悪魔と魔女とサキュバスと

第ニ章 サキュバスのゾウショク(2)


 節分、水天宮署。 川上刑事は、昨晩発生した小火騒ぎの報告書を読んでいた。

 (……近所のアパートの窓から白煙が噴出しているとの通報が消防署に……)

 「川の字、時間あるか?」

 「山之辺さん?」 川上刑事は肩越しに振り返り、目を見開いた。「どうしたんですか? その顔は」

 「ちょっとな」 山之辺刑事は、顔のあちこちに絆創膏を張っていた。 「それより、時間は?」

 川上刑事は、すばやく辺りに目を走らせた。 重石課長と目が合い、ちょっと困った顔をする。

 「……」 課長席の重石課長は、川上刑事と山之辺刑事の両方に視線を投げ、壁の時計を見る。

 「山之辺君、昼を一緒に。 いいかな?」

 「……かまいません」(昼までに済ませろ……だな)

 
 山之辺刑事と川上刑事は、署を出て近くの喫茶店に入った。

 「川の字、お前去年の夏に大学のガス爆発を処理したな」

 「は?……ええ」

 「その時、学生が妙な事を言っていたよな。 『ジョーカー』とか……調書にはなかったが」

 「……」

 「その『ジョーカー』、お前知ってるな? そいつと連絡取れるか?」

 「は? 山さん?」

 「昨日の事だが……」


 −− 2007年2月3日 夜大河内邸の図書室の前で、獣の如きうめき声が交錯していた。

 あ……アァ…… もっと……

 はっ、はっ、はっ……

 ふぅー!!、ふぅー!!

 どぅどぅ!

 最初から、マリア、飯田秘書、大河内氏、山之辺刑事の発した声である。

 山之辺刑事を連れ、大河内氏が邸宅に戻ったとき、マリアは既に帰宅していた。

 「お久しぶりです。 山之辺のおじ様。 年末年始はお仕事大変でしたか?」

 「おぅよ、悪い風邪が流行ってな。 マリア嬢ちゃんも気をつけな」

 応接室に現れたマリアは、礼儀正しく挨拶すると、何事もなかったように私室に下がった。

 「いっちゃん?」

 「昼間は普通なんだよ。 悪いが夜までいてくれ」

 そして夜、飯田秘書が操られるように図書室に向かい、その後を還暦が近いおじ様二人が後をつけ、そして……と言うわけだ。

 「殆ど出歯亀だぜ」

 ぶつぶつ言いながら山之辺刑事は、ドアの隙間から中を覗く。 が、照明が落としてあり、黒い影がそれらしく動いているのが

見えるだけだ。

 (うーむ、踏み込むきっかけがねぇ…お?)

