第十八話 おんねん

1.このうらみ


 ツヤのある黒色のロウソクが灯る。

 ロウソクの明かりに照らし出されたのは、羽織袴姿の若い娘だった……なぜか座布団に座っている。

 「……あー、こんばんわ」

 「毎度皆様にはお運びいただき、ありがとうございます」

 「いや、お運びいただいたのは貴方の方で……ひょっとして噺家さんですか」

 「や、これは兄さん、するどいですな。 やつがれは、猫家又八という名前をいただきます、しがない噺家でございます」

 深々とお辞儀する娘に、滝と志戸がつられて頭を下げる。

 「あ?」

 滝が頭を上げるとき、娘の背後に何か動くものが……尻尾が見えた。

 「おい滝……」

 「気が付いたか……」

 「何か?」

 噺家娘は気が付いていない様子だった。

 「いえ、別に」と応じた滝は、志戸と視線を交わす。

 (どうする?)

 (ネタバレを指摘するのも野暮だ。 このまま語らせよう)

 二人が視線で会話しているうちに、猫家又八姉さんは、銀細工の煙管を取り出してロウソクの前に置いた。

 「それでは、この煙管にまつわるお話をば一つ……」

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 ええ、将軍様が江戸城に住まっていた頃のお話でございます。 当時は士農工商なんてもうしましてな、それはもう厳しい身分の隔たりがありまして。 

江戸の町でも武士と町人の住んでいる場所は厳密に分けられておりました。 町民の中でも裕福な商人などは立派な家を建てていましたが、たいていの

町人は長屋という集合住宅に住んでおりましたな。 そうした長屋の一つ、ある家でお婆さんが一人、臥せっておりました。

 「おお、悔しや。 かっては我が殿は、妾をあれほど可愛がってくださったというのに、年がいったというただそれだけのことで暇を出されて数十年……

きっと今頃は、若い娘を引き込んでいちゃいちゃと……おお、このままでは死んでも死にきれないぞよぉぉぉぉぉ……」

 嫉妬で死にきれないと言うのであれば、このお婆さん、あと千年は生きていそうな勢いでございますが。 さすがに人の寿命というのは想いだけでは如何

ともしがたいようで、婆さん、ひとしきり呪いの言葉を吐きつられましてから、飼い猫を枕元に呼びつけます。

 「おおクロや、クロ。 よくお聞き。 わが殿が下さったこの銀の煙管。 これを頼りに、わが殿のもとへ参り。 わが恨みをきっと晴らしておくれよ……」

 猫に言葉が判るのかどうか、クロと呼ばれた黒猫は、神妙な面持ちで婆さんの言葉を聞いておりました。 と、言いたいことを言って興奮したのか、婆さん

かっと目を見開き、盛大に血を吐き、布団をかきむしって苦悶いたします。 それで猫が逃げ出さなかったのが不思議なぐらいで、きっと驚きのあまり固まっ

ていたのでしょうな。 ええもう、なんで逃げ出さなかったかと後々後悔することに……いえ、これは単なる独り言で。

 さて、婆さんのどをかきむしった挙句、苦悶の表情で絶命いします。 びっくりして固まっていた猫めは、婆さんをちょんちょんと突いてみますが、動く気配が

ない。 そのうちに、これは畜生の浅ましさでございましょうなぁ。 飛び散った血をばぺろぺろと舐めとった。 すると!

 ドロドロドロドロ…… 陰にこもった太鼓の響きと共に……え?誰が太鼓を叩いていたかって? いえいえ、隣に住んでいた貧乏腐れ禰宜めが、近所迷惑も

顧み出に祝詞の稽古をば始めまして。 ま、それは余談でございますが。

 ピシャーン!

 空に雷鳴が轟くや、あら不思議。 婆さんの血をなめとった黒猫めはみるみるうちに姿を変え、恐ろしくも美しい、黒髪の娘へと変化いたしたではありません

か。

 「おおお……わが主様。 その無念、しっかと承りましたぞぉぉぉぉ。 して、わが主様を裏切った、憎き相手の名はぁぁぁぁ」

 「……」

 「憎き相手の名はぁぁぁぁ……」

 「……」

 「あの、ご主人様?」

 化け猫娘、婆さんをゆすってみましたが、すでにこと切れておりました。 途方に暮れた化け猫娘、婆さんの持っていた銀の煙管を取り上げ、くるくると回して

観察いたしますが、特に手がかりも無し。

 「えーと……ご主人様? あー、恨みの相手が判らないということで、努力はしましたが恨み果たせずと言うことで……よろしいでしょうか?」

 ”よろしいわけが……あるかぁぁぁぁぁぁ”

