第十九話 ランプのせい
1.ランプ
半透明の赤色のロウソクが灯る。
ロウソクの明かりに照らし出されたのは、フード付きのマントを羽織った女だった。
「や……やぁ、こんばんわ。 今夜はお姉さん……失礼、お嬢さんが話をしてくれるのかなぁ〜」
滝と志戸は気持ち悪いくらいに愛想がよく、そわそわと落ち着かない様子。 多分、マントの前を押し広げて覗く女の胸と、その隙間から見え隠れする、
異国風の衣装が理由だろう。
「うーん、やっぱ女は凹凸(おうとつ)だよなぁ」
「こんなメリハリのきいたボディ。 なかなかお目にかかれない……」
ゴン
『痛っ』
二人がそろって声を上げた。 頭にスタンドの足−−ピンクのメーキャップをした小道具係が担いでいた−−が当たったのだ。
「あーら、ごめんあそばせ」
「鼻の下伸ばしてないで、仕事中でしょ。 この凸凹(でこぼこ)コンビ」
黒髪の女が二人を??りつけ、二人はぶつぶつ言いながら仕事に戻る。
「あー、それで。 何か曰くつきの代物でもお持ちで?」
滝の問いかけに、女は古びたランプを取り出した。 ランプと言っても、電灯ではなく油を燃すタイプ、しかも『アラビアンナイト』の『アラジン』に出てくるような
あの『ランプ』だ。
「なんだいこれは?水差しか?」
「いや、あれだ……ほらカレーを入れる奴」 (正式名称:ソースポットorグレイビーボート)
「いいえ、これは『ランプ』よ……」
フードの下で、女の口が笑みを浮かべている。 妙に甘ったるくハスキーな声だ。
「これが『ランプ』?……ああ、『アリババの魔法のランプ』か『ランプの精』が出てくる奴」
「『アラジン』でしょ。」 二人の背後から、黒髪の女が冷たい声で訂正する。
「……と、とにかくそのランプにまつわる話なんだな?」
女が深々と頷き、マントを押し上げる胸がそれに続く様に揺れた。
「この『ランプ』は、露店で売られていたの……」
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「まったく、景気が悪いといいこと何もねえなぁ」
男はぶつぶつと呟きながら、アーケードの下を歩いていた。 夕方には帰宅途中の会社員や買い物客で賑わう場所なのだが、2時間もすると人通りは
急速に減ってくる。 それで、日が落ちれば早々に閉めてしまう店も少なくない。
「慌てて店を閉めることもないだろうに……」
目当ての店の閉店時間に間に合わなかった男は、そのまま帰るのもしゃくなので、シヤッターの前に店を出した露天商の並べたガラクタや古本を眺めな
がら歩いていた。
「なんだ? あの水色の……アルマジロの剥製か?」
怪しげな太っ腹の木人形の間に、珍しい動物の剥製が鎮座していた。 つい足を止め、剥製や周りのガラクタを眺めていた。
”兄さん、どうだいそれ”
妙にこもった声に顔を上げると、フード付きのマントを被った、妙な露天商が店番をしている。
「いらねぇよ、客寄せの剥製なんて。 そっちの変な人形はなんだ?」
”福の神さ”
「それを買うと、あんたに福がやってくるわけか?」
”はは、バレたか。 実はおすすめがあってね……それさ、その『ランプ』”
「『ランプ』?……ああこの、金属製のポットみたいな奴か? カレー入れじゃないのかい?」
”みんなそう言うねぇ。 そいつはね、中に油を入れて、注ぎ口みたいなところから灯芯……Tいや、糸みたいなものを差し込んで、火をつけるのさ”
「……ああ、そうやって使うのか。 おれはてっきり擦ると『ランプの精』が出てくるのかと……」
”擦らなくても、呼べば出てくるよ”
「は?」
”呼べば出てくるよ。 『ランプ』の中にいる奴はさ”
男はしげしげと怪しげな露天商を見た。 笑うか、怒るか、無視するか……しばらく迷う。
「試していいかい?」
”そいつは困るね、あんまり表で呼ぶ様な奴じゃないんだ”
「そーかい……いくらだ?」
”そうだな……千円でどうだ”
「高い、負けろ」
”じゃあ998円”
