電子妖精セイレーン
プロローグ(1)
197X年……それは人類にとって科学技術が希望の灯火であり、月に足跡をしるした人類には不可能なことなどないと思われていた時代だった。
人々は科学技術の成果を求め、明日の暮らしは今日よりよくなると固く信じていた……
マジステール大学、東京校、電気工学技術科、鼓研究室−−
「諸君、今年度から当研究室で行うテーマについて説明しよう」
鼓教授は、研究助手とゼミの学生たちを前に、黒板にチョークで文字を書き連ねた。
『人工感覚から人工意識へ』
「……」
静まり返った一同を前に、教授は黒板の文字を指し示した。
「この言葉から何を連想するかね?」
「『人工感覚』……熱感知器とか、接触検出装置……いえ素子の研究でしょうか?」
研究助手が、首を傾げつつ発言した。
「すでに存在するものですが」
「そうだ、そうした外部の状況をINPUTとし、電気信号に変える素子はすでに存在している。 そしてそのINPUTに反応し、動作を行う機械も既に存在
している。 さらに電子計算機はトランジスタ、ICの登場でより複雑な動作が可能になり、着々と進歩を続けている」
鼓教授は、月面着陸を果たしたアポロ11号の写真を見せた。
「これもその成果の一つだ。 何れ、これらの技術は民生用に反映され、皆の周りに溢れかえる日が来るだろう。 しかし、私が目指すのはそれとは少し
方向が違う」
鼓教授は別の写真を皆に見せた。 それは『ミドリムシ』と呼ばれる原生動物の写真だった。
「これが何かわかるかね」
「多分、ミドリムシの写真かと」 学生の一人が自信なさげに答えた。
「そう、これはミドリムシだ。 この生き物は、光を求めて、つまり自分にとってよりよい環境を求めて動き回る」
教授は写真を机に置いて皆を見回した。
「君たちはこれと同じ機能を持った機械を作れるかね」
「はい」
何人かが頷き、ほかの者もやや自信なさげに頷いた。
「光を感じる素子と動力を組み合わせれば可能です」
「そうだな。 そうすればミドリムシの動きをまねる機械はできるだろう。 では次に、その機会に意識はあるだろうか」
「意識?」
全員が首をかしげ、代表して助手が答える。
「意識は……ないでしょう、機械には」
「てばミドリムシにはどうだ?」
「ミドリムシにですか?」
「そうだ、ミドリムシに意識はあるだろうか。 むろん我々が感じるような複雑なものではないだろうがね」
教授の問に皆が考え込み、互いに討論を始めた。
「原始的ですが……光を求めて動き回る生き物ですから……『意識』があるんじゃないか?」
「いや、原始的すぎるよ。 神経もないし、意識と呼べるほどのものは」
「だったらどんな生き物であれば意識があるんだ?」
教授は皆の討論を聞いていたが、やがて手を叩いて皆の注意を集めた。
「今の話は『意識』の定義が明確でないので結論は出ないだろう。 ただ、我々は『意識』をもっている。 これには異論はないだろう」
教授の言に皆が頷いた。
「我々は、この様な単純な生物から複雑な生物へと変化を遂げてきた。 その間に意識を獲得したことは間違いないだろう。 さて、先ほどミドリムシと
同じような機械を作れるかという質問に対して、諸君らは『可能』と答えた。 では、その『ミドリムシ』を模した装置を複雑にしていけば、その過程で装置の
中に『意識』が生まれるのではないか、と言うのが私の考えだ」
皆は驚き、顔を見合わせた。
「先生。 それはそうかもしれませんが、機械と生き物は一緒にできないのでは? 第一、ミドリムシと人間では規模が違いすぎます。 仮にその仮説が
正しいとしても、検証にはとてつもない量の資材が必要になります」
堤教授は頷いた。
「確かに今はそうだ。 しかし、電子回路や素子は急速に進歩を遂げている。 生物を模した装置は次第に安価に、かつ複雑に作れるようになっていくだろう
。 この研究は決して夢物語には終わらない、と私は考えている……」
こうして堤教授は、並々ならぬ熱意をもって『人工意識』の研究をスタートさせる。 それは、197X年の夏も終わろうかという日だった。
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21世紀の初頭、東京都 酔天宮町『マジステール通り』。 人が作りし町の一角に、普通の人が立ち入れぬ場所があった。
限られた者のみが訪れることを許されたその場所には、『妖品店ミレーヌ』という看板が掛けられていた。 その店の奥では、みるからに怪しげなフードを
被った店主が、場違いな女学生を相手に何やら話をしていた。
「……ここは、『妖品店ミレーヌ』……その意味が判りますね?……」
「……はい……」
「……ここに並べられた品々は、代々の魔女ミレーヌを名乗りし者が集め、または創造した貴重な品々……」
「……はい……」
「……それを管理し、守るのがこの店の役割……」
「……はい……」
「……決して、ここは……ペットショップではありません!……」
ンモー……
ワン!!
