第二話 宿り

1.雨宿り


 カチン……

 手に下げたカンテラが鈍い音を立てた。 カンテラの中には黄色のロウソクが灯っている。 

 カンテラから洩れる光が、辺りを淡い黄色で照らしている。

 「この先か?」

 「だろうが……真っ暗だな。 月も見えない」

 滝と志戸は、暗い森の入り口に立っていた。 細い道が森の奥へと続いている。

 「いくか……」

 「ん……雨か?」

 志戸が手を上に向けた。 雨粒が落ちてくる気配はないが、指がしっとりと濡れていた。 志戸は手を返し、滝の後を追った。


 ザシッ、ザシッ……

 たっぷりと水気を含んだ草が、ズボンに絡んで音を立てる。

 「……うっとうしいな」

 滝は寒そうにウインドブレーカーのチャックを引き上げた。 しとしと降る霧雨が二人を濡らしている。

 「最近じゃ珍しいな、こんな降り方する雨は」

 「ああ……お?」

 いつの間にか、二人は小さな祠らしきものの前に立っていた。 茅葺の屋根から、踏み石にぽたぽたと滴が落ちている。

 「ここか?」「多分……」

 すり減った踏み石を上がり、格子戸から中を伺う。 灯のない祠の奥に、うずくまる人影が見えた。 何か筒のようなものを抱えている。 滝は息を吸い

込むと、格子戸を横に引いた。

 ギシッ

 人影が身じろぎし、こちらを見るような仕草をした。 暗がりのため、顔が判然としない。

 「お寒いでしょう……ここで雨宿りなさるがよいでしょう」 艶のある女の声がした。

 「ご親切にどうも」

 二人は、祠に入り女の前に座りカンテラを置いた。 女の言葉遣い、着ている物、いずれもかなりの昔風だった。 そして抱えているものは、和傘だった。

 「あの、ぶしつけですが……」

 「語りを求めますか…… では、この祠に伝わる話を……」

 −−−

 東国、山中に祠あり、道に迷うた人に、一夜の宿を。 禍に追わるる人に、一時の隠れ家を。 そして、降らるる人に、雨宿りの屋根を、施すものなり……

 
 とっ、とっ、とっ……

 一人の小坊主が、山道を小走りにかけていた。 隣村まで使いに出ての帰りであった。

 「雲行きが怪しくなってきたなぁ……」

 出かける時には薄曇りであったが、今は灰色の雲が天を覆っている。 風も冷たくなってきていた。

 「蓑を借りて来るんだった……」

 山で雨を避けるには、蓑を借りるしかなかったが、蓑は重く、借りたものは返さねばならない。 そのことを想い、急ぎ帰ることにしたのだが……

 ジュッ、ジュッ、ジュッ、ジュッ、……

 足元の土が湿って来た。 雨が降ってきたわけではないが、山道であれば、常に湿っている箇所も多い。 しかし、小坊主は焦りを感じて空を仰ぎ見た。

 ズルン

 「わっ!」

 ぬかるみに足を取られ、道よこの草むらに倒れ込んだ。

 「うわぁ……」

 衣が泥にまみれ、水気を吸ってしまった。 情けない思いを抱えつつ、ようよう立ち上がる。

 「えっ? 霧? いつの間に……」

 辺り一面に白い霧が立ち込めていた。 慣れた山道でも、これでは道に迷う危険がある。 そこに、雨粒も落ちてきた。

 「どこかで雨宿りするしかない……」

 休む場所を探し、足元に注意しつつ進んでいった。

 「あれ?」

 霧の向こうに、小屋か何かの影が見えた。 そのまま進んでいくと、道の脇に祠が立ちっていた。

 「こんな祠知らない……道に迷ったんだ」

 困ったことになったと思いつつ、雨宿りをしようと格子戸を開いて、中に上がる。

 「ふぅ……」

 濡れた体には、乾いた場所があるだけでもありがたい。 手拭いで、顔や体を拭き、衣を絞った。 衣から水が滴り落ちる。 

 「どうしよう……あれ?」

 祠の中は空っぽと思っていたが、奥の壁に傘が一本、立てかけられていた。

 「傘?」

 手に取ってみると、古びているがまだ使えそうだ。

 「こんなところに傘なんて……」

 首を傾げつつ、傘を開いてみた。 赤い紙の上に、黒々とした渦が書かれている。 その渦に沿うように、文字が書きつけられていた。

 「字が書いてある? お経じゃないよね……『麻』『慈』『棲』『手』『得』『瑠』……『まじすてえる』?」

 ゴッ……

 一瞬冷たい風が吹き抜け、小僧は首を縮めた。

 「何か、曰くがあるのかな?……でも、このままここにいるわけにもいかないし……仏様のお恵みと思ってお借りします」

 小僧は、傘を持って祠の外に出た。

 
 しと、しと、しと、しと……

 霧は霧雨へと変わっていた。 小僧は傘を開き、柄を肩に担ぐようにして歩き出した。

 「傘って初めて使うけど、結構重いなぁ……」

 ポタリ…… 額に雨粒が落ちた。

 「雨漏りしてる。 やっぱり古いからかなぁ」

 ポタリ…… 肩のあたりに雨粒。

 ポタリ…… 首すじのあたりに雨粒。

 「ひやっ」

 思わず首をすくめる。 冷たくはなかったが、驚いてしまった。

 タラタラタラ……

 今度は雨が柄を伝い、手を濡らす。

 「うーん……何処が漏っているんだろ」

 小僧は立ち止まり、傘を持ち上げて下から見た。 数か所から、水が滴り落ちて来るが、穴らしきものは見えない。

 ポ……ツーッ……

 「あれ?」

 ポ……ツーッ……

 滴が長い銀色の糸を引くのに気がついた。 手で受け止めて、指をこすり合わせてみると、ヌルヌルしている。

 「雨……じゃないのか?」

 小僧は傘の上を見てみようと、傘を閉じようとした。 しかし、開くときは簡単に開いたのに、閉じようとするとびくともしない。

 「壊れたのかな?」

 仕方なく、傘を地面に置いて調べようとした……しかし。

 「ええ!?」

 手が柄から離れない。 松脂か何かでくっついてしまったかのようだ。

 「な、なんだよ、これ」

 半泣きになりながら、傘を振り回す。 しかし、傘と手は一つにくっついてしまったかのように、どうしても離れない。

 「だ、誰か! なんとかして!」

 小僧は傘を振り回しながら、来るはずもない助けを呼んだ。

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