第九話 ツルの恩返し

1.ある所に


 空色のロウソクが灯る。

 (へぇ、いまどき珍しい)

 ロウソクの明かりの向こうに、白手ぬぐいの頬かむりをしたモンペ姿の女性が座っていた。 うつむき加減の為、顔は見えない。

 「あんた、お百姓さん? それとも行商の……」

 女は黙って手を差し出す。 古びた軍手の上には、一粒の緑色した豆がのっていた。

 「ん」

 滝が手を差し出すと、女は手のひらを返して豆を渡す。 それはエンドウ豆の様に見えた。

 「さで、おらの話さはじめっかよ」

 声からすると、かなりの高齢。 滝はかすかな失望を覚えた。

 「むーかしむかし、とある所にゴンベェつぅ男がおったでよ……」

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 はぁー♪ ゴンベェが耕す♪ ざっくざくとな♪

 鼻歌なぞ歌いつつ、ゴンベェは畑を耕していた。 皺のよった顔に若さは無いが、農具を振るう腕は休むことを知らない。

 「カー公がほじるよ……? あんれ、ほんまにカー公がおるわ」

 ゴンベェの視線の先で、黒い鳥が地面を突付いている。 今畑を耕しているのだから、まだ何も植えていないはずだ。

 「堀残しの根っこでもあったかや?」

 ゴンベェは耕す手を休め、黒い鳥に近よった。 すると鳥のくちばしの先に緑色の豆が見えた。

 「豆かや。 ん……これカー公、やめれや」

 ゴンベェは農具で黒い鳥を脅かした。 鳥は羽ばたいて飛び上がったが、豆に未練があるのかゴンベェの頭の上をぐるぐると回っている。

 「わーった、これでも食えや」

 ゴンベェは腰に下げた袋から、穀物の粉で作った団子を取り出し、黒い鳥に投げた。 鳥は空中で団子を捕らえると、さのまま飛び去った。

 「ほっほ。 やっぱ腹さすいてただか」

 ゴンベェは、豆を大事そうにしまうと畑仕事に戻った。

 はぁー♪……


 日の光が赤くなる頃、ゴンベェは家路に着いた。

 「そだ」

 畑の隅、彼の住まいに最も近いところに豆を蒔き、土をかぶせる。

 「いで。 あれ血がでてるだか」

 手の平に傷があり、血が垂れている。 畑の石を捨てたとき、手を切ったらしい。

 「大事無い、大事無い」

 血止めのまじないを唱えつつ、ゴンベェは暗くなり始めた畦道を帰っていった。


 シトシトシト……

 いつの間にか雨が降り出した様だ。 ゴンベェの住まいは全天候型、外が雨なら中も雨になる。

 「やぁれ、役立たずな屋根だぁな」

 天井を見上げてぼやくゴンベェ。 すると梁に貼ってあった紙が剥がれて落ちてきた。

 「『火伏せり』のお札でねぇか、縁起でもネェ。 厄払いしとくだ」

 ゴンベェは、子供の頃に聞いた厄除けの呪いを思い出そうとする。

 「『魔近う……』。 いんや、『魔退け……』。 あー……『魔氏捨手得る』どうだ!」

 ドンガラガッシャンシャン!! 雷鳴が轟いた。

 「違っただか?……」


 ホトホト……

 「おんや、本降りになったかや」

 ”もし……もし……戸を開けて下さいまし”

 「おや? どなただんべ」

 ”旅の女子でございますが、道に迷って難儀しております。 夜が明けるまで、土間の片隅でもお貸しください”

 「おおそれはお困りだんべ……いやわっちのところは、ひどいあばら家だで。 雨風が遠慮のう通り抜けるだ。 もう少し行けば、サクベェって

気のいい百姓の住まいがあるで……」 

 ”後生でございます。 不案内な夜道を女一人でまいるは恐ろしゅうございます。 どうか哀れと思い、中に入れてくださいまし”

 そこまで言われれば、中に入れないわけにはいかない。 ゴンベェは戸を開いて女を中に入れた。

 「おんや、これはまた……」

 女は百姓女のみすぼらしい格好をしていたが、その顔立ちは息を呑むほどの艶やかさだった。 ゴンベェは一瞬呆然とし、ついで慌てて女を招き入れる。

 「さ、体も冷えておろうて。 火のそばに行くとええだ」

 ゴンベェは、女を炉辺に座らせようとした。 しかし、女は顔を背けて火を怖がるしぐさをした。

 「どうしただ?」

 「ご親切を受けながら、無作法をお許しください。 子供の頃火事にあいまして、それ以来、火が恐ろしゅうてたまらなくなりました」

 「おお、それはそれは……では何か着るもの……ムシロしかねぇだ」

 ゴンベェは、生まれて初めて己の暮らしを呪った。 と、背後から女がしがみついてきた。

 「こ、これ。 おふざけはよくねぇだ」

 「寒うございます……どうか、貴方様の体で暖めてくださいまし」

 ゴンベェの目がまん丸になった。 

 シトシトシト……

 雨の音が妙にはっきりと聞こえてきた。

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