悪魔と魔女とサキュバスと
エピローグ
エミと麻美、そしてミスティがサキュバス女生徒達と戦って一週間が過ぎた。
その日、酔天宮署の建前署長は、捜査課の山野辺、川上両刑事を署長室に呼び付け、不機嫌な顔でデスクに
広げられた新聞を示した。
『暴走ロボットとパトカーの追跡劇』
「これが何か?」
山野辺刑事は、どこ吹く風といった風情だ。
「最初、ロボットを追跡していた警邏車両には、君たち乗っていたそうじゃないか。 一つ、私にわかるように説明
願えるかね?」
山野辺刑事が何か言う前に、署長席の電話が鳴る。 タイミングを外された署長は、憮然とした顔で受話器を取った。
「建前だ……は? 大河内先生! あ、いえ……は? 私どもの部下が……お嬢様を病院に……いえいえ、警察官
として当然の、いゃーはっはっはっ……」
建前署長は『権力に媚びる○○○○』をしばらく演じた後、受話器を山野辺刑事に渡した。
「はい、山野辺です。 はぁ、病院に? お礼を言いたい……しかし勤務中で」
ちらりと署長に目をやると、手を振って『行ってこい』とゼスチュアしている。
「では伺わせていただきます」
山野辺刑事は受話器を戻し、受話器を受け取ろうしたポーズで固まっている署長に一言。
「では、行ってきます」
二人の刑事が病院に着くと、大河内氏は娘の病室の前で行ったり来たりしていた。
「どうしたい?」
タメ口で尋ねると、大河内氏はなんとなく寂しそうに病室を指さす。 二人の刑事が、ドアの隙間から中を覗き込むと
飯田秘書が不器用な手つきで、ベッドのマリアの為に林檎を剥いているところだった。
山野辺刑事と川上刑事は顔を見合わせ、そのうち声を殺して笑い出した。
「?」
飯田秘書が顔を上げた。
「飯田さん?」
ベッドのマリアが飯田秘書に話しかける。
「いえ、なんでもありません」
飯田秘書は、林檎との格闘に戻り、マリアに話しかける。
「気分はどうです?」
「最悪。 風邪を引いて、Feb祭のお仕事が中途半端に終わるなんて」
マリアは口をとがらせた。
「ひどい熱でしたから、仕方ありませんよ」
「そうみたいなのね。 気がついたら病院でもお父様は半狂乱だったし、ここ一二週間の記憶がはっきりしない
し……」
飯田秘書が手を止めた。
「お嬢様、そこなんですが、本当に記憶が飛んでいるのですか?」
「記憶が飛んでいると言うより、記憶が曖昧になっているような感じなの……」
飯田秘書は、じっとマリアを見ている。
「他の生徒会役員や部長さん達も、同じような症状なんですって? 私がうつしたのかしら……もしそうなら申し訳
ないことをしましたわ」
「お嬢様のせいではありませんよ」
飯田秘書は慰めを口にし、窓の外に目をやる。 すると、黒ずくめの女が下を通るのが見えた。 飯田秘書は何かを
呟いてから、軽く頭を下げた。
「飯田さん?」
「お世話になった人が、下に見えたもので……」
飯田秘書が窓を開けると、春の香りが流れてきた。
「春か……」
エミは桜を見上げ、呟いた。
「Feb祭が終わると春が来る、大学の頃はそうだったわね」
濃いサングラスの下で目を細めるエミ。 夜の魔物となった今、日の光は眩しすぎた。
「エミ……さん」
途中で声のトーンを落としながら、一人の女子高校生がエミの背後に駆け寄ってきた。
「『外』では他人のふり、よく思い出したわね」
エミは、小声で背後の如月麻美に応えた。
二人は、無言のままその場を去った。
十数分後、二人は『妖品店ミレーヌ』にいた。
「風邪で寝込んでいる間に、全員が記憶をなくしていたの? 女子生徒も男子生徒も?」
「記憶がないというより、ここ一〜二週間の記憶が曖昧になっているって」