「せこい値引きだなぁ……まぁいいか」
男は千円札を露天商に差し出した。
”そこの缶に入れてくれ。 お釣りもそこから取ってくれるかい”
見れば、太めのコーヒー缶が置いてあり、中にいくばかの硬貨が入っている。 男は肩をすくめると、その缶に手を突っ込み、先に釣銭を取ってから、
千円札を入れた。
「もらって行くよ」
”ああ、どうぞ”
見事なくらいに身動き一つしない露天商に、疑いの眼差しを投げつつ、男は『ランプ』を取り上げるとその場を立ち去った。
男が立ち去ってしばらくして、マントの露天商の隣で店を広げた別の露天商が声をかけてきた。
「おいあんた、見かけない顔だがどっから来た?」
……
「寝てるのかい?」
隣の露天商がマントに手を触れると、フードとマントは空気の抜けた風船のようにその場に崩れ落ちた。
「中身が……ない?」
フードとマントを拾い上げてみると、そこには何もなかった。 露天商は首をかしげていたが、マントとフードをその場に残して自分の店の店番に戻った。
(用でも足しに行ったんだろう)
しかし、彼が店の主に会うことはなかった。
「『ランプ』ねぇ……」
安アパートに帰った男は、出しっぱなしの折り畳みデスクの上に『ランプ』を置いて、じろじろと眺める。 散らかった部屋に、アラビア風のランプは見事に
ミスマッチだ。
「呼べば出てくる……か? すると中にいるのかい?」
998円で買ったランプ、その蓋をつまみ上げて中を見た。 煤でもついているのか、中は真っ暗で何も見えない。
「ほぅ?」
角度を変えて光を入れてみるが、やはり何も見えない。 指を入れてみようと、手を近づけた。
フッ
「え!?」
中に緑色に光るものが見えたような気がし、慌てて引っ込めて立ち上がった男は、その姿勢でしばらくランプを見つめていた。
「……まさかな」
苦笑した男は、ランプに蓋をして椅子に体を預けて天井を見上げる。
「よし、バカなことをしてみるか……『ランプの精』よ、わが前に姿を現せ……なんちって」
”お呼びですか……では御前に”
どこからともなく声が聞こえた。 女の声だ。
「え?」
ぎょっとして男は立ち上がり、ランプに視線を戻した。
「な、なんだ!?」
ランプの注ぎ口に見える部分、そこに赤っぽいものが見えた……と思った次の瞬間、そこから血の様に赤い液体が流れ落ち始めた。
「!?」
思わず後ずさる男。 その間に小さなポットの注ぎ口から、目を疑うような勢いで赤い液体が噴出していた。 液体は机の上を赤く染めながら広がり、机の
端から幾筋もの流れとなって床へと滴り落ちて行く。
「い、いったいこれは!?」
何が起きているか、男が理解できないうちに、赤い液体は床の上で水たまりを作りつつあった。 と、その水たまりの中から丸いものがせり上がってくる。
(泡?……人の頭!?)
泡と見えたもがせり上がってくるにつれ、それが人の頭のような形をしていることに男は気が付いた。 床下から人がせり上がってくるように、赤い水たまり
の中から人の形をしたものがせり上がってくる……いや。
「違う……あの赤い水が……人の形に?」
男が呟いているあいだに、赤い液体は完全な人の形へ変わっていた。 気が付けば、ランプからの赤い液体の噴出は止まっている。 そして、男とランプ
の間には、赤い色の人、女の形をした何かが立っている。
「……お、おい……ひっ!」
男は赤い女に手を伸ばしかけ、熱いものに触れたかのように手を引っ込めた。 赤一色の女の顔、その目が緑色に光ったのだ。 そしてその目の下に、
三日月形の黒い隙間……笑みをたたえた口が開く。
”御前にまかり越しました。 ご主人様”
「ご、ご主人様?」
”はい。 私の事はジーニーとお呼びください”
女は『ジーニー』と名乗り、笑った。
「……」
男はその笑みに、言いようのない不安を覚えた。
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