ミルク

45.そしてドグ


白い…一面の白い霧…
(…ここは?…おれは?…)
ガフは途方にくれていた。
「アマレットとやって…えらく…」思い出したら股間が疼いた。
ついアレに目をやって自分が裸であることに気がつく。
「…途中でやめたのか?…いやぁ…なんか後のほうで溶けてくみたいで…あんなのは初めて…」
と詳細にナニの記憶を辿ってみるがさっぱり役に立たない…大事なものは立ってきたが。

「うーむ…あれでおれはおっ死んだのか?…するとここは…まさか『裁きの間』…」呟いて辺りを見回す。
戦の場で卑怯な振る舞いをした者が死後に裁かれるといわれる場所だが、ガフが来た事があるわけではない。
ただ、そこに漂う神秘的な雰囲気から考えられる場所を口にしただけだ。
と、ガフの回りの霧がすっと後ずさるように晴れた。 ガフは、正面に一人の女が立っているのを見た。
(アマレット…じゃないな…こいつは…)
年は少女から女になろうかというところか…触れば破けそうな布を纏っている。 そしてその肌は白い…今までに変わってしまった女…子供達と同じに。

彼女が一歩前に出てガフを見た。 ガフと女は視線を交わす…
(?…!…)目が…瞳がある。
トクン…ガフは胸の奥で鼓動が早くなるのを感じた…ような気がした…
(ちっ…何を怖がってるガフ…しっかりしろぃ!…)
娘は手を伸ばせば触れ合うところまで歩みより立ち止まった。 そして小首を傾げた。 その仕草が妙に可愛らしい。
「…あんた…何者だ? 昔話に出でてきた『神様』なのか?…」
娘は目を瞬かせた。
”『神様』…そうであって欲しいの?…”
「?…」ガフは彼女の答えが理解できない。
”私は貴方が望んだ形を取るだけ…”
そう言って娘が手を伸ばす。 しっとりとした手がガフの肩に触れる。
ドキン…
(こんな小娘に怯えて…へっ…ざまぁねぇ…)
”違う…”
(へ?…)
娘が顔を寄せて来る。 キラキラ輝く瞳がガフを覗き込む、薄いピンクの唇から芳しい息が漏れガフの鼻腔を擽る。
立ち尽くすガフと少女の唇が重なる…ズキン…痛みを覚えるほどに強く胸がなった。
(!)
娘はガフの頬を擽る様にしながら唇を耳に寄せ、囁く。
”好きよ…”
ドックン…一瞬目の前が真っ暗になった…
「…な…な…からかうな…あ…」
ドキドキドキ…胸の奥で早鐘が鳴らされているようだ…
「こんな…どうして…」赤く黒くなったガフをみて、娘がころころと笑う。
”うふ…私の事が好きなんでしょう…好きで好きでたまらなくなってきたでしょう…”
(何を…何を…)そういうガフは娘から目を離せない。
娘の目の動き、ちょっとした仕草、微笑みを見ているだけで心が安らぐ…
娘は優しく笑う。 笑いながらガフに体を寄せてくる。 細い腕が逞しいからだを抱き寄せる。
ガフもそっと娘を抱き返す。 壊れ物を扱うように。
(…ああ…そうか…)唐突に理解した。 自分は愛しい人を求めていたのだと…一緒にいて安らげる人を…添い遂げたいと思える人を…その為に生を受けのだと…
ガフは満足感で満たされながら、娘に誘われるままに体を重ねた。

”あ…”(くぅ…)
互いを思いやり、戯れるように交わる二人。
娘の細く白い腕がガフの背中を撫でまわすと、それだけで天にも上る心地がする。
娘の中は安らぎに満ちた柔らかさでガフを受けとめ、猛々しいものをあやすように優しく摩りあげる。
(ああ…いく…)
”きて…”
一打ちごとにガフは昇天する。 その度ごとに憑き物が落ちていくようだ。
余計な事が消えていく。 身の隠し方、毒の使い方、武器の手入れの仕方…敵を殺す方法…全て忘れていく…
(はぁ…いい…)
”好きよ…大好き…優しい人…”
ガフはその言葉が真実であると…なぜか判った。

白い霧…ミルク色の霧が再び濃くなり二人に纏わりつき始めた。
(ああ…)
”ああ…”
例えようの無い幸福感に包まれた
ガフと娘の体がゆっくりと…ゆっくりと…ぼやけていく。
(ふぅ…溶けていく…残念だな…もう終わりか…)
”うふ…そんなに簡単には終わらない…溶け合って…求め合って…まだまだずっと…ね…”
(ああ…ほんとだ…みんな…まだ…)
娘に言われると、ガフに不思議な光景が見えはじめた。
カルーアがいる…ココモ…カシス…カイゼル…スラッシュ…知った連中の気配がする…
(なんだ…みんないたのか…隊長達はいねぇな…)
”きっとあっち…溶け合う前に分かれたから…”
(そうか…そうだな…おや…)
ガフにさらに別の何かが見えてくる。
見たことあるような物も…見たことも無い物…石を投げる人々…寒さに震える娘…物陰から傭兵隊を見つめる自分…
(これは?…)
”記憶…溶け合ったみんなの記憶よ…全部じゃないど…”
(へえ…)他人の記憶を『見る』ことができるなど得難い体験である。
溶けかかったガフの魂が本をめくる様にカルーアの…それ以前の者達の記憶を遡っていく。

