ワックス・フィギュア
1.甕
カラン……
古びたウェルカム・ベルの音に送り出され、男は店を後にした。 古びた背広をに身を包んだ、初老の男だ。 彼は、ちらりと後ろを振り返った。
『妖品店 ミレーヌ』
店の名前はそう読めた。
ザリッ……ザリッ……
靴音が砂を噛む。 ゆっくりした足取りで歩みを進める。
”らっしゃい、らっしゃい! 今からタイム・サービスだよ!!”
突如始まった喧騒に、驚いて顔を上げる。
「『酔天宮商店街』……か」
看板の文字を、意識せずに口にする。
「……『この先300m、マジステール大学』」
ゴッ……
一瞬強い風が吹き、男は手を上げて目を庇うような仕草をした。
「お爺さん、どうしました?」
声をかけられ、そちらを見る。 若い警察官と、背広姿の年輩の男がこちらを見ている。
「お気遣いありがとうございます……風で目にゴミが入ったようで」
「大丈夫ですか? 荷物、重そうですけど」
警官が、彼が手に下げている風呂敷包を見て言った。 蓋のついた、小さな甕の口が覗いている。
「表通りでタクシーを捕まえますよ。 大丈夫ですから」
警察官は笑って挨拶をし、年配の男とその場を離れた。
「やれやれ」
自宅に帰り着いた男は、居間のテーブルの上で風呂敷の結び目をほどいた。 中から、飴色の釉の小さな甕が現れる。 一見すると『梅干し』の入れ
物に見える。
「……?」
男は首をかしげた。
「私は何故こんなものを買ったのかな?」
記憶を手繰っていく……買い物をしようと商店街に行き……古道具屋を見つけて入り……気がつけば、この甕を持っていたのだ。
「ん?……」
記憶を手繰っても、何故この甕を買ったのか、思い出せない。
「……まさか」
自分の年齢、そして『痴呆』という言葉が頭に浮かぶ。
「いや、違う! 断じて違う!」
強く否定して、その考えを頭から追いやる。 そのことを考えないよう、目の前の甕に意識を集中する。
「……おや?」
甕の蓋に、古びた紙が貼ってあり、蓋が開かない様になっている。 紙には赤い文字が書いてあった。
「草書体……ではないか? この文字は……いや、文字なのか?」
紙の上で、赤い線が複雑な文様を作っていて、お札のようにも見える。 という事は、中身を出してはいけないのだろうか?
「中身は何だ? 『仏舎利』とか、何かの『呪い』とか?」
考えてみたが、文字が読めないのなら中身が何かわかるわけがない。 いや、そもそも中身があるかも判らない。
「まてよ、空の甕に『お札』を貼ってあるだけかもしれないな……さてどうしたものか」
なぜか甕の中身が気になって仕方がない。 しかし、開けてよいモノなのかが判らない。 考えあぐねた男は、甕と『お札』の写真を撮り、画像検索に
かけてみた。
「Hitしたのは……甕入りの『梅干し』だけか」
甕の方は、ネット販売の『梅干し』の甕と似ている。 しかし、そちらには『お札』は貼られていない。
「ふーむ」
甕を手に取り、揺すったり、軽く叩いたりしてみた。
「おや?」
改めて持ち上げてみると、空の甕にしては重い。 揺すってみると、音はしないが若干の抵抗がある。 どうやら中に液体が入っているようだ。
「……」
小一時間ほど甕を調べてみたが、中身の見当がつかない。
「やっぱり開けてみるしかないか」
判らないとなると、無性に中身が気になってしまう。 ペーパーナイフを持ってきて、『お札』を痛めないように注意して剥がす。
「……」
そっと甕の蓋を持ちあげると、拍子抜けするほど簡単に開いた。 開いた口の上で、手を仰ぎ匂いを嗅ぐ。
「?」
微かに甘いにおいがした。 バニラか何かのような匂いで、危険な感じはしない。
