マニキュア2 〜ビースト・ウォーズ〜
1.始まりの予感
東京都 酔天宮町、『マジステール通り』。
沈みゆく夕日が商店街を赤く染める頃、一日のうちで最もにぎわう時が訪れ、買い物客、学生、子供たちで車道と歩道が溢れ
かえる。
−よってかない?−
−あれ、今日だろ−
他愛のない会話を交わしながら家路を急ぐのは、商店街の先に威容を示す、マジステール大学付属高校の生徒達だった。
おりしも、その一団が商店街を抜けようとしていた。
「麻美ぃ、あんたこの頃暗いね」
麻美と呼ばれた少女は、びくりと震えるとぎこちない笑みを浮かべて振り返った。
「そ、そう?」
「さては……小池にフラれたか!」
「……そんなんじゃない」
麻美はプイと顔を背け、一団から離れる様に歩き出した。
「図星ったかな?」
「でもね……あの二人……」
麻美は、背後で黄色い歓声が上がるのを無視すると、足早に横道に入っていった。
(……お気楽よね、みんな……)
ふいに辺りが静かになり、麻美は顔を上げた。
『妖品店ミレーヌ』
怪しげな看板が目の前にある。 彼女は臆することもなくドアに手をかけ……しばらくそのまま立ちつくしていた。
……
数分ほどもそのままでいた麻美は、ドアから手を放すと重い足取りでそこから立ち去った。
店の中には二人の女が居た。 正確には一人は人ではなかったが。
「入らなかったわね……」
黒いスーツに身を包んだ美女が、カウンターの中に座っているマント姿の女に声をかけた。
「……思うところが……あったのでしょう……」
マントの女がぼそぼそと応えた。
「そうかもね」
黒いスーツの女、エミが背伸びをしながら応じた。 彼女は自称『サキュバス』エミ。 夜ともなれば、角に翼に尻尾を生やし、
夜な夜な男を漁って、精気を貪る魔性の生き物であった。 もっとも当人曰く。
「『魔性の生き物』? 何の根拠があって私をそう呼ぶのよ。 第一『精気』って何? 定義できるものなの?」
といった感じであり、やや難のある性格をしていた。
「『魔女』になってからこの方、碌な目にあっていないもの」
「……」
マントの女は、黙ったまま首を傾けた。 エミの言葉に疑義を示したらしい。
彼女は『ミレーヌ』。 人より長い時を生きてきた魔女らしい。 この店に出入りする悪魔ミスティとは少なからぬ縁があるようだが、
ミレーヌが多くを語らぬため、二人の間にどのようないきさつがあったのか、エミは
知らないし、知ろうともしない。
「……違うの?」エミが聞いた。
「……多分ですが……己の無力さを悟りつつあるのでしょう……」
「なにも……できなかった」
麻美は呟いても足元の石をけった。 石は転がって側溝に落ちる。
「……」
麻美はしばらく石の落ちたあたりを見ていたが、やがて踵を返して歩き出した。
「無力?」
「……そう……自分が何もできなかったことについて……」
エミは、ああと言う顔になった。 エミと麻美、ミスティの三人は、この半年ほどの間にいろいろな事件を通じて知り合った。
その事件の中で、麻美は『魔女』と呼ばれる力を『手』に入れたのだが、それ以降に遭遇した事件では、周りに流されるばかりで、
麻美自身は傍観者の立場から抜けだせていない。
「そうかもしれないわね。 ま、その方があの子にとっても幸せかも」
エミはハンドバッグを手にすると、出口に向かう。
「……何を?……」
「何も」 エミは背中で答えた。 「私は他人。 あの子のことは、あの子が決めるべき。 そうでしょう」
エミは、古びた扉を開けて、薄闇が増していく街に姿を消した。
「……」
「……ふっふっふっふっ……あーっはっはっはっはっ!!」
濃くなっていく闇を背に、一人の女が建物の屋上で高笑いを上げる。 白衣を着て屋上で高笑いする姿は、女狂科学者以外に
形容詞が見つからない。
「……あーっはっはっはっはっ!! げほっげほっ」
ちとボリュームが上がりすぎたのか、ゲホゲホと咳き込む女の背中を、そばにいた女が慌ててさする。 白い毛皮の様なものを
纏った、グラマラスな女だ。
「ええい、心配無用!」
白衣の女は、毛皮の女の手を振り払うと、背筋を伸ばして毛皮の女に向き直った。
「行け! そして、獲物を我がもとに」
毛皮の女は、白衣の女に深々と一礼すると、なんと屋上から飛び降りた。 そこは四階建ての建物であり、かなりの高さが
あったのにである。
「ふっふっふっふっ……あーっはっはっはっはっ!!」
再び高笑いを始めた女を、近くの道路から大勢が目撃していた。
「ありゃ、鷹火車先生がまた始めたぞ」
「いい加減にしてほしいもんだなぁ」
「あれさえなけりゃ、美人だし、引く手あまただろうに」
痛ましそうな視線を感じているのかいないのか、鷹火車京子、マジステール大学付属高校の保健医であった。
ちなみに彼女は、『ザ・マミ』事件の被害者、鷹火車研究員の姉であった。
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