第十七話 わらし様

1.祈願


 煤ぼけた灰色のロウソクが灯る。

 ロウソクの明かりに照らし出されたのは、よく日に焼けた年配の男性だった。

 「こんばんわ」

 「へい、おばんでやす」

 男はひょこっと頭を下げると、脇に置いてあった古ぼけた袋の口を緩め、節くれだった手で黒漆塗りの膳を取り出し、ロウソクの前に置いた。

 (ほう、いかにもな品じゃないか)

 滝は膳をじっくりと見つめる。 揺らめくロウソクの明かりに照らされた膳はよみ磨かれていて、年季が入っているように見えた。

 「これは……『わらし』様へお祈りの品を捧げる膳ですだ」

 「『わらし』様? それは貴方の土地の神様ですか?」

 男はこくんと首を振った。

 「『わらし』様は福を授けてくださる村の神様だ。 だども……」

 男は口をつぐんで滝と志戸を見た。 二人は顔を見合せ、男へ視線を戻し先を促す。

 「……過ぎた願いは身を亡ぼすと言われてるだ。 その話を持ってきただ」

 淡々とした口調で、男は語り始めた。

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 それは今より昔、人が石油や電気を使う前の時代の話であった。

 ある山村の社に村人が集まり、今年の田植えを前にし、豊作祈願の神事を行っていた。

 「かしこみ、かしこみ、もうし奉る……」

 神主が豊作を祈念し、祝詞を奏上する。 明日からの田植えを前にして、毎年繰り返される習わしだった。

 「なにとぞ、なにとぞ……実りをもたらしたまへ……」

 膳に盛られた種モミを前に、神主が首を垂れ、後ろに控えた村人一同が神主に続いて首を垂れた。

 かなりの時が過ぎてから神主が頭を上げ、その衣擦れの音を合図に村人たちが首を上げる。

 「では、『わらし』様からの実りを分けましょうぞ」

 立ち上がった神主が慎重な手つきで膳を持ちあげ、社の前に膝まづいている村人たちの前に置いた。 村人たちは一人ずつ前に出て、慎重な手つきで

種モミを一すくいして下がる、を繰り返していった。

 その場の全員が種モミを受け取ると、神主が社から外に出た。 村の世話役の一人が社の扉を施錠するたちと神主とともに去っていった。

 「やーれ、これで田植えが出来るべ」

 「んだなぁ……ときに五兵衛は? 姿が見えねえだが」

 「あんの鼻つまみもんが、来るわけがねぇだ」

 「腕っぷしは強いが、怠けもんだでなあ。 働くどころか、昼間から小屋で酒かっくらってるだ」

 「村長にかけあうべか」

 「だめだぁな。 あんなんでも村長の孫だもんなぁ」

 社の前に残っていた村人達も三々五々と散っていき、やがて社の前に人影はなくなった。


 村人が去った後、社を囲む林の奥から大柄な男が現れた。 彼が先ほど村人が噂していた五兵衛であった。

 「ふん、俺が何しようが大きなお世話だ」

 五兵衛は忌々しげに吐き捨てると、先ほどまで村人が詰めていた社へと歩み寄る。

 「けっ、なにが『わらし』様じゃ」

 吐き捨てるように言うと、懐から鍵を取り出した。

 「爺様の文箱にあった鍵、多分ここの鍵じゃて」

 ガチャガチャと音を立てて鍵を開くと、ずかすかと社の中に踏み込んだ。 小さな祭壇の前には、先ほど種モミが盛られていた膳が置かれ、祭壇には

お神酒を満たした瓶子と餅と塩が供えられていた。

 「『わらし』様は子供じゃから、酒は毒じゃ。 わしがもらうとするか」

 五兵衛は勝手な理屈をこねると、餅を肴に瓶子の中のお神酒を呑んでしまう。

 「いい酒ではねぇか。 もったいないことを」

 お神酒を開けた五兵衛は、祭壇の下の物入れを開けて中を探り始めた。 金目のものでも探しているのであろう。

 「帳面しかないのう。 まったくけち臭い神様じゃて」

 和綴じの帳面をパラパラとめくって、ぽいと放り投げた。 続いて帳面の下にあった、祝詞の奏上紙をいくつか取り出す。

 「下手な字じゃ。 なになに……」

 五兵衛は乱暴者だが、村長の孫として育てられたので一通りの読み書きができた。 祝詞の文字を拾い読みして首をひねる。

 「ふん、こんなものを読むだけで、やれ神主だと言われて左うちわで暮らせるとはのう……ひとつやってみるか」

 五兵衛は膳の前に腰をおろすと、ふざけ半分に祝詞を唱え始めた。

 「なになに……『わらし』様。かしこみかしこみもうし奉る……真の字(あざな)を素に、手のうちに得るなり……そは、真字素手得(まじすてえる)……」

 その祝詞を唱えたとたん、天にわかにかき曇り、雷鳴一閃!

 ドドーン!!

 「ひぇぇ!?」

 轟音に五兵衛は腰を抜かしかけた。 背後を見ると、社の扉から先は真っ暗になっている。

 「い、いったい……」

 目を白黒させる五兵衛。 と、狭い社の中にどこからともなく声が響いてきた。

 ”供物がないぞ……”

 「ひ!?……」

 ”福を授けるものもない……”

 「い!?……」

 ”我に何用ぞ……”

 それは、幼子の声ともとれたが、いずこから響いてくるともしれぬ不気味な響きを帯びていた。 五兵衛は這うようにして表へ出ると、玉砂利を蹴散らして

逃げて行った。

 ”我に何用ぞ……”

 聞く者がいなくなった社に、ただその声だけが響いていた。


 翌朝、村人たちは総出で田植えに出ていた。 山手の田には、五人の百姓が入り、田植え歌を吟じながらずらりと苗を植えている。

 「おや。 あれはどこのわらしっ子だ?」

 右端の百姓が呟き、皆が顔を上げる。 赤い着物を羽織った十ほどの女の子が、何かを捧げ持って、あぜ道をすたすたと歩いている。

 「おまさ、どこン子だ。 どこいぐだ」

 百姓の問いに、女の子がこちらを向いて応える。

 ”五兵衛さのとこにいくだ。 あれがおらを呼んだで福をさずけにいくだ”

 その答えを聞いた百姓達は、女の子が手にしているものが、『わらし』様の社にあった膳であることに気がつき、真っ青になった。

 「お前!……その膳は……『わらし』様だぁ!!」

 百姓たちは、他の中にひれ伏し、必死で何かを唱えだした。

 「福は秋の実りで十分だぁ」

 「んだ、他はいらねぇ」

 「んだ、他はいらねぇ」

 百姓たちは、しばらくそのままひれ伏していた。 足音がしなくなってからおそるおそる顔を上げてみると、女の子の姿は見えなくなっていた。

 「てえへんだ、『わらし』様が出てきただよ」

 「どうすっぺ」

 「五兵衛のとこにいぐって……」

 「とりあえず、皆に知らせんべ」

 泥だらけの顔を見合せた百姓たち達は、田んぼから出て村の方に走っていった。

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