1:鏡


夜の街、ネオンの海が広がっている、いかにも魔物が潜んでいそうだ。
しかし、真の魔物は貴方の心に潜んでいる。
鏡が映すのは貴方自身でしかないのだ…

晩秋、木の葉が舞い、暖かい部屋が恋しい季節…
夜道を女が歩いている、肩を落として…

−マンション・マジステール 13F−

ガチャ。
鍵を空け、真っ暗な部屋に先ほどの女が入ってくる。
部屋に灯をともす。
パフッ。
ハンドバッグと丸めた雑誌をベッドに投げ出し、ベッドの端に腰掛ける。
彼女の名は恵美、製薬会社の主任研究員である。
今夜は、同じ研究所の警備員の彼とのデートだったのだが…

あお向けになり、天井を見上げさっきまでの会話を反芻する。
”少し、付き合い方を考え直さないか?”
”! どうして。”
”ごめん、会っても楽しくないんだ。”
”そんな。”
”きみが、嫌いになったんじゃない、ただ…”

後は思い出したくない、彼に背を向け走って逃げた、後の言葉は聞きたくなかった。
わかっていた、わかっているのだ。彼が求めているものがなにか…
彼の言うことを素直に聞き、彼の求めに応じて、彼を激しく求める”女”であることが
……

恵美には、自分がそれなりの人間であるという自負がある。
しかし、”女”としては自信がない。
頭で考えることならば自信があるし、プロポーションも、顔もそこそこだと思う。
だが、SEXに関しては…どうすればよいのか、判然としない。

前に、ベッドインの最中に感じているふりをして、なじられたことがあった。
”バカにするな!”
男にとっては屈辱だったのだろうが、よくわからなかった。
恵美自身は、抱きしめられてさえいれば、幸せなのだが。

コチ、コチ、コチ、
静かな部屋に時計の音が響く。
横目で雑誌の裏表紙をみる。
”貴方の敵を呪いましょう、呪いのグッズがお安く…”
お決まりのインチキ広告が目に飛び込む、最近はこんなのまで…
”呪う…悪魔…”
つまらない単語の連想が頭に浮かぶ。

天井をみつめ、また雑誌の裏をみる。
いいかげんなCGイラストの魔方陣が見える。
寝転がっているのも飽きた。

どっこらしょと、ベッドの上に起き上がる
当たりを見まわし、バッグからこぼれたルージュに目が止まる。
ルージュを手に取り立ちあがり、正面の姿見用の鏡に魔方陣を書いてみる。
”ばかなことしてる…あたし”
鏡の前で念じる。

”悪魔よ、きたれ!!”

コチ、コチ、コチ、アンティークの時計が時を刻む。
当たり前だが、何も起こらない。
なんとなく、腹が立ってきた。
コチ、コチ、やかましい時計を取り上げ、鏡に投げつける。
ガシャ!
鏡に書かれた魔方陣に命中し、中央からくもの巣状のひびが走った。

ストンとベッドに腰を下ろす。
コチ、コチ、
時計は止まっていない、バカにされているような気がする。

寂しさ、悲しさ、空しさ、そんなものがないまぜになり、こみ上げてきた。
涙があふれてくる、止まらない。
ベッドに顔をうずめ、肩を振るわせ、嗚咽する。
「うっ、うっ、うっ、うっ、うっ……」

その時、割れた鏡の中心から、波紋のような光が現れた…


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