紫陽花

1.Boy meets …


サー…

霧けぶる小糠雨…音ともつかぬ雨音

そこは不思議な場所だった…四方は灰色の壁が聳え立ち、灰色の空を四角く切り取っている。

地面は草が生え放題…が、非現実的な風景にあって、ただの雑草がかえって好ましく思える…

その、不思議な野原に一人の男がたたずむ…

黒いコウモリ傘の下は黒い礼服、黒いネクタイ…葬式帰りかこれから行くのか。

男が見つめる…草むらに生えた一本の紫陽花の木…雨に濡れ、雫を垂らし、開いたばかりの花から誇らしげに香りが

立ち上る。


男は紫陽花の葉に触れ…それがそこにあるのを確かめる…

「マリアさん…」

男は首を振る…

「僕は…あなたを…」

男の頬に涙が流れる…

(…もう一度…会えたら…)


……………………………………………………………………………………


「ユウジ、どうする。 試験の結果…良くなかったんだろ」

「あぁ…ちぇ、このままじゃ推薦無理かな…折角うちの高校に通ったのに」

「推薦は10人までだったよな…『マジステール大学』…海外留学の上に学費、基本生活費は学校持ち…おいしい話

だったんだけどな…」

「スポーツ推薦の方はどうだ? お前柔道部だろ? 確か県大会で優勝したって…」

「ヨシミツ…あのなあ…柔道の団・体・戦で優勝したからってどうなるんだよ?…」


青葉の季節も終わり、梅雨に入ろうかと言う季節…

空はどんより曇り、今にも雨になろうかという天気だった…

その空の下、灰色の町並みを二人の少年が連れ立って歩いていた。

若さ溢れる年齢だが、あいにく二人の頭上には『憂鬱』という文字が風に揺れていた。


ポッ…ポッ…

顔に、雫が…空を見上げるが、雨は本降りになりそうもない…それがかえって鬱陶しい。

揃って目線を下げ…それを見つけた。

路上に転がる黒い物、目が何となくそれを追う。

正体に気がつき、つい口にする。

「パンプスか…」

「なんだって?…」唐突な言葉に戸惑う。

「ん…あれ…」

ユウジは、それを指差す…

「ああ…」ヨシミツが頷く…

ユウジはぼんやりと考える。

(靴が片方…あれ?…)

パンプスは雑居ビルの入り口に転がっている…

小走りに近寄り、辺りを見回す…案の定、雑居ビルの玄関に女が一人うずくまっている…

「大丈夫ですか?」

「いたた…え?…ええ大丈夫、ありがとう」

「ユウジ?どうした?」ヨシミツが声をかける。

「、女の人が、足を痛めてるみたいだ」

ヨシミツも足早に寄ってくる。

その間に、彼女は立ち上がろうとし…足がもつれ、ユウジに倒れ掛かる。

ユウジは予想していて、彼女をしっかり抱きとめる。

フワッ…ユウジの体を何かが包み込む…(!?…いい香り…香水?…)

香水なのか、女の体臭なのか…甘い…というのとは違う…背筋に何かが走るような…そう…自分が『男』であることを

感じさせるような匂い…

その香りに囚われ、彼女を抱きとめたまま硬直してしまった。

「ごめんなさい…」

抱きとめた女が顔を上げる…

「!…」息が…時が止まった…

濡れた様に光る瞳がユウジを射る…黒い艶やかな髪は、緩やかに波打ち肩にかかっている。

20代後半かそこらか…美しいというより色っぽい…そう下世話な言い方をするなら『女』を…『年上の女』を感じさせる人…

(…なんだろう…この気持ち…探していたものが見つかったような…)

『女』もユウジを見つめる…ユウジを…ユウジだけを…


「おっとと、あれ…何して…」ヨシミツがやって来た。

我に返る、ユウジと女。 慌ててその場を取り繕う。

「あ、いや…そうだ、大丈夫ですか?足…」

「…ごめんなさい…少し痛むわ…」

「近くですか? タクシー呼びましょうか?」

かいがいしく女の世話を焼く二人。

思わぬ機会に一生懸命だが、端から見れば『年上の女』にあたふたする少年二人…題をつけるなら『微笑ましい』だろう。


「本当にありがとう。 ちょっと場所が悪くて、タクシーじゃ行けないの。 電話で迎えを呼ぶわ」

「近くですか?」

「ええ、まあ」

「じゃ、送りますよ」

「おい、ユウジ…(お人よしめ)。 まあいいか」

「…いいの?ありがとう…私はマリア」

「マリア…さん?…」

ユウジは一瞬「本名ですか」と言いそうになり、慌てて言葉を飲み込む。

「俺、武田ヨシミツ」「お…僕は剣崎ユウジ」

「剣崎君に武田君…強そうな名前ね…」

他愛の無い話をしながら、二人して、女に肩を貸して立ち上がる。

少年二人が、大人の女性に肩を貸している様は少し変だった…数少ない通行人がまじまじと見て…目を逸らして通り

過ぎる…

(うう…ユウジのやつ…恥ずかしい…)

三人は、ヨタヨタという感じで、ビルの間の狭い路地に入っていく。


路地は、ビルの間を曲がりくねり、どこまでも続く…別れ道も、向こうの通りに抜ける様子もない。

ふとユウジは、無計画な都市計画が生み出した迷路に迷い込んだ男の話を思い出す。

「なあ、ユウジ…おれたち四次元に迷い混んだんじゃないか?…ははは…」ヨシミツが乾いた声でつまらない冗談を

飛ばす…

「そうよ」

「え?」

「私達の向かっているのは、夢幻の世界…夢と快楽の園…」女が呟くように言う…

両脇の二人は、目を見合わせる…

(おい…)(うん…)

相談するまでも無い、『ここで別れたほうが…』互いの目がそう言っている。

が、少し遅かった。


「ついたわ…夢幻の館…私のお家」


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