魔女の誘い

第一章(2)


 ガラガラガラ……

 ババ車の音が峠にこだまする。 日が落ちる頃、一行は峠の頂上に差し掛かっていた。

 「思ったより早かったな」 ビルが言った。

 「んー……しかし、峠を下ってから次の村までの方が距離があるんだろう?」 アランが応じた。

 「夜通し進んでも、次の村にはつかないらしい」 とビル。

 「なら進めるだけ進んで、峠を下ってから道の端で休もう。 そうすれば、明日の日暮れ前には村につくだろうさ」 ディックが言った。

 若者三人が先にたち、ババ車、ルウとダニーの順で一行は峠道を下って行く。 峠道の先は森の中へと続いているが、そこまではまだしばらくかかり

そうだった。

 
 日が落ちるの入れ替わりに月が昇って来た。 峠道から見える景色が、月明かりで一変する。 森は薄鈍色のじゅうたんと化し、峠道がその中へと

続いている。

 「……へぇ。 別の世界へ続く道みたいだ」 ビルが言った。

 「よせよ……お?」

 ディックが前に出た。

 「なんだ?」

 「なんかもやってないか?」

 ディックがそう言うと同時に、先方の森の中から白い霧が湧き出してきた。

 『おおっ……』

 思わず声を上げて歩みを止める一行。 その行く手を遮る様に、白い壁が迫ってくる。

 「おいおい、どうする」

 彼らは峠道の終わりまで来ていた。 今いる所は、丈の短い草が生えた原っぱで、すぐ先が森になっていて、道はそこに続いている。

 「行けるだけ行くか。 森の中なら道をそれることもないだろう」 とビル。

 「ここで止まっても距離は稼げないか……」 ディックが言った。

 「仕方ないな。 ダニー、ルウ、もう少し辛抱しろや」

 アランが振り返り、少年二人は黙ってうなずいた。 そして一行は霧の湧き出す森の中へと歩を進める。

 入ってみると、辺りは意外に明るかった。

 「月明かりが通っているのか?」

 「下は霧が濃いが、上の方は霧が出ていないんだろう。 はぐれるなよ」

 「はぐれようがあるかい」

 木の下は、コケや下草が密集しており、道を迷うことはなさそうだった。 一行は見通しのきかない森の中を進んでいく。

 
 「おや? 森が終わったのか」

 しばらく進んだところで、急にあたりが開けた。 いっても霧が消えたわけではなく、木が見えなくなっただけだが。

 「森を抜けるのには半日はかかるはずだ。 森の中の空き地じゃないのか」

 「そうか……や、人家があるぞ」

 ビルの言葉に、アランとディックが首をかしげた。

 「森の間道に人家があるのか?」 「樵の仕事小屋じゃないのか?」

 一行が進んでいくと、霧の中に人家が見えてきた、それも一つではない。 そして道が固くなり、畑らしきものまで見えてきた。

 「村だ……」

 「変だな、こんなところに村があるなんて聞いていないぞ」

 峠を越えて次の村に着くには、夜明けまで歩いてもまだつかないはずだ。 しかし、月はまだ中天にかかっていない。 一行が首をかしげていると、

明かりを掲げてやってくる人影があった。

 「どちら様ですか」

 尋ねてきた声は女だった。

 「旅の芸人です。 遅くに申し訳ありません。 峠を下って来たのですが……ここは何という村ですか?」

 「まぁ、そうでしたか。 この土地には名前はありません」

 女の返答に、ビルがいぶかしむ。

 「名前がない?」

 「ええ」

 その時、霧が流れて女の姿が見えた。 やや年のいった女性で、メイドのような服装をしている。

 「ここは村ではなく、館の奥様の土地です。 私たちはそこに住まわせてもらっているのです」

 そう言って、女は微笑んだ。

 「ははぁ、領主様の荘園か何かですか」 ビルは聞いた。

 「そのようなものです。 館はこの先です。 お休みになりたいのでしたら、館においでになられると良いでしょう」

 女の言葉に、一行は顔を見合わせた。

 「どうする?」 とビル。

