マニキュア3
1.黒いマニキュア
日本国、某所、酔天宮町。
この場所に、国際大学『マジステール大学』が日本校を設立したのは、悲惨な戦争後の占領が終わって間もなくのことだった。 さらに半世紀が経過し、
魔女が拠点を構え、小悪魔が、サキュバスが、妖怪が、UMAが、宇宙人が集うようになった。
それでもこの町は全てを呑み込み、日常の下に混沌の渦を隠し、今日も存在している。
−− 『妖品店ミレーヌ』 −−
様々なアイテムが並び、赤い爪の魔女とその弟子、桃色小悪魔と緑色の使い魔、そしてサキュバスが集うこの店は、時に騒動の発端となり、時に終着点
となってきた。
「……あまり……無責任な噂は……困るかと……」
『赤い爪の魔女』こと店主のミレーヌが呟いた。
「とはいえ、この間の『ワックス・フィギュア』事件は、ここが出発点だもの」
サキュバス・エミが応じた。
「最終的に『ワックス・フィギュア』が回収されたのは、海の向こうの寒い国でしょう? この町の警察がそれを知る訳もないから、未解決事件のままなのよ」
『ワックス・フィギュア』とは、この店が販売した『ワックス・フィギュア』という名前の『呪いのアイテム』の購入者が行方不明になった事件で、問題の
アイテムは回収済みなのだが、行方不明者が戻って来た訳ではないし、警察がその経緯を把握しているわけではない。 よって警察では、今でも捜査
対象の事件扱いなのだ。
「……どうしろと?……」
「どうしようもないわ。 しばらくは、騒ぎを起こさないよう、麻美さん、ミスティに伝えておいて欲しいの」
「……仕方ありませんね……」
「まったく、そうね」
エミは、椅子に腰かけて埃まみれの店内を見渡す。 箱や壺、奇妙な仮面などが所狭しと並んでいる。
「随分と作ったモノね。 全部、失敗作なんでしょう?」
「……全てが失敗作は言えませんが……」
「というと?」
「……効き目がありすぎる薬で……『アレが立ちっぱなしになる』薬とか……」
「へぇ? それは使えるかも」
「……副作用で……血が頭に回らなくなります……」
「それはまずいわね。 あら?」
店を見回していたエミの視線が、1か所で止まった。 ガラス戸がついた棚があったが、中に空きがある。 空間の隣には、『マニキュア』のビンがあった。
「この『マニキュア』は……麻美さん達を魔女にしたアレね……するとここは? 何が置いてあったの?」
「……そこには……『黒いマニキュア』が置いてありました……」
「『黒いマニキュア』?」
「……はい……『黒い爪の魔女』を生み出すための……」
「『黒い爪の魔女』……」
ミレーヌはゆっくりと頷いたが、それ以上は話そうとしなかった。
−− E海岸 −−
酔天宮町からほど近いところに、『E海岸』という名の砂浜がある。 昼間は散策する人もいるが、夜になると人影は絶え、静かというより不気味な感じが
する場所だった。 そのためか、ここで『物の怪』を見たとか、『外国のスパイ』が上陸して来た、などの荒唐無稽な噂が絶えなかった。 そして、人気が
無いということは、人目をはばかる事をするには持って来いと言うことである。
「……らしいぜ」
「あはは、ばっかみたい」
海岸沿いの駐車場に止めた車の中で、若い男女が乳繰り合っていた。 一戦交えた後、戦いの残滓をその場に投げ捨てる。
「はっはぁ。 これから何か生まれてきたりして」
「んなわけないでしょ、ばっかねぇ」
阿呆な事を連発していた二人だったが、女の方が唐突に車の外に出た。
「おい?」
「海、入ってみようよ」
「水着、持って来てんのかよ」
「んなの、いらないじゃないさぁ」
そう言うと、女は裸になって砂浜をかけ出した。 男は肩をすくめ、その後を追って走っていく。
「待てぇ」
「待ったない」
波打ち際で、戯れる男女。 水を掛け合ったり、抱き着いたりしているうちに、再び高ぶってくる。
「おい」
「ゴムは?」
女は聞いたが、素っ裸でゴムを持っているはずがない。 肩をすくめ、首を横に振る男。
「えー」
「いーじゃんかよ」
そう言って、波打ち際で女を押し倒す。
「やだ、ばか」
「大丈夫だって」
そう言うと、男は大きくなったモノを勝手知ったる女の秘所に宛がおうとした。
「え?……ちょっと待って」
「おい、今更……」
「アレなによ、アレは」
「アレ?」
男は女の指さす方を見た。 波がしらが青く光っている。
「アレは……夜光虫とか言う奴だよ」
「アレじゃなくとソレだよ」
「ソレってドレ」
「ソレじゃなくて、アレ、アソコ」
語彙の少ない会話だと、話が進まない。 その間に『アレ』は二人の傍まで来ていた。
「おお、ソレか!」
「そうソレ!……って、なに?」
ザバッ! 水しぶきをあげ、二人の傍で『アレ』が姿を現した。
「ひっ!」
「へ、蛇女!?」
青白く光る海水を身にまとったソレは、上半身が女、下半身が蛇の蛇女ように見えた。 蛇女は、黒光する鱗でおおわれた下半身をくねらせ二人に
迫ってきた。
「逃げろ!」
「おいてかないで!」
男は立ち上がり、女をおいて逃げ出した。 三歩走ったところで、足を滑らせて転ぶ。
「いやぁ!」
蛇女は悲鳴を上げる女に襲い掛かった。 黒髪を振り乱し、長い爪の生えた腕を一閃する。
「ひぃっ!」
女は悲鳴を上げてのけ反り、背中から砂浜に倒れて動かなくなった。
ジャッ……ザザザザザッ……
蛇女は向きを変え、今度は男の方に迫ってくる。
「く、来るなぁ!」
尻を砂浜に着けたまま、男は器用に後ずさりした。 しかし、蛇女は容赦なく迫っきて、爪を一閃する。
シャッ
男の目の前を、黒い閃光が走り抜けた。 男は、女同様に背中から砂浜に倒れ、意識を失う。
(……う?)
男は目を開けた。 視界がひどく暗い。 目だけを動かして辺りを伺うと、すぐ近くに蛇女の姿が見えた。
”グゥゥゥゥ”
蛇女は唸りながら、自分の腕で自分を抱きしめている。
(な、なんだ? いや、そんなことより、逃げるんだ)
連れの女のことなど、きれいさっぱり意識の外に追い出し、立ち上がろうともがく。
(ち、力が入らねぇ)
手足を動かそうとするが、感覚がなく、手も足も動かない。
(くっ……なんだ?)
”グゥゥゥ……うううう”
蛇女の唸り声が変わってきた。 いや、声だけではない。 夜光虫で光るからだが、その輪郭みるみるうちに変わっていく。 長く伸びていた蛇の
下半身が、震えながら短くなり、黒光りしていた鱗は、夜目に白い肌へと変わっていく。
”うう……かはぁ”
大きく息を吐き、『蛇女』は二本の足で立ち上がる。 それは、もう『蛇女』ではなく、白い体に長い黒髪を纏いつかせた人間の女だった。
”うう……うっふぅ……”
『蛇女』だった女は、ぐるりと首を巡らし、男に近づいて行った。
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