深き水

15.かぐや姫と乙姫様


翌朝…礼二にとって天国と地獄の一夜が明けた…まだ生きている…
太陽がまぶしいどころではない…日の光が耐え難い。
目の下にはくまができ、一夜でげっそりとやつれている…
何とかサキュバスの匂いの寝床から起きだす…
生木を裂かれる思いでエミを離し、服を着替えて、ヨロヨロと出勤していく。
「い、行って来ます…」
「行ってらっしゃーい」寝床で背を向けたままエミが手を振って見送る…

何とか署までたどり着いた礼二…捜査課の扉を開けて「お、おはようございます…」
『山さん』が「おう、おはよう…」といいながら扉を向き…腰を抜かす…
「ミ、ミ、ミイラ病だー!」…大騒ぎになった。

結局、礼二は防疫服の男達につかまり、隔離病棟付の大学病院に連れて行かれてしまった。
警察から連れて行かれる礼二を、エミが見送っていた。
「こんなとこか…思ったより反応が過激だけど…さて次はと」
エミは近くのコンビニに行き、例のミネラル・ウォーターを何本か買った…

病院の検査の結果、異常なしとされたものの、極度に衰弱していた礼二はそのまま入院させられた。
そして一週間後、礼二はベッドの上で新聞を読んで呟く。
「エミ…何て事を…」
新聞には『毒物脅迫事件!…謎の美人は誰か』の続報が載っていた…

事件は、礼二が病院に連れて行かれたその日に起こった。
主なTV局、新聞社に女の声で脅迫電話があったのだ…曰く
「ミネラル・ウォーターに毒物を入れたわ。都内に3本ばらまいた…場所を教えて欲しければ授業料として3億払いなさい」
無茶苦茶な要求であったが、実際に「毒」と紙の張られたペットボトルがコンビニの棚から見つかり、致死量をはるかに超える青酸化合物が検出され大騒ぎになった。
さらに、別のコンビニではミネラル・ウォーターの棚の下に「毒」という紙が落ちていて、その棚のミネラル・ウォーターの一つから、合成麻薬が検出された。
だが、3本目の毒入りのミネラル・ウォーターは見つからない…その日のうちに関東一円のミネラル・ウォーターどころか缶入り以外の飲み物が店頭から消えた…

警察も迅速に動いた、件のコンビニの防犯テープを借り受け、画像を調べると…髪の長い美人が「毒」のミネラル・ウォーターをカメラに見せつけてから棚に置いている。
しかも、その後でカメラにVサインをしているのだ…だが、その顔はエミではなかった…

「エミ…顔が変えられたのか…」
礼二は呟く。なぜか、エミの呪縛は弱まっていた。
礼二は考える、エミの行動について…魔物であるエミ…人間の倫理には束縛されないのか…でも、ひょっとして…

入院して八日め、病院の受け付けで退院の手続きをし、玄関から表に出る。
日差しがまぶしい。手をかざし、目を細める。
目が慣れてくると、病院の正門付近に黒い人影が見えた…エミだ…そう認識すると、鼓動が早くなる。
知らず知らずの内に足運びが速くなり、エミと正対する。

「退院、おめでとう」「ありがとう…ん?…」よく考えたら、エミのせいで入院したのだった。
「私に言いたいことがあるんじゃないの?」エミはサラリと言う。
「ああ…話がしたい、先に確かめたい事があるんだ。悪いが、今夜僕の家に来てくれないか」礼二の口調も表情も固い。
エミはだまって肩をすくめ、日差しの中を去っていく。
礼二は軽く息を吐く、「さて、まず署にもどらないと…」

夜9時、マンション・ゼロ505号室、川上礼二の自宅。
礼二はベランダのサッシを開けてビールを飲んでいた、夜風に微かに秋の気配を感じる…月は満月…
「暑い夏だったな…」感傷的な気分になる…
スッと影がさす、見れば月の中に人の形…
「かっこいい登場だな…」苦笑する礼二。

エミがベランダに着地する、いつもの黒い服…少し遅れて微風と甘い香り…
「こんばんわ」
「窓からは二度目だな…」
「今夜はこの方が良いと思ったの」

エミが入ってくる。
「ビール、飲むかい?」
「折角だけど、飲酒飛行はしないことにしているの」
「はは、確かに危ないな…」

エミがベッドに腰掛ける。
「それで、話って何?」
「この一週間で『水魔』に侵された人たちがどうなったか気になってね。麻薬のように禁断症状がでるんじゃないかと思って」
「確認したのはそれ?わかったの?」
「例の水が回収された後、急に体調を崩して入院した人間はざっと50人…病院に来た人数を含めると100人近く…程度の差こそあれ異常に水を欲しがっていた」
「そのうち何人?」「あ?」「何人死んだの?」「…2人だ、やっぱり予想していたんだな!」礼二の口調が荒くなる。
「ミイラになった2人を観察していたのよ。急にやめれば、狂うか、死ぬかと思ったけど…」目を伏せるエミ。
「なぜ見殺しに…」搾り出す様に言う礼二。
「治療法がわかっていたわけじゃないでしょ。他に方法があって?」突き放すエミ。
「なかった。だが…死んだ2人はひどく苦しんだらしいぞ…『水、水をくれっ…』て。他の人たちも原因不明の渇きに苛まされて…」
「何をする時間もなかった。違う?」

「…そうかもしれない…でも、体力があれるものは助かったんだし、うまくすれば全員助かったかもと思うと…」幾分声を和らげる礼二。
「助かった?」
「ああ、高校生の女の子が一人『水、水をちょうだい…』て一番ひどく苦しんでたけど、全快したって新聞にも…」
「そこまで魅了されていて助かった人がいたの?」エミはちょっと驚き、顎に手をあて考えていた…

