魔女の誘い

第一章(10)


 ビル達は、昨夜横になった場所で朝を迎えた。 しかし、自分たちを縛り付けた縄はほどけている。

 「……」

 固い表情で、ビルはババ車に結び付けた縄をほどく。 ほどきながら、チラリとアランに視線をやった。

 「……」

 アランは平然と芋の皮を剥き、朝食の支度をしていた。

 
 『ごちそうさまでした』

 一同は食事を終え、後片付けを始めた。

 「アラン、ちょっと話があるんだが」 ビルが言った。

 「ああ、これが終わったらな」

 後片付けを終えると、ビルとアランはババ車から少し離れた場所に移動した。

 「話ってなんだ」 アランが言った。

 「昨夜のことだよ。 また俺たちはあそこに行ったよな」

 ビルの言葉に、アランは黙ってうなずいた。

 「お前…あの女に……」

 「『奥様』と肌を重ねた」

 言いよどむビルに、アランはきっぱりと言った。

 ビルは下を向き、意を決して顔を上げる。 アランの顔に、ディックや集落の者たちと同じ、あの安らかな笑みが浮かんでいる。

 「くそっ」

 「なぁビル。 お前は……」

 「言うな。 お前ももう、正気じゃない。 あの化け物に取り込まれちまった」

 吐き捨てるように言うビルに、アランは眉を寄せた。

 「取り込まれた……か。 否定はできんな。 しかし、おまえも一度あの方と……」

 「言うな!」

 ビルが血相を変えて立ち上がり、その場を去ろうとする。 しかし、アランが彼を呼び止めた。

 「ビル、少し話そうぜ」

 「何をだ!」

 「ここから出たとして、その後のことをだ」

 「え?」

 予想外の言葉に、ビルは立ち止まってアランを振り返る。 アランは真剣な顔でビルを見ていた。 ビルは迷ったが、その場に留まり、アランと話しを続ける

ことにした。


 「俺たちは、この後どうするつもりだった?」

 「『都』まで行って、次の仕事にかかる……つもりだったが、予定通りには到着出来んな」

 「都の劇場で公演している劇団の端役だったな。 穴開けちまったから、もう役はないぞ」

 「わかってる。 また一から出直しして……」

 「端役もらうだけで、どれだけ苦労した? 一から出直して、また端役もらえるとこまでいけるのか?」

 ビルは険しい顔で、アランを見返す。

 「おい……お前、芸団がいやになったのか?」

 アランはため息をついた。

 「そうじゃない。 ただ、ダニーとルウのことも考えろよ」

 「……」

 「次の仕事の子役がいるから、ルウを引き取った。 それがおじゃんだ。 ここを出たら、おれたちは路頭に迷うことになるぞ」

 ビルは歯ぎしりをして黙っている。 考えたくないことを指摘され、返事が出来ないのだ。

 「だから……だからここに残ろうと? あの化け物に飼われるつもりか!」

 「ルウとダニーは、ここから逃がしてやれるかもしれんさ。 しかし、その後は? ルウはあの村に戻れるのか? ダニーは行く当てがあるのか?」

 「お前……だからここに残るのがいいと思っているのかよ!? ここにいたら、いつかあの女に喰われるんだぞ!」

 「では外なら生きていけるのか? この辺りの村なら、少し雪が多く降れば、凍えるか、飢えるか村人の半数は冬を越せないぞ」

 「……」

 「俺達だってそうだ、前の冬はどうだった? その前の冬は? 今生きているのが奇跡なぐらいの生活だったろうが」

 「……それは」

 「ここいれば『奥様』に飼われることになる。 じゃあ外なら? 村に住めば村長に、領主に『飼われる』 喰われはしないだろうが、こき使われて税金を

納め続けるだろう」

 「ここには、それがないと言うのか」

 アランが頷いた。

 「気がついたか? この集落は豊かはないかもしれんが、極貧ではないぞ。 みないいモノ食っていただろう?」

 「ああ……それが『奥様』のおかげだと?」

 再びアランが頷く。

 「昨夜、寝物語に聞かされたよ。 『奥様』は集落の者たちを飼っているけど、『奥様』は集落の者たちに養われている。 その点では『外』の村長や領主と