「香料だったのか?」
ペンライトで中を照らす。 甕の中には、やはり液体のようなモノが入っているようだが、正体は判らない。
「うーむ」
キッチンから割りばしを持ってきて、中に入れてみた。 粘度の高い液体のような感触がある。 割りばしを引き上げると、赤い半透明な物が、割りばしに
くっついて塊になっている。 いちごジャムのような感じた。 男は皿を持ってきて、塊を皿の上に置いて割りばしでつついてみた。
「飴か何かだったのかな?」
箸を持ち上げると、塊もくっついたままだ。
「もうちょっとサラサラしていると水飴か蜂蜜みたいなんだが……おや?」
箸にくっついていた塊が溶けるように崩れ、糸を引いて滴り落ちる。 粘度が落ちてきたようだ。
「温まったからか?」
くるくると箸を回すと、滴りが箸に巻き付き、水飴そっくりになる。 顔を近づけ匂いを嗅ぐと、やっばり甘い匂いが微かにする。
「ふーん?……」
見た目が水飴の様でも、古道具屋の甕に入っていた得体のしれない『何か』だ。 間違っても口にするようなものではない、はずだ。 しかし……
(舐めてみたいな……)
なぜか、それを『味見』してみたいと言う気になってきた。 顔を近づけ、くるくると箸を回して、もう一度匂いを嗅いでみる。
(舐めてみたいな……) そう思った時だった。
ニュルリ……
塊がから滴っていた『糸』が、ぴたりと止まり、不意に『上』に、彼の唇に向かって伸びてきた。
「何!?」
その『糸』は、驚く彼の唇に粘りつき、口の中にヌルリと入って来た。
「!?」
舌先に甘酸っぱい味を感じた。 それが『糸』の味なのだろう。 驚いた彼は、箸を投げ捨てた。 箸は宙を飛び……皿の上に着地した。 偶然ではない。
箸と皿の間に『糸』が張られ、それが箸を引っ張ったのだった。
「これは……」
目を見開いた彼の目の前で、皿の上の『塊』は箸から離れて一塊となった。 『塊』はゆっくりと膨れたり、縮んだりしていたが、やがてするすると皿の
上から机の上に移動し、甕に張り付き、その口から中に戻ってしまった。
「まるで……いや、生きているのか……これは……」
目を見開いた彼の眼前で、甕の口から中の赤いドロドロしたものが溢れ出した。 それは、甕を中心に机の半分ほどに広がったあと、泡の様に上に
向けて膨らみ始めた。
「……」
泡は30cmほどの大きさになった所で、丸から卵型に変り、つるんとした表面に凹凸ができ、さらに形を変えていった。 そして……
「……人の……頭?」
泡は、人の頭のような形になっていた。 もっとも、つるんとした頭に髪の毛はなく、赤色のマネキン人形の頭部のように見えた。
「……!?」
『頭部』が、その『首』にあたる部分が伸びた。 まるで、甕の口から『ろくろ首』が首を出しているような格好だ。 その『ろくろ首』が、彼に向かって伸びて
くる。
「わわっ!?」
手を前に突き出し、『ろくろ首』を抑えようとしたが、『ろくろ首』はガードをかわし、彼の眼前に迫る。
「ひぃ」
息を呑んだ彼の前で、『ろくろ首』は唇をパクパクと動かす。 唇から微かな『音』が漏れ聞こえた。
”……ミ……ジミ……アジミ……”
「なに?」
”アジミ、シタイ……”
そう言った『ろくろ首』は、彼の唇に自分の唇を重ね、舌を口の中に差し込んできた。
ヌルリとした感触に続き、甘酸っぱい味のなにかが、彼の舌をからめとる。
「んぬぬ?……」
ヌルリ……ヌルリ…… 『ろくろ首』のキスに、彼の背筋を冷たい恐怖が走り抜けた。
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