乳の方程式

Part2 『アップル・シード』


3時間10分後、船長、ルウ、ランセン技師長、マドゥーラ医務長、科学部長ドクター・オットーが船の中央にある食堂に集まっていた。

ブリッジはチャン副長が指揮を取っている。

「バイオセル3には直径約5mの穴が一箇所開いた。内壁のポリマーフォームで応急処置が完了。今は塞がっているが、早急に補修が

必要」ランセン技師長がぶっきらぼうに言う。

「穴は一箇所?」 船長が首を傾げた。「掠めたのか?」

『ニュー・ホープ』の外壁は薄い。 隕石がぶつかったのなら間違いなく貫通するはずだ。

「バイオセル3内に異物。カメラで確認、隕石とは思えん」

ルウ以外の表情が様々に変わる。

「異物だと?もったいぶるな」苛立たしげな船長。

答える代わりに、『異物』の画像をランセンが表示した。

「…はん?ランセン、何の冗談だ」50歳のマドゥーラ医務長が顔をしかめた。

その『異物』は全長8m、幅4m強の先の尖った扁平な楕円形をしている。

「細長い果物の種みたいだねぇ」

「り、リンゴのた、種みたいだ。あ、『アップル・シード』と、よ、呼ぼうじゃないか」興奮した口調でオットー。

「リンゴの種だろうが柿の種だろうがなんでもいい、なんだこいつは」船長が再び聞いた。

「判らん」簡潔にランセンが答えた「カメラで見ただけだ、どうする」

「…」船長は黙った。

『アップル・シード』が只の隕石ならとっと外に放り出せば良いのだが、どう見ても『只の隕石』には見えない。

「誰か宇宙服を着て調査を…」

「阿呆」マドゥーラ医務長の言葉に船長がむっとする「まともに調査できるのはあたしとオットーしかいないだろうが」

「…」船長は応えなかった。


宇宙飛行士はエリートであると言う。 では、その職場である宇宙船の中はと言うと…じつは3K(臭い、汚い、危険)職場だった。

大の大人が狭いところに押し込められて、満足に風呂にも入れず、排泄物はリサイクル、外は真空…これだけひどい職場は他にない。

結果、『マジステール計画』に応じたのは、よほどの物好きか、訳ありで地球に居られなくなったやくざ者か、生還時に約束された莫大な

報酬に目がくらんだ間抜けの何れかだった、ルウ以外は。

そんな採掘隊員の中で『アップル・シード』が調査できそうなのは医務長と科学部長しかいない。


マドゥーラ医務長、ドクター・オットーは機関部員ヒッグス、環境部員パパガマヨを伴い、宇宙服を着用してバイオセル3に入った。

宇宙服のアイ・カメラを食堂のスクリーンに繋ぐと、真っ白に煙るバイオセル3がの様子が映った。

”なんだいこのありさまは?”

”す、水耕栽培の散水装置が、は、破損したんだろう”

”今は無きアマゾンの熱帯雨林とか言うやつはこんなだったのかねぇ…”

無駄口を叩きながら、一行は霧の中に渦を残しながら『アップル・シード』に向かった。

程なく、カメラの視界に黒っぽいものが見えてきた。

”ジャガイモの棚に食い込んでるね…さっき見たのと形が違うようだけど?”

”く、くちが、ひ、開いているみたいだ”


知らず知らずのうちに、船長が身を乗り出していた。

『アップル・シード』は、二枚貝の様に二つに割れ、中身をさらしている。

「おい先生達。大丈夫か」


”…これは…木質のような…” 緊張しているのか、オットーの声からどもりが消えている。

”ああ…外側はまるで木の様な…本当に『種』みたいだねぇ…”

”中身は…干からびている”

スクリーンに白い宇宙服の手が映り、茶色のツタが絡み合ったような『アップル・シード』の内部を触る。

”取れそうだ…取れた”

スクリーンに茶色く扁平な物体が映った。 直径30cmほどの楕円形で中央にぽつんと突起がある。


「それは、植物なのか?」船長が聞いた。「危険はないのか?」


”そんなに簡単にわかるもんか…まぁこれが植物だとすると…地球から来た可能性が高いねぇ”


「なんだと?そんなでっかい種を付ける木が地球にあるかぁ」


”昔はあったかも知れないさ。一番近くて、生命が溢れている星は地球だろう?可能性だけから考えたらそうなるってことさ”

マドゥーラ医務長はそう言いながら、『アップル・シード』の内側を調べている。

”『アップル・シード』は木のようだが…この『クッキー』は別の組織のようだな”

スクリーンに、オットーが『クッキー』と呼んだ物体が、『アップル・シード』の内側に幾つも張り付いているのが映る。

中央部には、直径1m程の『巨大クッキー』が3つ並んでいる。

”『アップル・シード』が実は『実』だとすれば、これが『種』なのかもしれん”

”しかし、地球産だったとしても凄い発見だねぇ”マドゥーラ医務長が興奮に息を弾ませるている”船長、バイオセル3を密封して、このまま

『アップル・シード』を保管しよう、地球に持って帰って…”

「そりゃ駄目だ」

”なんだって!”

「バイオセル3を密封すれば、食料、酸素の供給源は2/3になるだろうが」

”余裕を見込んでいる筈だ。バイオセル1と2だけでも地球に変えるには充分…”

「簡単に言うな。生命維持には余裕が必要なんだ。不測の事故だって起こる。現にその『アップル・シード』が飛び込んできたろうが」

”それは…”

「サンプルを採集しておけ。『アップル・シード』は外壁修理前に外に出せ。捨てろとまでは言わん、船の外に括り付けとけ」

船外でも持ち帰ることに変わりは無いだろう、しかし『アップル・シード』が船内にある場合と比べれば、サンプル一つ採取するにしてもか

かる手間がまるで違う。

”待ってくれ船長、科学部の倉庫にこれを運んで保管しよう”

「馬鹿、そんな大きなものがブロックの接続部を通るか」

ブロック毎の接続部は、直径1.2mの円筒系で、共通規格になっている。 幅4mの『アップル・シード』は切り刻みでもしない限りここを

通らない。 船内に保管し続けるならバイオセル内においておくしかない訳だ。

そこにランセンが助け舟を出した。

「船長、あれ放り出すには、壁を抜かないと駄目だ」

「む…」

「バイオセル内の気圧も0にしないと作業できん。不可能ではないが、手間がかかる」

船長は頭の中で作業の手間をざっと検討する。

「…判った。マドゥーラ、オットー、サンプルを収集したら戻って来い。『アップル・シード』の保存方法はそちらで検討しろ。パパガマヨはそ

のままそこで『アップル・シード』を見張っていろ」

船長は有無を言わさぬ口調で命令し、船内放送用のマイクを手に取った。

”各自聞け、3時間後に木星磁気圏を抜ける。 その後、船外作業当番は全員外に出て船体のダメージを確認、補修計画を立てる。それ

が終わったら『木星出発記念パーティー』を開く!”

船内のあちこちで、歓喜の叫びがあがる。

マドゥーラとオットーはほっとした様子で、『アップル・シード』からサンプルを採取し、ヒッグスを伴ってその場を後にする。

”じゃあパパガマヨ、見張りをよろしくな”

”へいへい。こいつが逃げ出さないようしっかり見張ってますよ”

パパガマヨはヘルメットにつく水滴をふき取りながら応えた。 

バイオセル3の視界は相変わらず悪く、それゆえ彼らは気が付かなかった。

『巨大クッキー』の一つが、じわじわと膨らみ始めていたことに。

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