ミルク

42.狂気


−−王都−−

彼らは生き残った…しかし…
ガフ、アマレット、そしてドグは理由も告げられぬまま拘束され、王都の外れにある牢獄に幽閉された。
明かり一つない部屋、よどんだ空気、不潔な匂い…
入った人間が生きて出ることはない…そういう類の所だ。

闇…の中に絶望の声が流れる。
「…俺は何もしてない…悪い事は…何も…」
ドグの呟きが湿った闇に溶け込みその濃さを増す。
ここで朽ち果てた囚人達の呪詛の声がその闇の元なのだろうか。

ガフは腐った藁に寝転がり、見えない天井を見上げていた。
右手が壁をさ迷い、切り出しただけの石のノミの跡を指先でなぞり、石組みの隙間を辿る。
最初は彼もドグのように呻き、呟き、ルトールを、王を、神を…カルーア達を呪っていた。
だが…そのうちに呪うことに耐えられなくなった。
他人を呪えば心が冷え、怒りが止まらず、そして他の事が考えられなくなる。
代わりにこれまでの事…カルーア達と戦いはじめてからの事を考えることにした。
何度も、何度も…

…ガフ…
微かにアマレットの声がする。 彼女は向いの房にいる。
「アマレットか…生きてるか…」
…ああ…でも…
アマレットが言葉を切った。 
ガフは瞑目してアマレットが言おうとした事を考える。 まだ食事も差し入れられている。 しかし…
(最後は毒入りか、それとも飯もでなくなるか…)
ガフの顔には何の表情も浮かばない。 ここに入れられたときからそれは判っていた。
(…全部俺達に押し付けて…いや違うな。 アレを知っているからだろうな…)
領土の一部とはいえ、魔人に占拠され其処を取り返すことができない…それが他の国に知れたらどうなるか…
(たいした事じゃないさ…よくある事だ。 俺達みたいに底辺に生きている人間にとってはな…)
しかし、支配者達にとってはそうではな。 決して公にできない事実なのだろう。
(…ルトールの奴は一応貴族の端くれだしな…命は助かるだろうが、一生日陰者だろうな…今頃死んだほうがましだと思っているかもな…)
ガフはふとルトールが哀れに思えた。

足音がしてガフは現実に引き戻された。
嫌な予感がして、闇の中で身を固くしていたが足音はそのまま遠ざかっていった。 ただの見回りだったようだ。
ほっと息を吐く。 そして、怯える自分に腹が立ってきた。
「ちっ…いいように使われて挙句がこれか。 おい、アマレット!」
…なんだい…
「前にマリブが眠り薬を作ってたよな。 10錠まとめて飲んだら二度と目が醒めないとかいってた物騒な奴」
…ああ…隊長が自決用かって大笑いしてたっけ…
「あれないか。 短剣の柄に隠してたろう」
…武器は取り上げられちまったよ…
「…お前もか…畜生…」
…ああ…でも…
「ん?」
…『ミルク』…ならあるよ…

闇が凍りついた。 ガフは寝転がったまま目を剥いた。
「…悪い冗談だぞ」
…冗談じゃないさ…カルーアにもらった正真正銘の『ミルク』さ…
ガフは唾を飲み込んだ。 喘ぐようにして声を絞り出す。
「いったい…いつ…いつお前まで…」
…いや…まだ飲んでないよ…これから飲もうかと考えていたところさ…
ガフが跳ね起きた。
見えないアマレットに罵声を浴びせる。
「馬鹿野郎!!気でも違ったか!!!」
…気が違った?…は…はははは…
アマレットが笑った。 寂しげに。
…そうかもね…じゃあ、あたしらをここに閉じ込めた連中は?…アンタはどうなのさ…
「…」
…死ぬ思いをして働いたアタシらにこの仕打ち…ルトールの奴だって馬鹿なりに頑張ったさ…
「…」
…あんた…悔しくないのか…
「…」

アマレットは淡々と話し始めた。
彼女がカルーアと最後に会ったのは、オルバンと分かれボブや自分とはぐれた直後だったと言う。
…ガレ場にいたあたしにカルーアは近づいて来なかった…寒いところにいくと体が崩れる…そう言っていたよ…

「何だと!! てめぇ何故それを言わなかった! そうすりゃ…」
最初は怒っていたガフの声が段々小さくなる。
…そうすりゃなんだって?…皆で雪玉でも作ってぶつけたかい?…
ガフは黙った。 寒さに弱いという事を知っていても、それを生かすことが出来なければ意味が無い。 物を暖めることはたやすいが、冷やすとなると…

…それに… アマレットの声が小さくなった。
…ごめん…教えたくなかったんだ…
「なんだって?」
アマレットの話は続いた。
ナインテール盆地は山に囲まれ、盆地から出る峠道は冷たい風が吹き付けてくる。 だからカルーア達はあそこから出ることはできないというのだ。
…それなら…このままほっておいてもいいんじゃないか…そんな気がしたんだ…
「ほっておく…魔人をか!? カルーア達は」
…正気だよ…少なくとも半分くらいは…
「何?…」
アマレットは続けた。
カルーアは彼女に残れと誘い、それが嫌なら逃げ出せと言ったというのだ。
この後、間違いなく自分達と『王』との戦になる。 その時、カルーア達と戦った事のある彼らは間違いなく駆り出されに違いないと。
カルーアは負けるつもりは無い。 しかし、『王』が負ければ…全てを見てしまったアマレット達は…口封じの為に殺されるかもしれないと…

「…予測していたというのか?…俺達がどうなるかまで…」
…予測というよりただの思いつきだったかもしれない…
そこでアマレットは言葉を切った。
…でもあれは確かにカルーアの言い方だった…あたしはそう感じた…

アマレットはカルーアをなじった、ココモ、カシス、カイゼル、多分隊長も…皆を手に掛けた事を。
カルーアは応えた、死んだわけじゃないと。 ココモ達や子供達は『こちら側』に生まれ変わっただけ…そして男達は…『ミルク』になって溶け合ったのだと…一つになっただけだと…

「ばかな!!それじゃ『人喰い』…いや『男喰い』だろうが!! 第一影も形も無くなるのと、食い殺されるのとどこが違う…」
…消えてない…そう言っていた…
「…」
…魂も『ミルク』になって…ゆっくり溶け合って行く…『人』の形は無くなってしまうけど…スラッシュも…マリブも…まだここにいるって…溶けて漂よって…女たちの中に帰っていくんだって…
「…俺には理解できん。それと食い殺されるのとどこが違うんだ!!…
…あたしにもわかんなかった…ただこうも言ってた…『男』達はアタシたちに抱かれて…夢の中をさ迷う…『技』、『力』、『知恵』全てを差し出す…代わりにあげるの…果てしない安らぎ…一生掛けても得られぬ心地よい夢…そこで果てさせてあげるの…そうしたくなるのと…
「…楽に死なせてやろうってのか…大きなお世話だ…」
ガフは突き放すように言って黙り込んだ。
二人の間に沈黙の壁が出来た。

…ガフ…
「あんだ」
…アタシは悔しい…このまま死ぬのは…
「…」
…これを飲んだら…多分あたしはあたしじゃなくなる…でもそいつが…『白いあたし』が…いくらかでもあたしの悔しさを晴らしてくれるかもしれない…
「…おい…」
…でも…そうなったら…多分あたしはアンタを…
「…」
ガフの脇の下に冷たい汗が滲む。
…ガフ?…
「少し…考えさせてくれ…」

【<<】【>>】


【ミルク:目次】

【小説の部屋:トップ】