第二十三話 うばがみ

1.社


 乳白色のロウソクが灯る。

 ロウソクの明かりに照らし出されたのは……古風な髪形をして着物を着た一人の男だった。 そろそろ『若い』と言われなくなりそうな年に見える。

 (着物に髷? 俳優?……それとも相撲取り……にしちゃ貧相な体格だな)

 滝は、戸惑いながら男に話しかけた。

 「その髪はなにか理由がおありで?」

 「変かい? 田舎の髪結いにやってもらったからなぁ」 男は答えた。

 「ははぁ、なるほど……」 滝はあいまいに頷いた。

 「変と言うほどではありませんよ。 ところで、お話を頂けるお品はお持ちですね」 志戸が尋ねた。

 「これよ。 黙って借りてきちまったが」

 男が取り出したのは、金色の鈴だった。 握りこぶしより一回り小さい。

 「この『うばがみの鈴』の話なんだがな」

 「『うばがみ』?……」

 滝はスマホを取り出し、手早く検索した。

 「『姥神大神宮』?……この字ですか?」

 スマホを男に向ける。 男は物珍しそうにスマホを見たが、首を横に振った。

 「すまねえが、おりゃ、かなしか読めねえんだ」

 「そうですか。 それは失礼しました」

 「いや、気にすんなよ。 で、この鈴だけどな。 おりゃ、山道の街道沿いに旅してたんだけどな……」

−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−

 「ごめんなすって」

 男がのれんをくぐったのは、山間の宿場町の小さな宿だった。 入ってすぐの土間には粗末な机と腰かけがいくつも並び、馬喰らしき男と、旅芸人らしき

女が食事をしていた。

 「いらっさい、泊りかね」 奥から年配の女将らしき女が声をかけた。

 「いんや。 見ての通りの素寒貧でね。 これで喰えるものをくれや」

 懐の巾着から数枚の銭を取り出し、女将にみせる。

 「そんだと、飯に菜汁だねぇ。 酒は出ねえだよ」

 「なんでい、渋いねぇ。 まっ、仕方ねぇ。 そいでたのまぁ」

 男は、空いている腰かけに座り、壁に貼られた紙を端から眺める。

 「めし、しる、どぜうけ……なんでい、その『どぜうけ』って」

 男が尋ねると、女将が答える前に隣の旅芸人の女が呆れたように答えた。

 「にいさん、よく見なよ。 『け』じゃなくて『汁』、あれは『どじょう汁』のことだよ」

 「ほう、そう読むのか……じゃあ、あれは?」

 男が指さしたのは、反対の壁に貼られた紙で、ミミズがのたくったような字で何やら長々と書かれている。

 「あれかい?……なんだろうね。 何かの和歌とか、それともどっかの祝詞かねぇ」 女旅芸人は首をかしげた。

 「ありゃな、近くの社の札よ」 隣にいた馬喰が酒を飲みながら言った。

 「確か……『摩利支天……』いや違った。 『摩自素手意流』大明神だったな……もっとも、ここいらじゃ別の名で呼ばれてたと思うが」

 「ふーん、そうかい」

 男が相槌を打った時、彼の前に飯と汁の椀が運ばれてきた。

 
 「時に女将さん」

 飯を食った男が、白湯を使いながら女将に尋ねた。

 「近くに社があるのかい」

 「社なんてどこにだってあるだろうよ。 なんて社だい?」

 「あれだよ。 あのお札をくれたところ」

 男は、先ほどの札を指さした。

 「あれかい? あそこは裏山の中ほどの小さい社で、普段は誰もいないけど……何の用があるんだい」

 「なに、ちっとお参りでもしてみようかと思ってね」

 「今から裏山に登ったら、降りる前に真っ暗になっちまうよ。 それに、あのお社は、男が行く様なところじゃないよ」

 女将は片づけの合間に男に言った。

 「へぇ? 安産祈願の神様かい?」

 「いや、あの社は『うばがみ』様がいらっしゃるところだよ」

 「え? うわばみが出るのかい」

 「うわばみじゃないよ、『うばがみ』様! まぁ、あたしらがそう呼んでいるだけだけど」

 男は首を傾げた。

 「その『うばがみ』様ってのはなんだい? おりゃ、聞いたことがないが」

 女将は男を見て手を止める。 少し考えてから話を続けた。

 「『うばがみ』様ってのは『乳母神』って書くらしいんだ。 赤ん坊にお乳を分け与えてくれる女の神様だよ」