牛の様な声で鳴いたのは、牛の様にたくましい体とはち切れそうなバストを、窮屈そうにワンピースに押し込んでいる女で、ワンワン吠えているのは、
その牛っぽい女の傍に子犬の様に蹲っている娘だった。
「二人とも、静かにっ!」
牛っぽい女と子犬っぽい娘を小声で??りつけたのは、店主に説教されていた女学生だった。 彼女の名は如月麻美。 ひょんなことから見習い魔女と
なってしまったマジステール高校の女子高生であり、彼女に説教していたのがこの『妖品店ミレーヌ』の店主ミレーヌ。 年齢不詳の魔女であり、麻美の
師匠と言うことになっている。
「おとなしくしなさい」
「んもー……っていってもぅ」
「おとなしく、なにをしてればいいだワン」
麻美に叱責された牛っぽい女と犬っぽい娘は、牛と犬から作り出された使い魔の牛女と犬娘だった。 ただし作ったのは麻美でもミレーヌでもなく、麻美の
通う高校の保険教師だったのだが。
「……大量の使い魔を抱えても、管理しきれなくなるだけだと言ったでしょう……」
「それはわかっていたけれど……放置もできないし」
この牛女と犬娘は、呪いのアイテムによって魔女となった保険教師が、自分の使い魔として作り出したものだった。 その保険教師自身は麻美とミレーヌ、
さらにここに出入りしている小悪魔ミスティたちによって人に戻されたのだが、彼女の作り出した使い魔の獣娘達たちはそのまま残ってしまった。 放置して
騒ぎになることを懸念した麻美が自分の支配下に入れ、ここ『妖品店ミレーヌ』に連れてきたのだが、未熟な麻美では使い魔たちを御しきれず、好き勝手に
ふるまう獣娘たちに頭を抱える羽目になっている、という次第であった。
「まーちゃんやハムちゃんズみたいに外に行きたいもぅ」
「お散歩ぉー」
「今日はがまんなさい」
魔女となった保険教師が、手直の動物を片っ端から使い魔としたために、ここにいる犬娘、牛女以外にも、馬女、蛇女、ハムスター娘X6、ウサギ娘X3が
おり、さらに麻美自身の使い魔の猫娘と虎女が加わると、ここに入りきらない。 やむをえず交代で外にだして、好きにうろつかせているのだ。 もっとも、
ここに集めているからと言って、なにか仕事ををさせるわけでもないのだが。
「……外に出ている娘たちの動向は、把握しているのでしょうね?……」
「ええ……まぁ……」
下を向いて応える麻美だったが、正直なところ自分の飼い猫から使い魔になった猫娘ミミ以外は、とても把握しきれずに彼女たちがどこで何をしているかと
考えると、胃が痛くなるのだった。
「せめて騒ぎだけは起こさないで……」
同時刻、近所の喫茶店で『妖品店ミレーヌ』の関係者の一人が警察関係者と密会していた。
「騒ぎを起こすな」
エミは目の前に座った目つきの鋭い男から視線をそらし、素知らぬ顔でコーヒーをかき回す。
「何のことかしら、刑事さん」
とぼけた口調で言いながら、コーヒーを口に運んだ。 彼女はサキュバス・エミ。 夜ともなれば羽と尻尾を出して、男を食いまわる夜の魔物で『妖品店
ミレーヌ』に出入りする人外の一人だ。
「覚えがないと? 最近、マジステール大学そばの公園に、妙な女が出没するという苦情がきてるんだがな」
苦い口調で言った男は、川上刑事。 れっきとした警察官で、エミの正体を知っているが、彼女に命を助けられたこともあり、今までははエミを見逃してきた。
「公園に? まさか公園で客引きをやっているわけでもないでしょうに」
「それがな……」
川上刑事は身を乗り出し、小声でエミに囁いた。
「……夜の公園に、小さい女の子が、それも金髪の女の子が佇んでいてだな、『おじさん、遊んで』で手招きをするらしい」
「ぶっ!」
エミはコーヒーを吹き出しかけた。
「知らんならそれでいいが。 もし心当たりがあるなら、すぐやめさせろ」
「……」
「いいな」
それだけ言うと川上刑事は席を立った。 エミは飲みかけのコーヒーをテーブルに置いて呟いた。
「金髪の幼女……ハムちゃんズね……どうしたものかしら」
深々と溜息をつくエミだった。
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