「エミ…」礼二が話し掛ける…
「あ、何?」
「確かに、『水魔』は回収されたが、何れ同じ事になるんじゃないのか?」
「マジステール食品には別に真相を知らせたわ、『水魔』といっしっしょに」
「信じるかな」
「さてね。これでマジステール食品は信用を失わずに撤退できるはず…もし信じなければ、今度はマジステール食品を狙い撃ちで脅迫するだけよ…」
凄みのある笑いを見せるエミ。
「おいおい…」

「『水魔』自身に対してはどうするつもりだ…」
エミは手近の新聞を広げる。「見て」
「交通事故の統計じゃないか。それが…」
「昨日一日で、10人死亡。あなたは全員のために涙を流すの?原因の車を全部壊すの?」
「問題が違う…言いたい事はわかるつもりだ…これ以上は何もしないと…」
「私は人じゃないわ、淫乱で非情で冷酷な魔物よ。どっちにしても、あなたも私も無力、自分のできる範囲で精一杯生きるだけよ…」
エミは心の中で付け加える。”多分『水魔』も…”

礼二は、今回の事件でエミには逃げ出す事も、何もしないでいる事もできたのを理解する。
「悪かった。君なりに手を尽くしてくれたんだな。そんな義理もないのに」
「今回は、私にとっても縄張りを守る為だったの。かなわないと思ったら逃げ出していたわ…」
「だが、君が結果的に大勢救ってくれた。僕も含めて…」
「あなたは幸運だった…ひょっとして何か後ろめたさを感じてるの?」
「多少は…そうだ、ありがとう」
「?」
「僕は苦しまなかった…『水魔』を吸い出して、『呪縛』あれで守ってくれたんだろう?」
「気がついていたの…あなたは美味しそうだったから『水魔』に取られたくなかったのよ…」エミは微かに笑う。
「美味しそう…」苦笑する礼二。
「魅了に呪縛で対抗する。確かに無力だ、人間は」
「その無力な人間が『水魔』を呼び出したのよ、海の底から水なんか取らなくてもいいのに…」ため息をつくエミ。
礼二が本当に確認したかったのは、エミの心、人間をどう思っているかだった。
口で言うほど冷酷には思えない、むしろ人間の考え方そのものに思えるのだが。

礼二には、もう一つ確認すべき事が残っていたが、切り出せずにいた。
話が途切れたのを契機に、エミがつと立ち上がり、ベランダに出て月を見つめる。
エミの背後でカチリと金属音がする。
「…撃つの?…」エミは月を見つめたまま聞く。
礼二は拳銃を構えていた…
「返答次第だ。君は…君は人を殺めた事はあるのか?」
「Yes…I killed many…」
礼二の顔が厳しくなる…
「何故…」
「虎に獲物を狩る理由を聞くようなものよ…」
「今後は…」
「わからない、楽しみで殺す事はしない…でもどうなるかは、私にも…」
「そうか…」ふっと息を吐く礼二。
背後の殺気が消える。エミが振り返ると礼二は銃を下ろしていた。弾は込めていない。
「すまん、聞きたかっただけだ…」
「物騒な人…もう帰ったほうがいいみたいね…」
エミの体がフワリと宙に舞う。
「寂しくなったらメールして、アドレスは****…」
「またミイラにするのは勘弁してくれよー…」去っていくエミに声を投げかける礼二…
礼二からは、エミが月に向っていくように見える。
「かぐや姫は月に帰りました…そうすると、僕は竹取の翁かい…」苦笑する礼二。
二人にとって、この事件は終わった。

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水神町、マンション・タキオン・コーダン412号。
錯乱、極度の脱水症状で入院した真奈美が、退院して3日が過ぎ、今日から学校に復帰できた。
症状の原因は不明のままだった。
警察は脅迫事件の犯人が、何らかの薬物入りペットボトルをばらまき、それを飲んだ可能性を考慮しているようだが、真奈美からは何も検出されていない。

真奈美が学校から帰宅した、もう一人一緒だ。
「さ、入って小島君」
「お、おじゃまします」
真奈美の部屋に通され、ソファベッドに腰掛ける小島。
女性の部屋に通されるのは初めてできょろきょろ落ち着きが無い。
真奈美がコーヒーを盆に乗せて持ってきてくれた。
「す、すみません、先輩」
「例の事件でジュースがなくて。暑気払いには熱いものの方がいいんだって」
コーヒーをテーブルに並べ、小島に並んで座る真奈美。
女の子の匂いを感じて、小島の『男』が反応する。
小島は、腰をもぞもぞさせて、目立たないようにしようとするが、かえって目に付く…
「くす、気にしないでいいのに…」
「す、すみません…」赤くなって小さくなる小島。
すっと、真奈美が小島の男性自身をズボンの上から撫でる…
「せ、先輩?…ふあっ…」
真奈美が小島にキスをする。ディープキス…真奈美の舌が小島の舌を絡め取る…そっと口を離す真奈美…
「小島君…貴方のおかげで私は助かったのよ…いくら感謝しても足りないわ…」真奈美の目が熱く潤んでいる…
「先輩…」陶然としている小島。
「貴方が…お見舞いに『水』を持ってきてくれたから…ダカラ…フフフフ」
真奈美の手が、ズボンのチャックを開けて、直に小島の男性器を弄りだす…
小島の目に霞がかかっていく…
「先輩…手が冷たい…気持ちいい…チ…チ***が固くなります…」
「冷タクナリナサイ…固クナリナサイ…オ礼ニ溺レサセテアゲル…私ニ…」
真奈美の目が妖しく光る…緑色に…

<深き水:終>

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