(…これは…あの話か…)
”お姉ちゃん…”
”いゃ…へん…”
”ぼくの…あれが…溶けちゃいそう…”
”大丈夫…ネ…ホラ…ミンナ…一緒…”
『女神の娘』が村の子供達を治している…『ミルク』で…
白くなった子供達・・・男の子は女の子になり…瞳がなくなったその姿に村人は恐れおののいている…
”化け物じゃあ!!”
村人達は子供達と『女神の娘』となった尼を洞窟に追いやる…
”…寒イ…”
”体ガ…崩レル…”
それは偶然だったが、村人達は『女神の娘』を封じる唯一の方法を取っていた。 しかし…
”ミンナ…オイデ…一ツニ…”
『女神の娘』となった尼が皆を胎内に…そしてその濃いエキスを壷に残した…
(そいつをカルーアが…)

さらに記憶を遡る。
…見たことも無い人、町、景色が現れる…しかしそこで起こる事はいつも同じ…
『ミルク』と『白い女神』…そして…変わっていく女、子供達…それに恐怖する人々…
(…なんだこりゃ…神の国か?…おりょ?…)
少し違う光景が見えてきた。二人の男女が言い争っている。 ガフの魂はその光景に見入った。
”馬鹿な!!そんな事ができるものか!!出来たとしても倫理的に許されない!!”
”倫理的ですって!! 助からない人に安らかな最後を…いいえ最後ではないわ。 このシステムならば体を失っても、記憶も、意識だって残せるはずなのよ!”
”記憶が残っても意識が残せるとは限らない!第一『意識』の定義づけだって…”
(なんだこりゃ)
”あれが『私』…『私』以前の私…”
(?…神の国にしては威厳が無いな…)
鉄の机、鉄の部屋、奇怪な形をしたガラスの器具…
(マリブなら何か判るんだろうがな…お…)
女が一人になった。 何か呟いている…
”間違っていない…私は間違っていない…やるしか…私がやるしか…”
女は鉄の筒に入った…そして…出てきたときには…あの『白い女神』となっていた…
(…魔法の道具か?…)
そう言ったとき、ガフはそこがどこか判った。 だれかの記憶が『解説』してくれたのだろう。
そこは別の世界の最高学院…そこにいる者達はその世界で『神』とも崇められる頭脳の持ち主達…
その誰かが狂った。 死の恐怖、喪失の苦しみ、生きていく上での全ての苦痛からから皆を解放しようと考えた…
どうやらそこから全てが始まったらしいが、それを理解するには世界のありようが違いすぎた。
(ふむ…おれは馬鹿だから良くわからんが…おせっかいな『神様』だな…)
ガフの腕の中で娘が身じろぎをする。
”そうかもしれない…でも…私は…”
言いよどむ娘にガフが『キス』をする。
(まぁいいさ…どこかで野垂れ死にするよりこの方がいい…俺は感謝するぜ…)
そう言って『娘』に囁く。
(好きだぜ…)
”ガフ…”
それはとっくにいなくなった女の魂の作り出した虚像だったのかもしれない。
新たに加わる者を迎えるた為、望みのままに『神』を、『悪魔』を…そして『恋人』を作り出して魂を奪う為の…
そしてガフは理想の『恋人』に心奪われた。
(まぁいいさ…)ガフは満足げに呟き、娘と睦みあう…

キィ…
牢の扉が開き、『アマレット』が姿を表した。
白く染まった体、少し立派になった胸…ガフが文字通り身を呈してくれた結果だ。 しかし…
「フム…」
『アマレット』はガフの『魂』が自分の中で何をしているのか手に取るように判る。
しかし、自分はこれから牢の警備や見回りの兵士を相手にせねばならない。
なのにガフは…
「何カ…アタシダケ損シテルヨウナ…マア仕方ナイケド…」
そう言って自分の変化を確認する。
さっきまでは気が狂いそうなほどの憎悪に捕らわれていた…ルトールを王を…神すら呪っていたと言うのに、今は拭ったように心が静かだ。
ルトールには哀れみすら感じる…可哀想だ…もう出世の望みもない…救ってやりたい…抱いてやりたい…そんな思いが溢れてくる。

「悪くない…俺は悪くない…」
アマレットの耳に救いを求める声が届き、彼女はゆっくり振り向いた。
「アア…可哀想ニ…」

闇の中壁に向って呟くドグ…その声がピタリと止まった。
…恐ろしい甘い匂いが漂ってきたのに気がついたのだ…振り向けない…どうしても振り向けない…
震える肩に、白い救いの手が置かれ…そしてドグは救われた。

<ミルク 終>

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【解説】


【ミルク:目次】

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