魔女の誘い

第一章(1)


 その昔、人は地に満ちて、空を渡り、遠き友と会話し、熱さも寒さも知らなかったという。

 しかしてある時、人々はその術を失い、数を減らし、明日の生を求めて今日を生きるようになった。

 これはそんな世界の物語の一つ……

 
 その地には人がいた、獣がいた。 そして、魔の眷属たちが跋扈していた。 魔の眷属たちは人の上位にたち、その生成与奪を思うがままにし、人々は

彼らを恐れた。 ただ魔の眷属たちは人に比べて絶対数が少なく、人々が結束すれば自分たちを守ることが出来た。

 
 その地にはミトラという名の宗教があった。 ミトラ教は魔の眷属たちの膨大な知識を管理し、それを人々に伝え、また時には自らが率先した対応をとり、

人々を守護していた。

 だが世界は広く、ミトラ教が知らない魔の眷属も無数にいた……そう、闇の中に

 −−都から遠くと離れたある村のミトラ教会−−

 ミトラの安息日、教会では巡回のシスターが村人にミトラの歴史を語っていた。 それなりにいい暮らしをしているのか、既成のシスター服が窮屈そうで、

村の男の視線がシスターの胸元に集中し、村の女達の視線は羨望と敵意がこもっていた。 しか、子供たちにとっては、遠くから来た知らない『おばさん』に

すぎなかった。

 ”かって世界が混乱に満ちた時、三人の娘が人々の前に現れました。 一人は人、混乱のさなかに命を落とした先達より古の力を受け継し魔女の末裔。 

一人は黒き羽を持ち、知恵と知識を貪欲に求める魔の眷属。 一人は天の子、桃色の肌を持ち、あらゆる苦難を笑って受け流す、強き心の持ち主”

 
 「物は言いようずら」 と村人その1が呟く。

 「んだ、実は新米魔女と学者バカの悪魔、能天気な桃色天使だべ」 と村人その2。

 
 ”三人は、生き残りの国の指導者の力となり、ミトラの礎を築きました。 しかし、三人は力を持つものの、完全ではありませんでした。 魔女の末裔は己の

在り方に疑問を持ち、魔の眷属は人の心が判らず、天の子は思慮に欠けていました”

 
 「上役には最悪の組み合わせだべな」
 
 ”三人は己の限界を知っていました。 ミトラの礎が形を成したとき、彼女らは人々を前に告げました。 『我らには欠けたるものがあり、それゆえミトラを

動かすには適さない、ミトラを動かすためには人の力が必要。 後を頼みます』 そう言い残し、三人の娘は人々の前から姿を消しました。 そして、今の

ミトラ教が始まったのです”