変わらない。 ただ、人間の領主たちより安上がりに『養える』んだと」

 「どういう意味だ?」 アランは戸惑った様子で聞き返した。

 「『奥様』一人が生き続けるだけなら、そんなに人を喰う必要はないし、彼女は他に食べ物を必要としないわしい。 館のメイド達は人間だから、食料が

必要だが館の裏にも畑があって、そこで大部分は賄えるらしい。 つまり、集落の収穫は集落でほとんど消費され、館に収めるのはわずかなんだと。 つまり

この集落の住人は、ほとんど税を納めていないんだ」

 「それでか……ルウの村に比べて、住人の体格が良くて健康そうなのは……まてまて。 それは、自分の餌を養うためだろうが!」

 「それはそうだな。 だが、住人にとってどっちが良いと思う?」

 「いつ喰われるか、わからんのだぞ!?」

 「手当たり次第、ではないとおっしゃっている。 『奥様』にしても、集落が崩壊しては困るわけだし」

 ビルは沈黙し、歯を食いしばる。 アランの言っていることは、ある面正しいのかもしれない。 しかし……ビルはそれを認めることが出来なかった。

 「だが……人は、人間は、魔女の餌じゃない。 いくら、いい暮らしが保証されているからと言って、飼われる立場に身を落とし、自らの尊厳を捨てるような

ことが、正しいはずはない」

 「もっともだ。 おれもそう思う」

 あっさりとビルの言葉を肯定するアランに、ビルは目を剥いた。

 「おい! 今ままでお前の言ってきたことは何だったんだ!」

 アランはため息をついた。

 「ビル。 理念としては賛成する。 いままで芸団をやって、都で一旗揚げようとしていたのも、独立独歩で生きていきたかったからだ。 しかしな……」

 アランは言葉を切り、考える風になる。

 「その生き方でも、結局は自分の食い扶持を誰かから施してもらうことにはならないか?」

 「ぐ……」

 「大勢の観客がいて、その人達がいなければ路頭に迷うおれたちがだ、尊厳だなんだと偉そうなことを言えるのか?」

 「だ、だから飼われて、魔女の餌に甘んじろというかのか?」

 「領主に税金を納めるのだって、形こそ違え、自分を餌として差し出しているようなモノだろうよ」

 「詭弁だ」

 「その通りだろうな。 結局のところ、ここから出て今までの生活に戻るのと、ここに残って『奥様』に食べられるまで安楽な生活をするのと、どちらを選ぶか

は、それぞれで決めるしかないだろう ただ、俺がここに残る理由を、お前に話しておきたかったんだ」

 「……」

 ビルは唇をかんだ。 アランの理由が理解できなかったからではない。 良く判るからだ。 ずっと食うや食わずの生活をしてきた彼らだ。 あの集落での

暮らしができると言うだけでも、ここに残る十分な理由になる。 それでももビルはアランに同意できなかった。

 「『俺に同意すれば、今までの暮らしが無意味なものになる』そう考えているんだろう?」

 アランがそう言った。 その通りだった。 他に生活を営む術がなかったからではない、いつか、都の舞台で主役をはる、そう言う夢があるから、こんな

放浪生活に甘じている。 そうでなければ、昨日までの自分を全否定することになる。

 「お前の気持ちはわかったよ。 でも、おれはここを出る。 次の満月まで耐え、出て行ってみせる」

 アランは悲しげな表情になった。

 「お前ならそう言うと思ったよ……」


 ビルとアランが戻ってくると、ディックとダニーとルウがもババ車の荷物を整理し、出発できるようにしていた。 もっとも、ここを出てもすぐに戻ってきて

しまうので、準備だけだったが。

 「ビル、今日はどうする?」 ディックが尋ねた。

 「昨日と同じだ、集落の手伝いをして、食料を分けてもらう。 次の満月まで、その生活を続ける」

 ディックがアランを見ると、アランは首を横に振った。

 一行はババ車をその場に残し、集落の農作業を手伝いに行った。
 
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