第二十六話 山の女

1.山姫



 茶色のロウソクが灯る。

 ロウソクの明かりに照らし出されたのは、がっしりとした体格の男だった。 若くはない顔に、歳月の重みがしわになって刻まれている。

 (漁師……いや『マタギ』か?)

 男は動物の毛皮を纏っていた。 ちょっと見かけない風貌だ。

 コトリ……

 男がロウソクの前に置いたのは、古びたひょうたんだった。 くびれた口に栓がねじ込まれていて、酒か水の容器と思われた。

 「こん中身は薬だ。 男に精をつけるためのな」

 「精力剤……かい?」

 「赤マムシドリンクみたいな?」 志度が問を重ねる。

 「あか……どんぐり?」

 男が首を傾げた。 『赤マムシドリンク』が判らなかったようだ。

 「それは知らねぇがな……ま、これは木こりの吾作が嫁取りに使ったっちぅ曰くがあってな」

 男は訥々と語り始めた。

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 「よう吾作よ、精が出るなぁ」

 野良仕事をしていた百姓が、あぜ道をとぼとぼと歩く吾作に声をかけた。 吾作は、そっちを見て「おう」と答え、里山の方に行ってしまう。

 「あいかわらず、でっけぇよな」

 百姓は遠ざかる吾作の背を見ながら首を振った。

 「六尺はあるってよ」

 女房が草取りをしながら応じる。

 「熊を投げ飛ばしたとか」

 「流石にそりゃあんめぇ。 奴は木挽き、マタギじゃねぇべ」

 百姓が笑って応じる

 「んだなぁ」

 のんびりした口調で女房が返す。

 「あれなら、あっちの方の立派なんだろなぁ。 貧相なおめぇ様と違って」

 女房は百姓の腰をちらりと見た。 百姓は顔をしかめたが、すぐ真顔になった。

 「て、ことは。 おめえ知らねぇな」

 「は? 何をだ?」

 百姓は身をかがめて草を取りながら言う。

 「吾作の奴は、あの年で独り身だ」

 「……そだが、縁がないんだべ」

 「そいが、違うんだな」

 女房は手を止め、百姓の顔を見た。

 「違う? 何が」

 「奴のモノよ。 そいがな……一尺はあるらしい」

 女房が目を剥いた。

 「馬鹿抜かせ。 そいじゃ馬並みだべ。 誰がそんな寝言ほざいてるだ」

 「祭りのときに、吾作の木挽き仲間から聞かされただ。 だけじゃねえべ、太さもな」

 百姓は両手の人差し指と親指を合わせ、輪を作った。

 「こんぐらいあったとよ」

 「はぁ? いくらなんでも……」

 あきれ顔の女房に、百姓はこわいぐらいの真顔で話を続ける。

 「わしも最初は与太話だと思っただ。 んだども、庄屋さんが嫁御を世話すんで、吾作のモノを確かめ、腰抜かしたとか」

 女房はしばらく百姓の顔を見ていたが、首を振って草取りに戻る。

 「話し半分としても……そげなもん、入れられる方はたまんねぇだな」

 「そもそも、入るめぇが」

 「……アレは大きい方がええちゅうが」

 「いくらなんでもなぁ……」

 
 くしっ!!

 吾作はくしゃみを噛み殺し、頭をかいた。

 「はて、噂でもされたべかな」

 担いだ斧は鍛冶屋に修繕出していたもので、それを取りに行ったので、今日は山に入るのが遅くなったのだ。 とぼとぼと山道を登り、下草のないところ

から山林に分け入る。

 「んと……昨日はここらから入った……はずなんだけどな」

 慣れた山道のはずだったが、なんとなくいつもと違うような気がする。

 「おっかなくなってきたかな……そだ、お札……」

 小さいようでも山は危険だ。 霧が出れば道を見失い、雨が降れば凍えて命を落とす。 獣や妖に出会うこともある。 山で生きる者は、お守りや札を

懐に忍ばせ、何かあればそれにすがる。

 「……鍛冶屋の前で札まきからもらったのが……ああ、あった」

 吾作の出した木の札には、表と裏にミミズののたくったような字が書いてある。 文字なのだろうが、あいにく吾作は字が読めない。 札まきに字を読んで

もらい、それを覚えてきていた。

 「『まりし』……『まんまる』……『まんま』……そだ『まじすている』」

 ビシッ

 鋭い音がして、辺りがかすむ。 吾作は驚いて辺りを見回した。

 「お?」

 薄い靄がたゆたい、遠くが見えにくくなっている。

 「いけねぇ」

 吾作は、山道に戻るべきか迷う。 と、先の方から仲間の木挽きの声がした。

 ”うわぅ……”

 「おっと、こっちにいたか?」

 吾作は声の方に歩き出した。 戻っても進んでも迷う恐れがある。 それならば仲間たちと合流する方を選択したのだ。 程なく、下草が踏み分けられた

場所に出くわし、それを辿って行く。

 ”うぁ……”

 ”どうしたぇ? しっかりおしよ……”

 進む方から声がする。 聞き覚えのある仲間の声と、もう一つは……

 (女?)

 この辺りの木挽きに女はいない。 飯炊き女も今日は来ていないはずだ。 首をひねりつつ、ずんずん進んでいくと、唐突に視界が開けた。

 「……茂作?……こんただとこで、なにやってるだ」

 林の中に開けた場所があり、そこに木挽きの茂作が横たわり、その腰に女が跨っている。

 「昼日中の林ん中で……や!」

 女は異様ないで立ちだった。 薄い布のようなモノを体に巻き付け、足や腕はむき出しだった。 こちらからは背中と尻しか見えないが、茂作の腰が尻に

隠れて見えないほどの大きさがある。

 「か、勘弁してくれぇ……」 弱々しく茂作が呻く。

 「だらしがない! 見掛け倒しな男だこと」

 忌々しそうに女は言うともグイっと首をねじってこっちを見た。

 「ぬう……お、オメェは?」

 女の瞳と唇は血の様に赤く、流れるような黒髪の間から白い角らしきものが見えている。

 「鬼……鬼女か? い、いや」

 吾作はこの辺りに伝わる昔話を思い出す。 山に分け入った人を捕まえ、その生き血を吸う女怪。

 「さては『山姫』か!?」

 吾作は問うたが、『山姫』は首をかしげた。

 「『やまひめ』? は! そんな名で我らを呼ぶか」

 山姫は、ゆらりと立ち上がった。 その足のあいだから、ぽたぽたと滴がたれる。

 「まぁ、呼び名などどうでもよい。 お前、これ……」

 『山姫』は足の下の茂作を蹴り、茂作が呻いた。

 「……の代わりを務め、我を満足させよ。 さもなくば……」

 『山姫』が笑う。 その口の端から白い牙が覗く。

 「これともども、生き血を吸い尽くしてくれようぞ」
   
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