 
 「仕事に失敗して、残りを丸投げしたと」

 「んで、トンズこいたと。 ま、見事な反面教師だべな」

 
 シスターが話を終えると、村人は礼を言って教会を去っていった。 後にはシスターと教会の責任者のブラザーが残った。

 「教会創設の訓話、いつも思うのですが、あまりに真っ正直すぎますな。 もう少し脚色してあってもよさそうなものですが」

 ブラザーの言葉に頷くシスター。その口の端が引きつっている。

 「そ、そうですわね……ま、本当のことだったし」

 「なにか?」

 「いえ、こちらの事です。 ときにブラザー、表にあったババ車は定バ車ではないようですね?」

 「ああ、旅芸人ですよ。 行き場のない子がいれば引き取りたいと村長に交渉に来てました」

 シスターは眉を寄せた。

 「認めるのですか?」

 「仕方ありません。 冬の雪崩で、村はずれの家がつぶれて3家族が犠牲になりました。 助かったのは男の子が1人だけ。 縁者もなく天涯孤独になり

ました」

 「教会ではなにも?」

 「ここは、安息日だけの集会所、私も隣村がの担当ですから……」

 ため息を吐くブラザー。 教会と言えども余裕がある訳ではなく、身寄りのなくなった子を全て引き取ることはできない。 旅芸人が身寄りのない子に、

生きる場所を与えてくれると言うのであれば、願ったりかなったりの話ではあった。 が、それは大人の方の都合だ。 子供にとって、生まれ育った土地を

離れるのがどれほどつらい事か。

 「仕方ありませんか……と、ブラザー」

 「なんです?」

 「この辺りには……『くちべらし』の習慣はないでしょうね」

 シスターから視線を逸らすブラザー。 教会のシンボルを見上げて呟くように答える。

 「育ちの悪い子は、冬場によく……私に言えるのはそれだけ……と」

 ブラザーがシスターに視線をもどした。

 「?」

 「いえ、ここから港町に向かう峠道があるんです。 それについて言い伝えがあったのを思い出して」

 「言い伝え?」

 「『満月の晩に峠の向こうに行ってはいけない、引かれて帰ってこれなくなるから』と」

 「『帰ってこれなくなる』…… そう言うことが実際に?」

 「私が来るようになってからはありませんが……」

 ブラザーは話をそこで切りあげた。 シスターは少し考えていたが、どのみち自分にできることはないと荷物を片付け、なれた様子旅じたくにかかった。

 「ではこれで。 私は西の鉱山町へ参ります」

 「ええっ、お一人で? いくら巡回役とは言え……」

 「全くです。 教会は人使いが荒くって……これも自業自得かしら」

 「は?……えー、では再開できることを願っています。 気をつけて、シスター・エミ」

 ブラザーに笑顔であいさつし、シスター・エミは村を後にした。

 
 旅芸人のビルは村長と交渉していた。 交渉の内容は預かる子供の支度金だ。

 「100はきつい。 冬までは親も居たんだろう。 50が相場だ」

 「それからは、うちで預かってたんだ。 ちゃんと食事も寝床も与えていた」

 『養育費』の額で交渉が続き、まとまったのはだいぶ日が傾いてからだった。

 「そんじゃ、あの子はうちで引き取っていくぜ。 名前は……」

 「『ルウ』だ」

 「ん……わりと良くある名だよな……おう、ルウ坊ってのきお前か」

 部屋の外で待っていたのか、一人の少年が村長の部屋に入って来た。 金髪の内気そうな少年だ。 農村の子にしては体の線が細い。

 (あー、やっば力仕事向きじゃねぇなぁ。 こりゃ)

 ビルは値踏みするようにルウを見ていたが、手招きして少年を傍によんだ。

 「あー、聞いてるかどうか知んねぇけどよ。 お前ぇは今日からうちの芸団の団員になった」

 「芸団……判りました。宜しくお願いします」

 丁寧に頭を下げる少年に、ビルの方が面食らった。

 (えらく物分かりがいいじゃねぇか。 普通こんな子供だったら、泣き出したりぐずったりするもんだがよぉ……)

 戸惑っていたビルだったが、ルウが納得しているなら問題はない。 彼は、ルウに村長へ別れの挨拶をさせると、すぐに立ち去ろうとした。

 「ん? 今から立つのかい」

 「ああ、予定が押してるんだ。 これから峠越えをするつもりだ」

 「おいおい、夜道の峠越えなんて危ないだろう」

 「やばそうなら手前で野宿するさ。 幸い今夜は満月。 峠道なら月明かりに困ることもないだろうよ」

 「満月ならなおさらまずいよ。 ここいらにはなぁ……」

 村長は、ブラザーがシスター・エミに語ったのと同じ話をして聞かせた。 魔の眷属が跋扈するこの地では、この手の言い伝えは根拠のない与太話ではない。

 「満月の晩……ミトラの教会はなんていってるんだ?」

 ミトラ教会は、魔の眷属の信頼できる情報源だ。 もし、ミトラ教会が把握していなければ、その情報の信ぴょう性がぐっと下がる。

 「いや、ここに教会が出来てからはそう言うことは起こっていない。 だいたい夜に出歩くものなど、ほとんどいないしな」

 「むぅ……」

 ビルは考え込んだ。 だが、彼が慎重な性格なら、旅芸人の様な浮草暮らしに身を動じることもないだろう。

 「ご忠告は判った。 が先の予定も大事なんだ。 やっぱりこれから立つよ」

 「おい」

 「何かがいるとしてもだ。 一匹かそこらだろう。 俺たちはババ車で移動し、人数も5人。 まず出てこないさ。 群れを成すような奴らなら、ミトラで把握

して村に流してるはずだかんな?」

 「そうかもしれんがなぁ……」

 引き止める村長をいなし、ビルはルウを連れて仲間の旅芸人の処に戻る。


 「遅かったじゃないか。 日が暮れちまうぞ」

 「悪かったぜ、ディック、アラン」

 ビルの仲間の旅芸人が文句を言った。 教会の傍にババ車を繋いで、ビルを待っていたのだ。 ディックとアランにビルはルウを紹介する。

 「こいつが? おいおい、随分と……」

 「んー可愛らしいというか……」

 驚いた様子のディックとアラン。 ルウ少年は、ビルが見た通り線が細い少年だった。 といって、骨と皮ばかりりガリガリに痩せているという訳でもなかった。

 「だろ? 村長の家の前で見かけたときは、女の子かと思ったぐらいだ。 力仕事は無理だが、これなら女の子役が務まるぜ」

 ビルの言葉に、ルウの表情が動いた。

 「女の子……僕が?」

 「おおよ。 断っとくが『恥ずかしい』なんて言うなよな」

 「世の中、食っていくためには何でもしねぇとな。 おい、ダニー!」

 アランが呼ぶと、ババ車の陰から少年が姿を現した。 こちらはルウより背が高くい。 ただ、手足の肉はそれほどついておらず、痩せている。

 「よろしくお願いします。 ルウといいます」

 「ああ。 ダニーだ」

 ダニーは無表情のままルウに挨拶した。

 「おうし、出発するぞ」

 ビルが声をかけ、一行はババ車がを囲むようにして村を出る。 日が空を赤く染め始めていた。


 「ここから峠道か……あれは?」

 ビルが道の先を指さした。 長く影を引いた立て札らしきものが、道の脇に立っている。

 「道しるべかな? 分かれ道でもないのに妙だな」

 アランが首をかしげ、小走りで立て札ら駆け寄り、声を出して読む。

 「『マジステール』……峠の名前か?」

 「ルウ、峠の名前かい?」 ビルが尋ねた。

 「村では『見晴らし峠』と呼んでます。 ほかの名前がついているかどうかは知りません」

 「そうか」

 一行は立て札の前を通り、峠を上り始めた。
 
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