「それはまた、ご都合のよろしい展開ですこと」
誰に向かってか、皮肉たっぷりのエミのセリフだった。
「きっと『サキュバス』になっていたせいだと思うの。 そして男性は、『サキュバス』に操られていた間の
記憶がない。 どう?」
麻美の言葉に、エミは疑問を呈する。
「その仮説では説明がつかない点があるわ、『サキュバス』に襲われた時の記憶は? その時点では全員
人間だったのよね」
「えーと……」
「それに男子生徒達も同じ様に記憶をなくしていると言ったわね。 同じ目に合った飯田秘書は? 彼は記憶が
残っているのよ」
「うっ……」 麻美は言葉に詰まった。
「記憶をなくした人間の共通点は、病院に運ばれたこと。 つまり『ミスティに風邪をうつされた』と言うことかしら」
「風邪……まさか、あの悪魔っ子の体内で……」
「悪魔のウィルスと化した悪性インフルエンザが、皆の記憶を奪い去った……」
エミの言葉に、カウンターの向こうのミレーヌが応える。
「……それも……根拠のない憶測……」
エミは頷いた。
「その通り、いえ、憶測ですらないわね。 まぁ、事態が収束の方向に向かっていることを、素直に喜びましょうか。
それじゃ私は、証拠になりそうな物の後始末にいくから」
エミは身をひるがえし、颯爽と店を出て行った。
残された麻美が、ミレーヌを見た。
「……エミさんに隠していることが……ありますね……」
麻美は微妙な表情を見せ、躊躇いがちに鞄を開き、中から30cm程の立像を取り出した。
「……『赤い女神』……」
それは、『赤い悪魔の像』と同じ材質で作られた『赤い女神の像』だった。 麻美は鞄の中から懐中電灯を取り出し、
無言で像に光を当てた。
「……」
女神の像を抜けた光が、壁に女性の姿を映し出す。 その女性は何かを喋っているようだが、何も聞こえてこない。
「これは、なんなの? もしかして、『蜘蛛の女王』の魂がここに……」
麻美の問いに、ミレーヌは首を横に振る。
「……彼女がここにいるのか……ただの記録なのか……今はわかりません……」
ミレーヌは木箱を取り出し、像をしまう。
「……取りあえず、預かりましょう……」
麻美は頭を下げ、さっきエミが出て行った出口に向かう。 が、出口の所で立ち止まり、背を向けたまま呟いた。、
「自分でも判らないの。 なぜエミさんに、この像が『赤い悪魔の像』の中から出てきた事を言わなかったのか……」
ミレーヌの応えはなかった。 麻美は息を吐いて店の外に出ていく。
「……さて……」
ミレーヌは音もなく立ち上がり、店の奥を通り抜け、裏庭に出た。
「オオオ、猿ノ手ヨ! ばなな泥棒ヲ懲ラシメタマェ!」
「あいたぁ!!」
ミスティが性懲りもなくスーチャンのバナナを盗み食いしたらしく、『猿の手』が飛んできてミスティお尻をペシペシと
叩いている。
「……世は全て事も無し……」
フードの下でミレーヌの唇が、微笑みの曲線を形作る。
ミレーヌのフードの向いている先、裏庭の結界の向こう側を、一台のパトカーが通りすぎた。
「記憶がねぇ。 どうなっているのやら」
パトカーの後部座席で山野辺刑事が呟く。
「全く、エ……えーと『ジョーカー』が希望を叶えてくれたんですかね」
川上刑事が応じた。
「ふむ、そう考えるとしようか。 しかし、今でも信じられねぇなぁ、人間に角や尻尾が生えるなんて」
「ええ、まぁ皆人間に戻れて……」
川上刑事の言葉が途切れる。
「どしたぃ?」
「い、いえ」
川上刑事は前を向いたまま、内心の動揺を隠す。
(人間に角や尻尾が生える……まさか、エミも?)
<ミスティ・5 【悪魔と魔女とサキュバスと】 終> (2012/03/24)
【<<】
【解説】