 「ひぇぇぇぇ」

 息絶えたかに見えた婆さん、壮絶な姿で起き上がり化け猫娘の足をば掴みました。 魂消た化け猫娘、すっころんで震えております。

 ”よいかぁぁぁ……恨みをはらさばよし、それが晴らせぬ時はぁぁぁ”

 「晴らします、晴らします、恨みでも、表でもなんでも晴らします」

 ”頼むぞぉぉぉぉぉ……クロやぁぁぁぁぁ”

 ガクッ

 「晴らします、晴らしますから成仏して……あれ? ご主人様」

 化け猫娘、動かなくなったご主人様をつついてみますが、今度こそ息絶えたようで。 うんともすんとも言いません。

 「恨みの念押しをする余力があるなら、せめて相手の名前ぐらい言い残してくださいよぉ」

 ぶつぶつ言いながら化け猫娘、仕方がないので家探しを始めました。 何か、恨む相手の手がかりでもないかと思ったのですな。 ところが、婆さんと化け

猫娘の掛け合いが少々うるさかったようで。

 「ちょっと、お竹さん。 騒々しいじゃないか。 静かにしておくけでないかい」

 当時の長屋には、鍵なんて洒落たものはついておりませんで、苦情を言いに来た近所の人がいきなり戸あけました。 まず目に入ったのは血を吐いて

倒れた婆さん、次に化け猫娘(それも裸の)が家探しっをしているところ。

 「ひ、人殺しぃぃぃ! ど、泥棒ぅぅぅぅ!」

 「ち、違いますニャ。 私は化け猫で恨みを……」

 「ば、化け猫!? 大変だぁ、化け猫がお竹さん喰い殺したぞぉぉぉ!」

 大騒ぎになりました。 化け猫娘はとっさに煙管を咥えると、猫に戻って戸口へまっしぐら。 そこで叫んでいる近所の人を尻目に、長屋から逃げ出します。


 「はぁはぁ……ひ、ひどい事になったニャ。 なんとかしないと……そうだニャ。 ここは元締めのところに行くにゃ」

 長屋から逃げ出した化け猫娘、煙管を携えて化け猫の元締めの処に参ります。 え? 化け猫に元締めがいるのかって? それはあなた、江戸の町に何

匹の猫がいたと思います? いや、私も知りませんけど。 とにかく大勢の猫がいたんです。 化け猫になる奴も百や二百がききませんよ。 そうなれば寄合

やら組合も必要になりますとも。 この辺は人と変わりませんな。 ともあれ化け猫娘、化ける前から聞いていた、化け猫の元締めの処に参りました。 行っ

てみると、ちゃんとした人の住まいに、貫禄のある化け猫の姉御がいましてな、こう長火鉢を前にして、煙管なんかをふかしておりました。

 「はぁー。 これは立派な……」

 感心しきりの化け猫娘、元締めの貫禄に居住まいを正しまして、これこれこう言うわけでと事の顛末を語ります。 じっと聞いておりました元締め、じろりと

化け猫娘をねめつけると、カツンと煙管を打ち付けて灰を火鉢に落とします。

 「あんたねぇ……そういう事は、猫かわいがりされているうちに聞き出しておくものだよ」

 「そんな無茶ャな、元締め様。 化ける前に、しゃべれる訳がないニャ」

 「夢枕にたつとか、独り言をしっかり聞いておくとかできるだろう。 だから、一方的で無理な依頼を受ける羽目になるんだよ」

 これは元締めの言う通りで、今風に言うならば、ろくすっぽ要件定義も固まっていないのに、お客に言われるままの納期で『ぷろじぇくと』を受けたような

ものですからな。 しかし、元締めとしてもこのまま化け猫娘を追い返したんでは面子が立ちません。 仕方なしに腰を上げます。

 「ちょいとお待ち、支度をするから」

 元締め、奥へ引っ込んでなにやらごそごそとやっておりましたが、やがて出てきた時には、ちょいと粋な着物に濃い目の化粧をした水商売のお女中風の

姿になっております。 そして、抱えていた着物を化け猫娘に渡すと、それを着るように言いつけました。 

 「こ、これを着るんですかニャ」

 「そうだよ、早くしな」

 何しろ生まれてこの方、着物を着たことなどない化け猫娘、四苦八苦してどうにか着物を身に着けました。 こちらも元締めと同じ水商売のお女中で、やや

下働きっぽい感じになります。

 「この煙管が形見だね? じゃ行くよ、案内しな」

 元締め、化け猫娘を案内に婆さんの住んでいた長屋へと向かいました。

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