 「領主の館があるなら、車を止めさせてもらえる場所があるだろう」 とディック。

 「そうだな」 ビルは頷いた。


 一行は、女の案内で『奥様の館』にやってきた。 館は二階建てで、かなりの大きさがあった。

 「立派なお屋敷ですね……」 ビルは驚いた様子で言った。

 「ええ」

 女性の案内で、ビルたちは庭にババ車を乗り入れる。 館の中から別のメイドらしき女性が出てきて、案内してきた女と言葉を交わし、館の中へ戻って

いった。 その間に一行は車を止め、野営の準備を始めた。

 「では、お庭の一角をお借りします。 ご無礼でなければ、私が奥様にご挨拶いたします」

 ビルがそう言うと、女が笑った。

 「はい、ご案内します。ですが、皆さんでいらしてください。 それに、外で過ごさなくともお部屋を用意いたしましょう」

 女の言に、ディックとアランが手を止めて顔を見合わせた。

 「よろしいのですか? ご厚意には感謝しますが、我らはただの旅芸人ですよ?」

 土地の領主が旅人をもてなすことは珍しくない。 また、主人が親切な人であれば、旅人を館に招くこともある。 ただし、それはそれは旅人に身分が

あるか、身元がはっきりしている場合だ。 流れ者の旅芸人と領主が直に挨拶するなど、まず考えられない。

 「はい、奥様はたいそう優しいお方です。 どんな人も分け隔てなく、優しくしてくださいます」

 「それはそれは」

 感心して見せるビルだったが、どうにも納得できずにいた。 しかし、泊めてくれると言うのであれば、挨拶しない訳にはいかない。

 「では、少しお待ちを。 せめて着替えましょう」

 旅姿の一行は埃まみれであり、領主のご婦人の前に出る格好ではなかった。 着替えるのは当然の配慮だったが、女は笑ってそれを止める。

 「奥様は格好など気になさる方ではありません。 どうぞそのままで」

 「いえ、さすがにそれは……」

 少しの間やり取りがあったが、待たせるのも失礼もなんだという事で、全員がその格好であいさつすることになった。 パタパタ手服を叩いて埃をはらい、

互いの格好を確かめ合った。

 「では、こちらへどうぞ」

 女が皆を館の中へと案内する。

 「……」

 中へ入ると、年季の入った造りになっていた。 階段や扉が黒光りし、燭台に灯りがともされている。 贅沢ではないものの、掃除が行き届き居心地の

良い空間になっている。

 「ご立派なお屋敷ですね」 ビルが世辞を口にする。

 「ええ」

 女が先頭にたち、館の奥の部屋へ一行を案内する。 重々しい扉の前で、訪問者の到着を告げた。

 「おはいりなさい」

 女が扉を開け、中へ入った。 一行がそれに続く。

 (あれが領主の奥様か……)

 執務机の前に立っている『奥様』に、ビルは深々と頭を下げて礼を述べた。

 「夜道を大変でしたね。 どうぞゆっくりと体を休めてください」

 『奥様』の言葉に、ビルは顔を上げ、改めて『奥様』を見た。

 (……)

 美しい人だった。 華やかさは感じないが、母親の様な暖か身を感じさせる人だった。 なにより……

 (やっぱり、いいもの食べている女の人は違うなぁ……)

 落ち着いた黒の服に包まれた『奥様』、その豊かな胸は服からはみ出そうなほど大きく、くっきりとした谷間目を引く。 町や村の娘で、ここまでの大きさの

胸には、お目にかかったことがなかった。

 (と、いけねぇ)

 気を抜くと視線がそこに集中してしまう。 無理やり視線を外し、仲間へ目を向けると、みな奥様の胸に見とれているではないか。

 ゴホン!

 思い切りわざとらしく咳をして、皆の注意を自分に集めたビルは、丁寧な感謝の言葉を述べ、そこを辞した。

 一行が部屋を出て、扉が閉まる。

 「……ほんとうにお久しぶりのお客様……」

 奥様は笑った。 優しく……そしてどこか妖しく。

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