第十二話 羽衣

1.フィールド調査


 半透明のロウソクが灯る。

 ロウソクの明かりに照らし出されたのは、ラフな格好の若者だった。 20代そこそこの顔には苦労の影が見えない。

 (学生さんかな……うらやましいご身分だ)

 滝は、目の前に男に羨望と嫉妬を覚えた。

 「失礼します」

 若者は、軽く一礼するとロウソクの向こうに座った。 態度の節々に育ちの良さが見て取れる。

 「えーと、話をする前に由来の品を出すんですよね」

 彼は、背中からリュックを下すと、中から菓子袋を取り出し、ロウソクの前に置いた。


               


 「……アラレ?」 滝は首をひねった。

 「おや、羽衣アラレか、懐かしい。 関東では売っていないんだよな」 志度が頬を緩めた。

 「そうですか? 東京駅の3番線、京浜東北線の6号車か7号車が止まるあたりのブ○ボンの自販機にありましたよ」

 「おやそうかい? 早速明日買いに……」

 「ただ、最近買いに行ったときは、黒こしょう味が入っていました」

 「なんだ、昔ながらの奴がいいんだが……」

 話が変な方向に向かい始めたので、滝が割って入った。

 「おい君、アラレの話をしにきたのか?」

 「あ、いえ違います」

 若者は、アラレの袋を開け中を見せた。 開封済みの袋を容器代わりにして、何かを入れていたらしい。

 「……なんだ、ハンペンかコンニャクか?」

 中には、半透明の濡れたものが入っていた。 イカの切り身か何かのように見えた。

 「これは……『羽衣』です、『天女』の」

 滝と志度は目を剥いた。 無理もない、『天女の羽衣』は有名な昔話だが、それだけに架空の話だと判っているからだ。

 「ええ、これを手に入れ経緯をお話しします」

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 「先生。 あの山ですか?」

 運転席でハンドルを握っている若い男が、峠の向こうに現れた山並みを指差した。

 「うむ、あそこだ」

 先生と呼ばれた初老の男は、助手席で頷いて見せた。 彼は民俗学の教授で、4人の学生とともに、ある山間の集落に伝わる

伝承のフィールド調査にやってきたのだった。

 「山の手前に小さな湖がある。 そこに昔からある農村がある。 そこが目的地だ」

 「地図で見ると、山ひとつ向こうは海なのに、全然見えませんね」

 「ああそうだな。 湖から出る川があるが、これも一度海と逆側に流れて、別の川に流れ込んでいるよ」 

 「山と湖と海を一度に楽しむ……とはいかないか」

 車の中に笑い声が満ち、一行は峠を越えて下り坂にさしかかる。

 「それで先生? この集落に伝わっているのは『天女の羽衣』の寓話でしたっけ」

 「それがな、最初は『天女の羽衣』の別パターンだと考えていたのだが……どうも別の話らしいのだ」

 同乗していた学生たちが、一斉に教授をみた。

 「戦前の地方の民話集に出てくる名前では『天昇女(てんしょうめ)』または『魂抱女(こだきおんな)』と呼ばれていたらしい」

 「どう違うんです?その『天女の羽衣』とは」

 「いわゆる『天女の羽衣』は、天から降りてきた天女が羽衣を取られ、しばし地上で暮らした後、羽衣を取り返して天に帰る、

そういう話だ」

 車の中の一同が頷いた。

 「この集落に伝わる『天昇女』は、話の前と中がない、ただ天女が羽衣をまとって天に帰るだけしか伝わっていないのだ」

 「へぇ?」

 「もう一つ、重要な相違点がある。 天女は一人で帰るのではない」

 「一人じゃない?」

 「はは、同伴出勤ですか」 ひとりが茶々を入れた。

 「うむ、どうもそうらしい。 天女が天に帰るとき、連れ合いの魂を伴うと言う話になっておった」

 教授が真面目に応え、学生がどっと沸く。

 「それはまた、ロマンチックな……」

 「そうだな。 ただ『天昇女』に関しては、別の話もあるのだ」

 「別?」

 「うむ。 湖があると言ったが、そこには『天昇神社』と言う社に『天昇女』が奉られている」

 「はい」

 「だが、百数十年前にさかのぼると神社の名が変わる」

 教授は一度言葉を切り、膝の上に載せていたNotePCを開いて学生たちに見せる。 そこには次の文字があった。

 『辿消神社』

 「……辿りて消える?」

 「妙な名前ですね」

 「うむ、この名前と『天昇女』のもう一つの話が繋がるのだ」

 「と言うと?」

 「『天昇女』は山神の娘であり、山を穢す者を許さず、その命を奪う。 のみならず、骸を消し去り、魂を何処かへ運び去る

というものだ」

 「それって『神隠し』なのでは?」

 「いや、『神隠し』訳もなく突然に消える場合がほとんどだ。 この場合、『山を穢した者』と対象がはっきりしているから『神隠し』

には当たらない……と思うのだが」

 教授は黙り込んだ。

 「妙な話だと思わんか。 神の怒りに触れて死んだ者は、骸が見せしめの為、さらしものにされる話が多い」

 「山で死んだ者の遺体が見つかると、それが『神の怒りに触れた』とされる例ですね」

 「そうだ。 そもそも、骸が見つからねば、どこで死んだかも判らぬはず。 なのに、原因が『山神の怒り』に収束する……

なぜだ?」

 「結構危険な場所がおおい山なのでは? 山で死ぬ人が多ければ、遺体が見つからない場合は『きっと、山で死んでるに

違いない』と……」

 「そうかもしれんな……」


 一行を乗せた車は、坂の中程にあるバス停で停車した。 車が10台ほど止められるスペースがあり、ベンチと自販機が

設置してある。

 「全く、日本はどこに行っても自販機と自動ローン機があるな」

 定番の缶コーヒーを人数分買うと、ファンファーレの様な電子音がした。

 『おめでとうございます、当選しましたので。 もう一本サービス……』

 「ラッキー♪」

 『……と言うことで、新製品をプレゼント♪』

 ゴッカンと音がして、真っ黒い缶が一本転がり出てきた。

 「おいおい、選ばせてもらえないのかい」

 一瞬喜んだだけに、かえって損したような気になりながら、彼はコーヒーと黒い缶を抱えて車に戻り。 コーヒーを配りながら、

今の話をした。

 「そりゃ、ただの宣伝じゃないのか?」

 「きっと、すんごくまずくて売れないんじゃないか」

 わいわい騒ぎながら、缶の銘柄を検める。

 「『マジステール』? 飲み物の名前か? それとも飲料メーカの社名か」

 「まぁ、だまされたと思って……」

 缶を開けると、真っ黒い液体が入っていた。 顔を見合わせた一行は、それでもどうせ只だと試し飲みをする。 ちなみに味は

『こんなもの飲ませるなら、金をよこせ!!』であった。

 彼らはコーヒーで口直しをすると、車に戻って坂を下って行った。

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