ザ・マミ

プロローグ


 その事件が何時始まったのか、正確には判らない。 事件の種は、はるかな昔にまかれていたのだから。

 しかしその種が芽吹いた日時ははっきりしていた。 2006年冬、クリスマスまで後3週間に迫った日、それが届いたのだ。 マジステー

ル大学の第13号実験棟に。

 よって、この物語はそこから始めよう。


 「これで宜しいかしら」

 「はい、結構です」中年の宅配業者は、手馴れた様子で伝票を切って差し出す「此方が受け取りになります」

 「そう」女は伝票を一瞥すると白衣のポケットに無造作にねじ込み、宅配業者に背を向けた。

 宅配業者は瞬きをし、それから挨拶をすると後ろに控えていた3人のバトイ青年を促して部屋を出た。

 「態度の悪い女だったよなぁ」

 トラックの助手席に座ったバイトの若者が、タメ口を利くのを不快に思いながらも、宅配業者の男は頷いた。

 「荷物の開梱も料金の内だが、ご苦労様の一言ぐらいは礼儀だろうにな……最近の奴は全く」言外にお前も礼儀知らずだと匂わせて

いるが、若者が気が付いている様子は無い。

 「にしてもよォ。なんだったんだ?あの石の箱は」

 「伝票には『石材』と書いてあったな。学の無い俺達には判らん芸術品にでもなるんだろうよ」

 今度は若者が不機嫌な顔になった。 『学が無い』でひとくくりにされた事が癇に障ったらしい。

 そして、不機嫌な男達を乗せた宅配業者のトラックとバンは、マジステール大学の構内から走り去った。


 「もしもし、鷹火車です。吉貝教授が現地で発掘したものが届きました……はい、解析室に入れて現地の気温と湿度に合わせ……は?

