魔女の誘い

第一章(3)


 翌朝、ビルたちは日が昇る前に起床し、館の台所で簡単な食事を済ませると、メイド頭の女性に出発の挨拶をした。

 「お世話になりました。 奥様はお休みと思いますが、先がありますので失礼いたします」

 「そんなにお急ぎにならずとも、ここを出られるのはだいぶ先になりますよ」

 メイド頭の言葉にビルは首を傾げた。

 (どういう意味だ? 森を抜けるのに時間がかかるということかな?)

 聞き返そうかとも思ったが、聞き流して先を急ぐことにした。

 「でいえ、先を急ぎますので。 それでは」

 ビルは一行を促し、ババ車を囲むようにして館を後にする。

 「親切な奥様でしたね」 とルウ。

 「全くだ。 しかし、ルウの生まれた村からそう遠くないが、ここの事は知らなかったのか?」

 「峠を越える機会はなかったんです。 村の人も、よほどのことがないと村から出ませんよ」

 話をしているうちに、『奥様の土地』外れに立っている小屋の辺りまで来た。 そこから先には、昨夜同様に霧が出ている。

 「まだ霧が出ているな。 先が見えないぞ」

 「道を外れない様に進もう」

 ビルが先頭に立って道を進み始めた。 行く手を遮るかのように、霧が渦を巻いている。

 ガラガラガラ……

 ババ車の音だけが霧の中に響く。 しばらく歩くと、行く手に黒い影が見えた。

 「また森になっているのか?……いや、あれは小屋……ええっ!?」

 ビルが驚きの声を上げた。 霧の向こうから現れたのは、彼らがついさっき通り過ぎた小屋だった。

 「……同じ形の小屋か?」

 「違う! 見ろ!」

 アランの指さす方には、他の家、そして『奥様の館』が見える。

 「……どこかで迷ったらしいな」

 ビルが震える声で言った。 だが、そんなことはあり得なかった。 小屋の前を過ぎたのはほんの少し前だ。 そんなに長い時間、霧の中を歩いていた

わけではない。

 「戻るぞ!」

 ビルは自分に言い聞かせるように言い、ババ車の向きを変えて霧の中へと進み、一行が慌てて後を追った。

 
 「……どうなってるんだ」

 何度試しても、霧からでると小屋の前に出る。 一同は息を切らし、その場にへたり込んだ。

 「どうしましたか?」

 声がした方を見ると、『奥様の土地』の住人らしい男がこちらに歩いてくるところだった。

 「い、いえ……はは、霧が濃くて迷ってしまったようで」

 ビルがそう言うと、男は納得したように頷いた。

 「ああ、昨夜こられた方たちですね。 次の満月の夜までは、ここからは外には出られませんよ」

 「え!?」

 驚く一同に、男が話を続ける。

 「ここは不思議な土地でして。 満月の夜にだけ『道』が開くんです。 ただ、『入る』か『出るか』しかできないので、一度入ると、次の満月まではここに

留め置かれるんです」

 「……つまり、我々は閉じ込められたと?」

 「まぁ、そうですね。 次の満月まで待たないと出られません」

 「そ、それは困る」 ビルが立ち上がった。

 「だいいち、そんな変な話は聞いたことがない」

 ビルはやや声を荒げた。 散々歩いて、疲れていたせいもあるのだろう。

 「まぁ、不思議な話ですよね。 奥様の魔法かもしれませんが」

 男の言葉にビルは眉を寄せ、他の面々も顔を見合わせた。

 「奥様の魔法? なにかの冗談ですか?」

 「いえいえ、冗談ではありません。 奥様は魔女なのです」

 男はそう言うと、ビルたちに館の方を示した。

 「昨夜は館でお休みだったのでしょう? 次の満月まで、お世話になってはいかがですか? 奥様は歓迎してくださいますよ」

 そう言うと、男は踵を返して戻っていき、あとには唖然とした様子の旅芸人一行が残された。

 
 「ビル。 どうする」

 アランが尋ねた、ディックも不安そうな様子でビルの答えを待っている。

 「魔女……お前らはどう思う?」

 ビルが聞き返すと、一行は不安そうに霧の壁と館を見比べる。

 「昨日の晩だったら笑い飛ばしたが……」