 部屋の中が赤い光に染まる。 『赤い悪魔の像』が光り始めたのだ。 そして、像から放たれた『光の糸』が、中の二人の体に

絡みつく。

 「こいつは……」

 アァァァァ……

 マリアが歓喜の声をあげ、その頭から角が生え、目が金色に輝く。 そして、マリアの背後で黒い影が勢いよく動いている。

 「尻尾……」

 「マリアーー!!」

 大河内氏が叫び、扉に体当たりしてしりもちをついた。 山之辺刑事は大河内氏を制してノブを廻す、鍵はかかっていない。 

山之辺刑事はドアを引きあけて中に入り、大河内氏が続く。


 「マリア嬢ちゃん」

 中に入った山之辺刑事は、二人を見て息を呑んだ。 飯田秘書げっそりとやつれているが、その顔には狂気にも似た

歓喜の表情が張り付いている。 そしてマリアは……

 「おじ様、プライベートな時間に無粋ですわ。 それとも、プライベートなお付き合を?」

 口調こそ丁寧だが、絡みつくような女の声色。 赤い光に妖しく照らされた体は、若さと成熟さを兼ね備え、山之辺刑事の視線を

引き付ける。

 「無礼は勘弁しろな、お父さんに頼まれごとがあってな。 すぐ終わる」

 山之辺刑事は、震える手で拳銃を取り出し『赤い悪魔の像』に狙いを定めた。 しかし、銃口と像の間にマリアが滑り込んだ。 両手を

広げて像をかばう。

 「どきな」

 「いやです」

 僅かの間があり、山之辺刑事は銃を下ろした。

 「考えてみりゃ、こっちのほうが正解だな」

 上着を脱いで、マリアに近づきの肩にかけた。

 「マリア嬢ちゃん。 嬢ちゃんは何か悪い病気に掛かっているようだ、病院に行こう」

 「『大将』!?」 大河内氏が叫ぶ。

 「大丈夫、病院は患者の秘密は守る。 俺が運転するから、いっちゃんは秘書の人を……ぐわっ!?」

 マリアが山之辺刑事の腕を掴み、捻りあげていた。 高校生女子の力とは思えない力だ。

 「ご親切に有難うございます。 でも私は大丈夫です。 お父様、飯田さんを介抱してさしあげて、大分お疲れの様子ですもの」

 「ま、マリア」

 「おじ様、恐縮ですがお父様を手伝ってあげてくださる? それとも……」

 「!?」

 山之辺刑事の背筋が総毛だった。 マリアが彼の耳を咥え、舌を耳の中に差し入れてきたのだ。 それだけで、背筋をゾクゾクする

ような痺れが走り、ズボンがきつくなる。

 「せ、せっかくのお誘いだが、今日は家内の誕生日でな」

 「あら、それはいけませんね。 早く帰って差し上げなければ」

 マリアが手を離し、山之辺刑事は床に転がり、したたかに顔を床にぶつけた。 マリアは、山之辺刑事の上着を脱ぎ、応接机の上で

丁寧にたたんで山之辺刑事に返す。

 「お洗濯してかえすべきなのですが。 その格好では帰れませんものね」

 ワイシャツ姿の山之辺刑事は、ショルダーホルスターと拳銃がむき出しになっている。 山之辺刑事は顔を抑えつつ上着を受け取り、

飯田秘書を担ぎ上げると、おろおろと二人を見比べている大河内氏を促して部屋を出て行った。


 「……というわけだ」

 「山さんは、その像が怪しいと思っているんですか?」

 「正直判らん。 あの時は像を壊せばと思ったんだが……」

 「なら、マリアさんがいない時を見計らって……」

 「後手に回った」

 「へ?」

 「俺たちが飯田を入院させ、屋敷に戻ってみたら、マリア嬢ちゃん、像をどこかに運び出しちまった」

 「え……」

 「しくじったぜ。 最初に像を確保してから、現場を押さえるべきだった」

 山之辺刑事は深々とため息をついた。


 同時刻、コーポコポ、エミがお見舞いに来ていた。

 「スーチャン? ミスティの具合は」

 「オネツ、オネツ」

 スーチャンはエミの持ってきた電子体温計を差し出す。 読み方がわからないらしい。

 「40℃……はて、悪魔の平熱っていくらかしら?」

 エミが考え込んでいると、体温計のデジタル表示が減り始めた。

 「あれ? 39……38……37……変ね。 リセットしていないのに」

 「ヘン?」

 「36……35……34……」

 「サガル、サガル、ドンドンサガルー」

 ピッ、ピッと音を立て、体温計のデジタル表示が減っていく。

 「10……9……まさか!」

 エミは窓に駆け寄ってがらりと引き明け、体温計を力の限り放り投げ、さっきまでの体温計の間隔でカウントダウンを続ける。

 「3……2……1……0!」

 ドン!

 けっこう大きな音を立て、体温計が空中で爆発した。

 「ワー、ハナビー!」

 きゃっきゃっとスーチャンが喜び、エミは畳の上にへたり込んだ。

 「どうなってるのよこれ」

 エミの携帯電話が鳴った。 エミは携帯を取り出して、発信者を確認する。

 「川上さん……」

 エミはちらりと布団で寝居ているミスティを見て、ため息をついて電話に出る。

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