 「へぇ? ま、そりゃ男の神様じゃねぇな。 するとなにかい。 社まで行って『うちの子に乳をあげてください』って頼みに行くのか? いや、それじゃ神様が

直に来ちまうなぁ。 『お乳の出を良くしてください』か」

 「いんや。 どっちかと言うと、前の方だね」

 「前の方? するってえと、神様がお乳をあげに来てくれるのかい?」

 「いやいや、そうじゃないよ。 うばがみ様にお乳をもらいたい母親は、子供を抱えて社に行き、一晩泊るんだ」

 「へぇ?」

 「母親は社の中で鈴を鳴らし、そのまま待つんだ。 そうすると、夜中に社の外にうばがみ神様がお立ちになるらしい。 そして『社の中にいるは誰ぞや』と

問うんだと。 問われた母親は、もっかい社の中で鈴を鳴らすんだ」

 「鈴をもう一度かい?」

 「ああ。 そうすると、扉が開いてうばがみ様が手を指しだす。 そうしたら子供をうばがみ様に渡すんだ。 そうすると神様が自分の乳を子供に与えて

くれるんだ」

 「ええっ? 子供を渡しちまうのか」

 「心配ないよ、神様が子供に乳をあげてくれる間だけさ。 子供が乳を十分に飲んだら、神様が子供を帰してくれる。 そうしたら神様にお礼を言って、社の

扉を閉じる。 朝になれば、母親は子供を連れて山を下りるのさ。 ここいらじゃ、子供を授かった母親が、子供が丈夫に育つようにって、社に泊まって

うばがみ様にのお乳を子供に挙げる習わしになっていたのさ」

 「へー……ってことはだ、いまでもそのならわしが続いてるのか」

 「いんや。 昔は皆が習わしを守ってたけど……いつのころからかねぇ、社にお泊りする人がだんだん減って来て、いまじゃやっている人がいるのやら」

 「ありゃりゃ……すたれちまったのか。 そりゃまたどうして」

 「さぁねぇ……社にお泊りするのがおっくうになったのか、神様が来ることを信じられなくなったのか……寂しい話だよねぇ」

 「そうかい……ふーん」

 男は頷きながら白湯をグイっとあおった。

 「神様がお乳をねぇ……さぞや立派な胸の神様なんだろうな」

 「わからないねぇ。 なにせ、うばがみ様をみた事がある者はいないから」

 「そうなのかい? 子供を渡す母親は、お姿を拝見してるんじゃないのかい?」

 「ああ、言い忘れたね。 神様のお姿を見ちゃいけないから、母親は目を閉じて子供を渡すのさ。 もちろん受け取るときも同じ。 消してお姿を見ちゃ

いけない。 そう言う決まりになっているのさ」

 「そうかい……」

 男は頷きながら宿を出た。 宿に入った時、まだ日は高かったが、今は山の稜線にかかり始めている。

 「ふん……いまから行けば、なんとか明るいうちに社に着くな……昔は人が泊まっていた社なら、夜露をしのぐのにちょうどいいだろう」

 男は足早に宿場を抜け、黒々とした姿を見せる裏山に足を向けた。

 
 「ここが社かい……」

 古ぼけた社は、人がいない割には結構立派な造りだった。 赤ん坊を抱えた女人が泊まっていたわけだから、それも当然かもしれなかったが。

 「ちょっくら失礼しますよ」

 社の格子戸はを開いて中に入る。 中は板の間になっていて、隅の方に古ぼけた夜具が重ねられている。 人が来なくなって久しい割には、夜具は

それほど傷んでいなかった。

 「ちょっくらお借りしますよ」

 中にあった燭台のロウソクに灯りをともし、夜具を板の間に広げた。 すると夜具の中に挟まっていたのか、鈴が転がり出てきた。

 チリリリリリ……

 静まり返った社の中で、鈴が転がる音は意外なほどに大きく響き、男は慌てて鈴を拾い上げた。

 「おおっと、神様がきちまうじゃねぇか……まぁ、そんなはずはないか」

 彼は自分の頭をペチペチと叩いた。

 「おおかた村の年寄りが、神様のふりをして取り仕切ってたんだろうからな。 ここでおりゃが泊まって鈴をならしても、誰も来るはずはねぇよな」

 男は呟くと、明かりを消して横になった。

 リリリリリ……

 外で鈴虫が鳴きはじめた。 その鳴き声は、さっきの鈴の音によく似ていた。

【<<】【>>】


【第二十三話 うばがみ:目次】

【小説の部屋:トップ】