてあり、セグロオオヨロイバチはこの匂いがするものを襲わないのだ。

 この事が判ってから状況は一変した。 蜂蜜採取の障害であったセグロオオヨロイバチ自身が、蜂蜜採取の担い手となったのだ

 今では修道院が中心になって、セグロオオヨロイバチを飼いならして蜂蜜を集め、『オーサの黄金』として出荷していた。

 しっかりした足取りで歩くシスター・ソフィア、その服の裾から一枚のカードが落ちた。

 「あら……」

 昨夜、子供達と遊んだカードの一枚が、何かの拍子で服の中に入っていたらしい。 彼女はカードを拾い上げた。

 「マジステール……」

 占いの時には、運の反転を意味するカードだ。 シスター・ソフィアは、漠然とした不安を覚えた。


 「シスター・ソフィア参りました」

 シスター・ソフィアは、朝食の直後に孤児院を出て、麓に近い修道院には昼近くになって到着した。

 「お入りなさい」

 年配のレダ院長が声に促され、シスター・ソフィアが院長室に入ると、そこにやや場違いな人物がいた。 皮製の胴着を着け、剣を携えた男が三人、

院長と話をしていた。

 「……」

 院長室の入り口で立ち止まってしまったシスター・ソフィアに、振り返った男たちが無遠慮な視線を投げつけてくる。

 「紹介します、彼女がシスター・ソフィア。 蜂と森について最も詳しい女性です。 シスター、こちらは領主クレイン伯の御家来の方々です」

 院長の紹介で、一人の男が自己紹介をする。

 「私は騎士隊長のゴル。 見知りおいてもらおう。 そちらは従士のディスタとビルナだ」

 横柄な口調に、シスター・ソフィアが固い挨拶を返す。

 「さて、貴女に来て貰った理由だが……」

 「ゴル殿、彼女は山道を降りてきたばかりで疲れています。 丁度お昼時ですから食事をされてからにしては如何ですか?」 

 騎士隊長は院長に話を遮られて不機嫌そうに顔を歪めたが、何も言わずに二人の部下を従えて院長室を出ていった。


 ゴル達が出て行くと、シスター・ソフィアが不安げな顔で振り返った。

 「院長……彼らは」 

 「シスター・ソフィア。 彼らは『封じられた森』に行くつもりなのです……『ワスプの蜜』を求めて」

 シスター・ソフィアがの目が見開かれた。 

 「そんな!『ワスプ』の……邪妖精の封印を破るつもりなのですか!」

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