第十三話 ナイトメア

1.現実


 真紅のロウソクが灯る。

 ロウソクの明かりに照らし出されたのは、やせ形の男性だった。 30過ぎの色白の顔と華奢な体つきから、頭を使う職業

だろうとあたりをつける。

 (おや?)

 男性を案内したスタッフが、ちらりと彼の背を見たのだ。 『エミ』と言う名の黒髪のスタッフは、存在しないかのように振る舞う

のが常だったが、今みせた仕草には、何か彼女のプライベートが見えた様な気がした。

 (知り合い? にしては、このおじさんは無反応だな)

 滝の内なる呟きが聞こえたように、男性が視線を上げて滝を見た。 滝は自分の仕事を思い出し、彼に話を始めるよう促す。

 「聞かせてもらえますか?」

 男性は頷くと、ポケットから小さなビンを取り出した。 液体で満たされた円筒形のビンには、手書きのラベルが貼ってあり、

何かの標本の様に見えた。

 「これについて、お話しましょう。 これは、ある湖で採取されたサンプルでして」

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 「そのサンプルか?」

 「ええ、バクテリアと原生動物らしきものが検出されました」

 白衣の女性が、同じ白衣の男性に向かって丁寧な口調で報告書を読み上げている。 二人が話をしているのは、ある製薬

会社のラボで、調査班が採取してきた生物サンプルの分類を行っていた。

 「原生動物?」

 「これです」

 女性研究員が、報告書にクリップで止められていた顕微鏡写真を示す。

 「なんだ、アメーバか。 珍しくもない」

 「ですが、見てください。 拡大しても、組織が判別できません」

 彼女が示した写真に写っている物は、微かに赤みを帯びた不定形の塊で、その中には見分けのつく構造がなく、一緒に写って

いるミドリムシと比べると、単純極まりない。

 「油か何かの塊じゃないのか?」

 「いえ、動画像を見ていただければ判りますが、これは他の原生動物を捕食しています。 これは、未発見の種かも……」

 彼は、片手を上げて女性研究員の報告を遮った。

 「判った。 詳しいことは分析レポートを読ませてもらうよ。 ご苦労だったね」

 報告を遮られた女性研究員は、微かに顔を歪めたが、返されたレポートを揃えなおして男性のデスクに置くと、一礼して部屋を

出ていく。

 「我々の仕事は、有用な有機物とそれを作り出す生き物を探すことだよ。 忘れないでくれ、エミ君」

 女性研究員はドアの所で振り返りると、ちらりと彼女の上司を見る。 そして、何も言わずに部屋を出て行った。

 
 「有能なんだが……時々、自分の『好奇心』を優先させる傾向があってね」

 男性は、同期の友人と会社近くのバーで酒を飲んでいた。

 「美人なんだし……もう少し周りを、広い世界を見て欲しいものだ。 自分の世界に閉じこもらず」

 「気をつけろよ、その発言はパワハラでセクハラになるぞ」

 「なに、ボテバラにタイコバラの方が怖いさ」

 グラスを傾け、琥珀色の液体をのどに流し込む。

 「ふむ。 なぁ、いま君は『自分の世界に閉じこもらず』と言ったがな。 『世界は外ではなく、己の中にある』そうは考えられ

ないか」

 「なんだい? 唐突に」

 「うん、いまマウスの脳神経を使った薬の実験を行っているんだが……脳ってのは、神経からから上がってくる『外』の情報を

集約、解析する『装置』だ」

 「それが全てではないだろうが……まぁそうだろうな」

 男性は、戸惑いながら応じた。

 「マウスを固定して、強い光を目に当てると、マウスは眼を閉じて眼を守ろうとする」

 「うむ、防御反応だな」

 「次に、マウスの視神経に電気刺激を与えると、マウスは同じように眼を閉じる。 今度は光を当てていないのにだ」

 「うむ?……」

 「現実の世界では明らかに違う状態なのに、マウスは、二つの実験で、同じ状態におかれたと感じた訳だ」

 「バーチャル・リアリティと言うわけだな」

 「そうだ、これをさらに進めて行くとしよう。 マウスの脳につながる神経、一本一本を電極と置き換え、細かく制御すれば、

マウスに現実とは違う世界で生きていると感じさせる事が出来るだろう」

 「SFだな。 それを人間に応用すれば……」

 「『眼』『耳』『舌』……全ての感覚神経に電線をつないでやれば……バーチャル・リアリティで生きる人間、いっちょうあがりと

言うわけだ」

 「しかし、今の話は『仮想の現実』を人間に『現実』と誤認させようと言う話だろう? そこから、だから『世界』は己が内にある、

とはいかないだろう」

 ……


 酒が入っての哲学論議は、やがて論理を超越し、最後は実力行使へと進んだようだ。 

 男性は、ベッドの上でひどい頭痛で眼をさまし、汚れた上着とあちこちに残る痣からそう推理した。

 「うぐ……こんなひどい二日酔いは初めてだな」

 自分で飲んだのだから、仕方が無いがと思いつつ、起き上がって顔を洗う。

 「イテッ!」

 水が沁みた手を見ると、切り傷が数か所あって血が出ていた。

 「ビンか何か割ったかな? あいつに怪我させてなきゃいいが」

 彼は救急箱を開けて消毒薬と絆創膏を取り出し、有効期限を確かめる。

 「『マジステール薬品』製……有効期限は……20**年4月、大丈夫だな」

 傷を消毒して絆創膏を貼り、汚れた服を洗濯機に放り込む。 と、何かが割れる音がした。

 「おっと?」

 洗濯機の中の物を出して調べると、上着のポケットからガラスの破片が出てきた。

 「しまった、サンプルを入れてたのか」

 帰宅するとき、うっかりサンプルのビンをポケットに入れて出てきたらしかった。 ポケットの辺りを触ってみると、上着が湿って

いる。

 「まぁ、もともと湖の水だ。 問題はないだろう」

 ポケットの中からガラス欠片を取り除き、洗濯機を回し、改めて床の上にガラスが落ちてないか確認する。 

 「大丈夫だな」

 立ち上がった男性は、何とはなしに手に目をやった。 絆創膏に水が染み込み、にじんだ血で赤く染まっていた。

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