いえそのような事は……」

 鷹火車と名乗った女は暗くなった外を見ながら、携帯で誰かと電話していた。

 「……はい、判りました。お待ちしていますから」

 鷹火車は携帯を切ると。指か白くなるほどの力で握り締めた。

 「ふん、たかが助教授のくせに……」 

 踵を返し、『考古学部 解析室』と書かれたドアの認識装置にIDプレートをかざす。

 軽い金属音でロックが外れたことを確認し、ドアを開いて中に入る。


 部屋の中央には、『石材』が鎮座していた。

 墓石を横にしたような四角い石の塊は、石材に見えなくもないが、糸の様に細く深い溝が長軸を一周しており、『箱』の構造を持ってい

るように見える。

 鷹火車は白衣を翻してそれに歩み寄る。 途中でエアカーテンの風が彼女の髪を揺らす。

 「ちっ……」

 エアカーテンの向こうは、熱気が渦を巻いていた。 この『箱』が掘り出された土地の気候に合わせてあるのだ。

 鷹飛車は汗ばみ始めた手を伸ばし、『箱』の表面に触れた。

 「材質は以外に粗末ね、でもこれは一体……」 呟きながら『溝』を指でなぞる。

 「紙……じゃない……パピルスかしら?」『溝』が細いのは、上に薄い紙の様なものが張ってあり、それをナイフで切り離してあったから

だった。

 「中をあける為にやったのね……吉貝ならやりかねない、あの馬鹿が」吐き捨てる言葉には尊敬の響きはかけらも感じられない。

 「まぁいいわ、やったのはあの馬鹿だし……」

 鷹飛車は『箱』の傍の机においてあるノートPCを覗き込み、メールソフトを開いて『吉貝教授』からのメールを表示した。

 「『石棺は少なくとも三千年は前のものだと思われる』……ん?……『いざ開ける段階で、チェーンリフトが壊れてしまった。三流国の機

材はこれだから困る』……」

 彼女は『箱』、いや『石棺』に目を移す。

 「……つまりこの中身はまだ誰の目にも触れていない……凄い、凄いわ……」

 嫌味なメタルフレームの眼鏡の奥で、瞳が興奮に輝いている。

 「……貴重な物を目にするのは、それに相応しい人間が行うべきよ、私の様な」

 鷹飛車はPCから研究室のサーバにアクセスした。

 「ロボットアームON」

 落とした照明の中、鈍い光を放つロボットアームが降りてきて、『石棺』の溝に爪を差し込む。

 「高い授業料を取っているだけあって設備は最高、もっとも教授や助手は最低だけどね……」

 そう言う鷹飛車も最低の人間の一人だと思うのだが。

 ゴリッ、ゴリリッ。  不気味な不快な音を響かせ、『石棺』の蓋が持ち上がっていく。

 ゴッ… 蓋が抜けたようだ。 音はしなくなったが、蓋は引き続き持ち上げられ、1mほど持ち上がった所でアームが動きを止めた。

 「……」 鷹飛車は緊張した様子で棺に近づき、中を覗き込んだ。


 2時間後、第13号実験棟に二人の男が現れた。

 「けしからん、何だね。警備員がいないではないか。高価な機材や『アレ』に何かあったら、どう責任を取るのかね」中年の男が嫌味たっ

ぷりに言った。

 「は、しかし絵張助教授が確か人目に付くのはまずいから、理由をつけて一週間ほど警備員を遠ざけておくようにと」 

 「火靴君、『アレ』が中に入ってしまえば、人目に付くわけが無いではないかね。そんな事も判らんのか。まぁいい、何かあったら君と

鷹飛車君の責任だよ」

 助教授と助手と言うより、どこぞの嫌味なサラリーマン課長とその腰ぎんちゃくと言った感じの二人は、くだらないことを言いながら『考古

学部 解析室』にやってきた。

 「君、開けたまえ」偉そうに言う助教授。

 火靴助手はあたふたとIDプレートを取り出し、ドアロックを解除した、ドアを開いて中に入ろうとする。

 「君ぃ、私の前を行くとは何事かね」

 「あぁっ!申し訳ありません」

 そっくり返った絵張助教授に、揉み手をしながら火靴助手が続く。


 「……何だねこれは」

 「……何でしょうれは」

 『解析室』に入った二人が見たものは、巨大な白い塊だった。 質感からすると細い糸が絡まっている様に見える。

 「蛾の『繭』を大きくしたような感じですが」

 「君、馬鹿なことを言ってはいかん、こんな大きな繭を作る蛾がいるかね」

 「はっ、助教授の言われる通り……あっ!中で何か動きました」

 火靴助手に絵張助教授が何か言い返そうとしたとき、『繭』から二条の白い帯が飛び出してきて、二人の首に絡みついた。

 「うぐっ、ぶ、無礼なぁ」 「ああっ!助教授」

 抵抗する暇もなく、火靴助手に絵張助教授は『繭』に引きずり込まれてしまう。


 誰もいなくなった『解析室』に、やがて密やかな喘ぎ声が満ち始めた。

 ううっ……

 火靴助手は呻く。 女だ、褐色の肌の女が彼に跨って、体の上で尻を動かしている。

 熱い唇が涎をたらして獲物を舐めている様だ。いやそれは比喩ではない。


 ビチャ…       濡れた肉が彼自身に触れた。

 ひぐぅぅ……     息が止まりそうな感触が走り、男根が硬直しブルブルと震えている。

 ドロリ……ドロリ…… 何処かが溶けていく、溶けてそれが詰まっていく……彼自身のものに。

 「でげ……でる……」 出したい、だが出ない、いや出してはいけないことを体が知っている。 これは、彼女の為に準備されたものだ、

彼女の糧なのだ。

 ズ……ブリ……    熱い液体を溢れさせる肉の壷に、彼自身が呑み込まれた。 だが、まだ出すべきか体が迷っている。

 「げ……げ……」   言葉が出ない。肉壷がズリュリ、ズリュリ、と卑猥な音を男根に響かせ。出口をまとめて荒れ狂う欲望が胸を締め

付ける。

 ダセ……ダスノヨ…… 何かが彼の体に命じた。 彼の意思は関係なかった。 彼の体が喜びに振るえ、堪りきったものを『女』にささげ

始めた。

 ドクリ……ドクン……ドクン……ドクン……

 「ひっ……ひひっ……」深い快感が、一打ちごとに体を駆け巡る。 そして、女に支配される被虐的な喜びに、火靴助手の魂が震える。

 ひっ……ひひっ……  息が細くなっていき、体に力か入らなくなっていく。 女は彼の命を吸い出しているのだろうか。

 ぎ…ギボヂイイ……  目を見開き、歯をむき出して、地獄の快楽に浸りきる火靴助手。 このまま彼は彼女に食われるのだ。

 ジュロリ……     しかし、息が止まりきる前に、女は彼を解放した。


 「ひぃ……」僅かに正気を取り戻した火靴助手は、横目で女を追った。

 君ねぇ……私をほっておいて火靴君なんかと…… 

 助教授が女に文句を言っているらしい。 女と助教授の傍に、もう一つ何かが見えた。 火靴助手は目を凝らす。

 「み、ミイラ……」 茶色く干からびたそれは、ミイラにしか見えなかった。 火靴助手は、この『解析室』にいたはずの人間に思い当たった。

 (ああ……鷹飛車君が……すると私も……)

 自分は、あの謎の女の糧にされるのだろうか。 彼には、それがとても素晴らしいことに思えた。

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