沼の娘

1:アマゾン


マジステール大学、生物学科、UMA講座。
今日、ランデルハウス・クラチウス教授の講義というか、探検の報告が行われた。

「諸君、では講義を始める」教授は語りだす。
「私は、アマゾンの奥地に、奇怪な生き物の住む沼があると聞いた。単なる噂だと思えない節があり、現地に調査に赴いたのだが、そこで恐ろしい生き物を発見した」
集まっている学生達には、またかという雰囲気がある。が、教授は意に介さない。
「アマゾン川の支流の一つポナレス川流域のトルガの村の言い伝えだと聞いたので、コットン君と出かけたのだ…」

−3月4日トルガの村−

ランデル教授とコットン助手は、ボートで村にやって来た。
川のほとりの船着場に船をつけ、荷物を下ろした。
二人の背後には探検用の機材が山を作っている。
「教授、町から200kmもあるのに、結構物が入っているようですね」
「川で繋がっているからな、陸路だと50kmでもこうはいかん」
この辺りは、片言のスペイン語で話が通じるが、教授は地元の言葉も話せた。
UMAの研究では、アマゾンが最大の調査場所になるからだ。

教授は、近くにいた信用できそうな青年に幾らかの金を渡し、村長の住まいを聞く。
青年に荷物の番を頼み、村長の住まいに向った。

村長の家は小さな一軒屋で、他の家と同様戸も窓もない。壁に空いた四角い穴が入り口で、小さい穴が窓であった。
表にいた、娘に話をして中に通してもらった。

村長の前に通されたランデル教授とコットン助手は、土間に広げられた敷物に座る。
先ほどの娘が、茶を運んできた。

ランデル教授は、交渉を始めた。
「…と言うような訳で、沼地の調査に行きたいのです。道案内と、ポーターを雇えないでしょうか」
「客人、あなたの言われるのは…」
ここで、村長は言葉を切り、地面を見つめる
「………の事だろう。悪い事は言わん。行くのはやめなされ」
「よく聞こえなかったが?」教授は首を傾げる…が、「む、そうか…」突然頷く。
「教授?」コットン助手が聞く。
「…禁忌じゃ、多分。聞くな」
その土地の魔物が禁忌の対象である場合、名を呼ぶ事を禁じられることは珍しくない。
ここでは、呼ぶときの態度で、その魔物を示すらしい。
「書くのも駄目か?」教授が聞く。
村長は、地面に文字を書き、すばやく消す。
『Kuanzerra』
『カンツェーラ』
教授は考える。
(土地の言葉だと「カン」が「沼」、「ツェーラ」が「娘」…『沼に住まう娘』か…)

粘ってみたが、村長は首を縦に振らない。
話の印象では、恐れるというより畏怖の対象であるようだ。
教授は、心の中で。村長の話の調子から『カンツェーラ』の村での位置付けを検証していた。
(「悪魔」というより、「精霊」か…「神」というほどではないかのう…)
村長は、止めはするものの強く禁じようとしない。行きたければ好きにしろという態度だ。それが不可解であった。

教授は、村人の協力はあきらめる事にして、村長の家を後にする。
「どうしましょう」
「ふむ、名はタブーでも、沼そのものに行くなとは言わなかった…酒場なら、村人以外の者もいるじゃろうて。酒場で人を募ってみよう」
教授達は船着場に戻り、そこにある酒場で人員募集をする事にした。

その頃村長の家では、村長と村娘が話をしていた。
「村長…これでよいのでしょうか…」
「仕方あるまい…『奴ら』をあの場所に送らねばならぬこの時に、あのような者達が来た…これも神の導きじゃろう」
「でも…」
「わしは止めた。止める理由は話せない。話したところで信じては貰えぬじゃろうて…」
娘は暗い顔で頷く。
「私、船着場まで行って、あの人たちがどうするか見届けます」
「頼む」
娘も出て行った…
村長は頭を垂れ、祈るようにそっと呟く。「『クァンツェーラ』よ安らかなる『クァン』を…」

教授達が戻ってみると、荷物は無事だが、人相の良くない見張り番が増えていた。
「おい、人数が増えても手当ては増やせんぞ…」教授は困惑する。
「村長に、断られた。違うか」青年が言う。
「うむ、さては結果がわかっておったな」教授が苦笑する。
「ああ、だから仲間呼んだ。途中までは道知ってる。皆力ある。雇え」
「うーん」教授は考え込む…が、どうせ人を雇う事にしていたのだから同じだと思う。
しばらくも賃金の交渉をして、青年の仲間たちを雇う。

「ふむ、沼までは徒歩で東北東に3日か、以外に近いな」
「今は乾季。沼まで水路ない。道も無い。密林を歩くしかない」
教授はよしと頷く。道が無いと言う事は、人が入る事が殆ど無いという事だからだ。
もちろん、その分移動は大変になるが。

翌日出発する事にして、保存の利きそうな食料を補充する。
魚の干物とドライ・フルーツと水と塩…奥地で安全な水が手に入るとは限らない…を買い込む。
これ以外に、レトルトの保存食も用意してある。
本格的な調査には心もとないが、教授としては沼の様子が確認できればぐらいに考えていた。

張り切って、コットン助手や、男達に指図する教授。
その様子を物陰から眺めている娘がいた。村長の家にいたあの娘だ。青年を見つけて呟く。
「…兄さん…やっぱり…安らかなる『クァン』を…」
彼女はそっと目を伏せた…


【<<】【>>】


【沼の娘:目次】

【小説の部屋:トップ】