 ディックが言葉を濁した。 霧と小屋の前をさんざんに歩かされた後では、信じるしかなかった。

 「仕方ない館に戻ろう」 ビルが言った。

 「次の満月まで世話になるのか?」 アランが聞いた。

 「いや。 ここを出る方法を尋ねよう。 奥様が魔女で、このおかしな霧を作り出しているなら、霧を消すか、出る方法をしっているんじゃないか?」

 ディックはビルの言に頷いたが、アランは懐疑的だった。

 「魔女だと言うのが本当なら、魔法でここの住人達を閉じ込めている訳だろう? 素直に出してくれるかな?」

 「出さない理由があると言うのか?」 ビルが聞き返した。

 「理由もなしに、こんなことはしないだろう」 アランが言った。

 ビルは手を口に当て、しばらく考え込んだ。

 「よし。 住人から、もう少し奥様の話を聞いてみよう」

 「それで何かわかるのか?」

 アランがさらに聞き返した。 しかし、彼にもいい思案がある訳ではない。 取り合えず途中まで引き返し、住人から奥様とこの土地の情報を集めようと

いうことになった。
 

 ガラガラガラ……

 一行は、ババ車を引いて館への道を戻っていった。 道の両脇には畑があり、住人らしき男女が農作業にいそしんでいる。

 「ご精が出ますねぇ」 ビルが手近の女性に声をかけた。

 「あら、館のお客様ですね。 多分戻ってくるだろうとメイド頭さんが言ってました」

 「はは……」 ビルは苦笑いをした。

 「この辺りの作物は、館に収める分ですか」 アランが尋ねた。

 「ええ。 メイドさんたちが食する分ですわ」 女が答える。

 「へぇ。 奥様の分は別の畑ですか」

 「いいえ。 奥様は普通のモノを召し上がらないのです。 お酒やお茶はたしなまれますが」

 「モノを召し上がらない?」

 一行は驚いた。 奥様が魔女だと聞く前だと、冗談だと取ったかもしれないが、今は信じる気になっていた。

 「それは……やはり奥様が……その『魔女』だからですか?」

 「あら、ご存じでしたの? その通り……なのでしょうね」 女は笑いながら言った。

 「……」

 ビルはヒヤリとしたものを感じた。 なんだかわからないが、嫌な予感がする。

 「普通のモノを召し上がらない……何か特別なモノを召し上がるのですか。 蛇とかヤモリとか」

 「いやですわ。 そのようなモノをお出ししたら、奥様は卒倒してしまいます」

 女はさも嫌そうに手を振った。

 「これは失礼……あの、もし失礼でなければ、奥様が何を召し上がるのか教えていただけますか」

 「ええ、よいですよ。 奥様が召し上がるのは……『私達』です」

 ビルの目が丸くなった。

 「い、いまなんと……」

 「奥様は、『私達』を召し上がると申しました、はい。 誤解を恐れずに言うならば、私たちは奥様に『飼われている』のです。 あなた方が連れている

ババの様に」

 そう言って、女はにっこりと笑った。 ビルはその笑みに狂気を感じ、蒼白になった。

 「あ……あ……」

 次の言葉が出てこない。 足が震えている。 その様子を見た女が、さもおかしそうに言った。

 「いかがです?あなた方もここで暮らしませんか。 奥様は歓迎なさってくださいますよ」

 アランとディックがババ車の向きを変え、ババの尻を叩いた。 ババは不満そうに唸ると、速足で館と反対の方に進み始めた。

 ガラガラガラ……

 ババ車の音にビルがはっとする。 振り返ると、他の四人は霧の壁の方へと向かっていた。

 「おい待て、おいてく奴があるか!」

 ビルは、脱兎の勢いでババ車を追う。 その様子を見て、女はおかしそうに笑って農作業に戻った。

 
 日が落ちる頃、女は土地のはずれの小屋の前までやって来ると、息を切らしてへたり込んでいる一行に声をかけた。

 「館までいけば、泊めてもらえますよ」

 そう言って、にいっと笑った。

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